2020年4月4日、5日、10日(楠田ひかり)/違う場所の同じ日の日記

私自身の生をまっとうすることによって

テキスト:楠田ひかり
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2020年4月4日

4月から予定していたロンドンへの留学が中止になり急遽引っ越して早一週間経つけれどまだ床に段ボールが転がっている。毎日家にいるのでちまちま片付けていたら一向に終わる気配なし。意を決して今日は片付けの日だと集中モード。青葉市子『qp』をリピート再生しながら、段ボールの中身をそれぞれの棚や引き出しにしまっていく。この家は、シャワー、洗濯機、キッチンが共用で、部屋ではお湯が出ない。毎朝アイスミントのケトルで湯を沸かし、洗面器にためて顔を洗う、その流れで下着を手洗いする、先に洗濯機にぶち込んでおいたタオルと一緒に乾燥機にかけるまでが日課になりつつある。洗濯物が乾いたらルイボスティー。段ボール終わってなくてもルイボスティー。家にずっといると無限にお茶を飲んでしまう。そうこうしているうちに昼。
調理器具が揃わなかった昨日までのあいだ、ひたすらレトルトと冷凍食品ばかり食べていた。私は普段から肉をあまり食べないようにしているのだけれど、出来合いのものを買うとなるとやはり一切肉が入っていないものを選ぶのは難しい。
肉を食べないことを意識するようになったのは去年、ナオミ・クライン『楽園をめぐる闘い』(2019)を読んだことがきっかけだった。ここには直接食のことについて書かれているわけではない。この本では、先進国がもたらした気候変動が原因でプエルトリコという国がハリケーンによる甚大な被害に遭っていること、それに乗じてここで暮らす人びとを無視した新自由主義政策が推しすすめられていく様子が書かれている。世界のなかに犠牲にしてもよい場所、ひいては人が存在するという認識は、米軍基地が置かれている沖縄や、福島の原発事故にかんして復興相が「東北で良かった」と発言したことにも通じる、他人事ではない問題だった。これを機に気候変動を食い止めるためになにか自分にできることはないかと考えるなかで、大規模な畜産業がその原因の一つだということを知った。
つまり、牛肉や豚肉を食べないということが私がもっともすぐにできる行動だった。もともと胃腸が弱いせいで肉をあまり食べない自分の習慣にも合うから、少し意識するだけで徹底できると思った。今日はアスパラとナスと大豆ミンチのパスタ。せっかく家にいる時間が長いのだからいつもより手間をかけてごはんをつくる。とはいえ鍋は一つしかないのでパスタはレンジでチンして茹でる。ついでに多めに切った食材にカットトマトを加えてパスタソースをつくって冷凍。つねに頭の片隅に、いつ外出できなくなってもおかしくないという気持ちがある。
午後にまたがって段ボールの片付けがやっと終わる。日課のロイヤル英文法を済ませ、久しぶりの外出準備。目のまわりに少し下地をぬってNARSの透明の粉をさっとのせる。普段念入りにメイクするのでたまには軽い顔もいい。昨日、大学研究室の利用を控えてとの通達があり、今後使えなくなるかもしれないので念のため本とプリンターを取りにいく。外がこんなに暖かくてまぶしいことを知るだけで満たされる。研究棟に着き、入り口で何度学生証をかざしてもエラーなる。なかにいた人が気づいて駆けてきてドアを開けてくれる。お礼を言うと「困ったときはお互い様ですから」と言ってくれる。そんなやさしい言葉がするっと出てくることに面食らう。こまったときはおたがいさまですから……こまったときはおたがいさまですから……次そんな状況があったら私も言えるように頭のなかで復唱。本四十冊を背負ってプリンターを抱え家に戻る。背中が割れるのではないかというほどの重み。
家に戻ってすぐスーパーに買い出し。駅前の大きなスーパーは混んでいて、一人分の食材を買うだけで疲れきってしまう。引っ越してからスーパーが遠くなって自分の体力のなさを思い知らされる日々。家にこもっているからこれくらいがちょうどいい運動になるのかもしれない。わずかな力を振りしぼって夕食。かつおとトマトのサラダ、豆サラダ、厚揚げとパプリカの生姜焼き。帰省していた先週、毎日何品もつくって出してくれた祖母のすごさを改めて思う。
寝る前、いつもついネットをみてしまう。「無症状 うつす」「潜伏期間 何日」。まだ留学に行けると思っていた頃、東京の家を引き払ってロンドンにいくまでのあいだ母と祖父母の家に住む予定だったけれど、留学中止が決まった3月19日には、無症状の若者が高齢者にうつすリスクについて言われはじめていた。かといって戻る東京の家もなく、いつ大学の近くに新しい家を見つけられるかわからない状況で、お金もなく、ホテルに何日も泊まることは現実的ではなかった。祖父母はまったく気にしていない様子だったけれど、私は毎日気が気じゃなかった。無事東京に戻ってくることができて、毎日、祖父母たちと別れてから何日と数えてしまう。今日で9日。ひとまずみんな元気で安心。だけどあのときほんとうは無理してでもこうしていればよかったとか、ここに行かなければよかったという後悔が押し寄せてくる。今考えても意味のないことだとはわかっていても。眠れなくて頭まで布団にもぐりこんで一体化しようとしているうちにいつの間にか眠っていた。

2020年4月5日

昨日遅くまで寝付けなかったせいか、ここのところ落ち着いていた頭痛が発症。薬を飲んで部屋を暗くし布団に沈み込む。二週間前、家を引き払ってしまってやむを得ず母と祖父母が住む家に帰省したときも、つかれからか頭痛が続いていた。ちょうどその日はいとこたちが遊びに来る日で私は支度を手伝うように言われていたのだけれど、どうしても頭が痛くてたまらなくて「四十分経ったら起きる」と言って布団にもぐって目をぎゅっと閉じた。この四十分というのは薬が効きはじめる時間で、薬を飲んで部屋を暗くし横になるという万全の立ち向かい方をしたってどんなに早くとも回復に一時間はかかる。案の定その日も一時間、ましてや四十分どころでは済まず、なかなか手伝いにこないことにしびれを切らした母にたたき起こされた。いつまでなまけてるん、病気じゃないんやろ? と言われたことに驚いて病気やと言いかえしたら、「病気なんやったら入院しろ」と言われる。もう六年ほど続く頭痛を改善するためにできることはやってきて、それでもどうしても痛くて一年前から通院して予防薬のおかげでなんとか寝込む回数も減ってきている。でも母からしたら腹痛を抑えるためにピルを飲んでいることも頭痛で薬を飲み続けていることも、「自然なこと」ではないらしい。過剰に痛みに反応して、ろくに治す努力もせず薬で解決しようとしている(もしそうだとしてもなにが悪いのかと思う)ように見えているのだと思って私は母にそれを伝えた。そのあと数日一緒に過ごさなくてはいけなかったから少しずつ話しあって、完全にではないけれど母もわかろうとしてくれていた。
でも母に言われたことはぜったいに忘れられないしその言葉自体を許すことはできないと思う。病気ってなんなんだろうね。今こうして私が寝っ転がって丸まっているのも、どこからが保険三割の治療の対象なんだろう。昨日不安で寝付けなかったところから? 寝付けないほどの不安を抱えているところから? コロナウイルスによる肺炎という明確な原因や病名があるものと同じくらい今、無数の名づけえぬ不調にさいなまれている人が、ただうずくまることしかできない人が、と暗い天井の皺を数えながら思う。

2020年4月10日

朝から住民票移動と保険、年金の手続きで市役所へ。バスに乗るのも控えたほうがいいように思って三十分歩く。空いていて待ち時間自体は短かったものの手続きが多すぎて終わった頃にはお昼前。風が強いけどよく晴れていて、久しぶりに外出したこともあいまって気持ちが良い。市役所前に駅でも返却できるレンタサイクルがあることに気づいて、レースのワンピース……と思いながらも借りることにする。十五分ごとに七十円。「コロナがくっつくようなチャラチャラした服は着たらあかん」と言うおばあちゃん的には完全アウトなワンピースの裾をたくし上げて乗る。この町は駅から一直線に道路がのびていて、それに沿って桜並木がある。もうほとんど散ってしまったなかにぽつぽつと現れる遅咲きの八重桜。遠回りの仕方もわからずすぐに駅に着いてしまって自転車を返却。スーパーに寄って買い出し。
駅前の大型スーパーの激混みに疲弊して以来、小さなお店をはしごして食材を調達している。最近のお気に入りは私が好きな鳥の名前がついたお店で、有機野菜やベジミートがたくさん売っている。以前京都のヴィーガン料理屋で出会って以来その存在を気にかけていた「てんぺ」という大豆の発酵食品を見つけたので購入。今までとにかく安く食材が調達できるという理由でしかお店を選んでいなかったけれど、ここ数日食べることやつくることに時間を費やせる日々が続いて、なぜこの品物はこんなに安いのかとか、これはどこからどうやって運ばれてきたのだろうとか、いやでも考えるようになってきた。
こうして特に締め切りもなく何日も家にこもっていると、食べることが一日の軸になってくる。修士論文を書いていたときは休憩がてらスープをチンして飲んで書きながらソイジョイをむさぼるような生活だったけれど、今は食事がメインでそのあいだにできた時間に作業をしているように思う。今日の夕食は、てんぺと厚揚げとゴーヤとパプリカの生姜焼き、トマト車麩じゃが、豆サラダ、納豆、切り干し大根の味噌汁。ずっと家にいて一人分の料理をつくるだけでも大変なのに、仕事が終わってから何品もの食事を用意していた母のことを思うと途方に暮れる。仕事で遅くなる日には手づくりのミートソースを用意してくれていたにもかかわらず、たらこスパゲッティにハマって市販のたらこソースをかけて食べていた高校生の私、あの小さなニンジンや玉ねぎのみじん切りの苦労を知らなかった私……。
今後の奨学金や授業料の不安があるとはいえ、今私は自分の身を守ることしかしていない。それでもこんなに気が滅入ってきて毎晩布団に身体をめり込ませて眠れるのを待っている。毎日、自分よりももっと大変な人がいるのに落ち込んでいていいのかという気持ちと、自分が生きることで精いっぱいだという気持ちを往復している。ちょうど去年の今頃、東京都写真美術館に『志賀理江子 ヒューマン・スプリング』をみにいったときの日記のなかで、同じようなことを考えていた。

志賀さんの文章が掲載されている、せんだいメディアテークの機関誌『ミルフイユ04 今日のつくり方』(2012)の序文を読んで、私の、世界に対する違和感が書かれていて震える。

「取り戻すべき日常」は、果たしてこれまでと同様の日常なのか。過去に戻るのでもなく、此処に留まるのでもなく、ただ漠然と何かを棚上げするかのように未来を描くのでもなく、いま、今日をどうつくるのか。

この問いに携える道具のひとつとなるよう、この本をつくった。
私たちは震えている。あるいは、喘いでいる。もしくは、戦っている。日々、あらゆるものの価値についての決定を要請され、その答えを急かされる。焦らずにはいられず、自らの内のどこからか湧いてくる、よくわからない渇望に捕らえられていく。そんな日々の向こう側にどのような未来を描けばいいのだろう。そう立ち止まる間にも、実態のよくわからない大きな力が、私たちをまた元のサイクルに引き戻そうとする。
このまとわりつくような濁流から、身を引きはがし、たとえ不器用であろうとも痺れるような実感がともなう歩みを得るには、あらためて今日のつくり方、そして外界との関わり方についての方策を探る必要があると考えた。

もちろんここに書かれている「日常」が奪われた原因もその取り戻し方も筆者と私とでは違う。けれども、それはおそらく根底ではつながっている、そして、彼ら彼女らのことを思いながらも直接的には無力でしかない私が、私自身の生をまっとうすることによって、ともに考えることができるかもしれないという距離で向き合うことを肯定したい。
今私が生きなければならないという目の前につねに存在する喫緊の問題と、それでも私が生きているこの世界のどこか別の場所で殺されたり不当な扱いを受けていたりする人が存在する。小林エリカ『空爆の日に会いましょう』(2002)はそのような距離の問題に対して<私>が生きることを通して向き合っている。9.11に対するアメリカのアフガニスタンへの報復戦争がはじまった当時大学生だった小林さんは、人びとの帰る場所を奪い去る空爆が続くあいだ、自宅に帰らず男友達の家に泊まりにいく、ただしセックスはしない、というルールを決め、その日の出来事、見た夢の日記を書いている。最後に必ず、どんなパジャマで寝たか、寝るときの家主との距離などとともに、その日の戦死者数を記録している。仲のいい友人の家に頼るだけでは足りないくらい戦争はいつまでも終わらなくて、知り合いの知り合いの家や、ときには大学で眠ることもある。そうして身近な人を巻き込むことによって、ここではない別の場所で今戦争が起こっているというまぎれもない、けれど直接の痛みを伴って感じることのできない事実を提示する。私的なレベルで、彼女自身のやり方で。これが反戦でなければなんなのだろう。

もちろんこのとき私は一年後世界が未知のウイルスに苦しむことは知らなかったし、それによって私自身の日常が大きく変わるとは思ってもみなかった。この本を読んでいた当時、小林さんはある出来事の当事者ではない離れた場所にいる自分がどうやってそれを経験するのかという日記を書いていると、私は思っていた。けれど、その試みについて、今のようなある意味誰もが大なり小なりコロナウイルスによるなにかしらの影響を経験している状況を経て、もしかしたら、こうも考えられるのかもしれないと思うようになった。つまり小林さんの日記は、そもそもその出来事に自分はなんらかのかたちで関係しているという立場からの記録なのではないかと。
自分の目の前の生活に没頭していながら、あらゆることに私は関係しているのだと考えることに迷いがありつつも、たとえそれが傲慢であったとしても、無数の誰かの痛みから目をそむけているほどには傲慢ではないのだと、ひとまず思うことにする。

「違う場所の同じ日の日記」
この日々においてひとりひとりが何を感じ、どんな行動を起こしたのかという個人史の記録。それはきっと、未来の誰かを助けることになります。
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PROFILE

楠田ひかり
楠田ひかり

1995年神戸市生まれ。一橋大学言語社会研究科博士後期課程在学中。雑誌『文鯨』編集部。
日常を生綿のように埋めつくす無数の雑多な出来事のなかから一瞬の閃きが生じうることを描いたヴァージニア・ウルフに出会って以来、読むことと書くこと、生きることを地続きに考えながら研究しています。とくにウルフが1930年代後半、誰に対してもひとしく過ぎ去っていく時間に焦点を当て、取るに足らない無数の出来事や無名の人びとを描き出そうとしたこと、それに伴い、当時の家族観に代わる人びとの結びつきを提示したことについて考えています。直近の目標は、ウルフが示した新しい家族の在り方が、いかにして現在まで引き継がれているのかを考えるために、20世紀以降の女性作家による生殖、家族にかんする小説史(ヴァージニア・ウルフから川上未映子まで……!)を書くことです。

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