2020年5月11日(月)
ナカコ 5月11日 9:00
買い物に出かけた。昨日からずっと、窓の外で木の枝が揺れ動くのを眺めていた。外に出たとたん、強い風を身体に感じた。人がほとんど出ていない。ロックダウンが始まったころには長い列ができていた近所の店には、客が数人しかいない。コロナウイルス以前の店内にいるような気がした。
今日から、一部の職業の人々は、仕事を始めるということになっている。それは突然の告知だった。けれどもきっと計画したようにはいかないのだろう、と思う。そもそも、きちんとした計画などというものがあるとも思えない。
家に帰る途中、たくさんのタンポポの茎をみた。普通ならそのてっぺんに、丸い綿毛があるはずだ。でも、それらがすべてなくなっていて、茎だけが立っている。昨日からの強い風が、綿毛をすべてさらっていったんだ、と理解した。
ナカコ 5月11日 18:30
私たちがこの執筆をはじめたのは、ロックダウンの2週間後だった。6週間たった今では、いくつかの場所で、段階的な緩和が論じられるようになった。別の雑誌のために、エレンとこの執筆をはじめた1か月前は、自分のエネルギーがとても低かったことを覚えている。生活のなかでこの執筆が唯一、文化的な活動だった。今は自分自身の活動がもどってきていて、先週はこのシリーズ以外にもいくつかの執筆をこなした。
この間、取り組んだことの一つに、SNSで本を紹介するプロジェクトがあった。本を紹介するだけでなく、誰かその企画に加わる友人を招くというのがルールだった。日に日に、さまざまな人が選択した本がSNS上で紹介されていくのを見ているのは面白かった。本の表紙だけを紹介して、中身については触れなくて良いという企画だったのだが、自分は本のことを書くと止められなくなって、どんどん長く書いてしまうようになった。本を紹介し始めたとき、日々の生活はリアリティーがなく、とても奇妙だったから、現実から抜け出すために何かすることがあるだけでも嬉しく感じられた。
ある日、SNSで誰かが私の書いた本を紹介してくれているのを見つけた。過去に雑誌などに書いたインタビューをまとめた本だ。紹介者は、読むたびに勇気をもらう本、として勧めてくれていた。この言葉が、とても印象に残った。いつも私は、自分に勇気を与えてくれる人を素晴らしいと思い、尊敬してきた。その人について書いてみたいと思わせるきっかけは、彼らが示してくれている勇気だった。エレンもその一人だ。これまでも、いつも自分が価値を置いてきたこと。そのことに今、気がつけたことは、得難い体験だった。
エレン 5月11日 20:00
なんて皮肉なこと! 今年はここ数年のなかで最も美しい春だったというのに、ずっとロックダウンだった。そして今日、約2か月後に自由を得た日は、肌寒く、風が吹いて、一日中雨だった。
ここ数日間、香港の雑誌のインタビューに答えている。こんなに大変だとは思っていなかった。私の90年代初期から最近までの仕事についてと、私がしたいことすべてについて、たくさんの質問を受けた。何をしたいですか? と聞かれると、考え始めるものだ。子どもがサンタクロースに貰いたい物のリストを書くように。今、私の脳はとても活発で、いろんな考えが浮かんでいる。長い間考えてみなかった欲望、たとえば、アートを買うこと(私は以前とても若いころ、アートのコレクターだった!)のように。彼らは私に、アートを買いたい人に向けてのアドバイスを訊ねた。私が若いころ買っていたような作品ではないだろう。けれども考え始めて、小さなリストをつくった。また展覧会のキュレーションについても考えなければならなかった。私は今、自分がキュレーションしたい展覧会の、はっきりとしたアイデアがある。アートと工芸、歴史的なものと現代のもの、どこからきたかも問わないいろいろなものを混ぜた展覧会を、夢見ている。頭のなかにあるのは、どんな美術館でも一緒に置かれたことのないものが一緒にあるような展覧会。美の探究だけに触発される選択で、何の制限も受けない。私は自由に発想したから、すべてがとても夢想的なのだが、とてもワクワクした。
- 6
- 6