自分と外界の「ずれ」や「調和」を落ち着いて眺めてみる。わたしたちはいま、多かれ少なかれ、こころやからだに残っている傷のようなものを治癒している過程なのではないだろうか。眠っていた花が再生していくように、自分で自分をたすけられる力がたまるまで、次の出番まで、やすみやすみ、癒やしながらいこう。
今回は「癒やし」ということに紐付いた絵を描くイラストレーターと、その作品をご紹介します。めまぐるしい状況が続き、不慣れなことも多いであろう今年の夏。がんばりつづけてしまう人や、おやすみをしている人も少なくないはず。みなさまが、より良いかたちですこしだけあたらしい心身になるための手助けとなれば幸いです。
美術大学で木版画を学んだのち、絵画やインスタレーションなどを制作、発表している画家の岡本果倫さん。水彩画を中心とした作品の展示やインスタレーション、イラスト、ロゴデザイン、挿絵などを手掛けています。
彼女による連作のひとつに「頭上からお花が生えている人物の水彩画」があります。見事に咲き誇り、葉を繁らせている植物の種類は様々。それぞれが描かれている人物と調和していて、朗らかでポジティブな雰囲気が感じられます。
そんな岡本さんに「今回紹介する絵のモチーフを描き始めたきっかけ、または作品にすることで生じた自身の変化があれば教えてください」という質問を投げかけたところ、こんなお返事をいただきました。
頭からお花が咲いている人、を描きはじめたきっかけは、若かりし頃、恋の相談をしていた友人に、「その人、頭からチューリップ生えちゃってるんじゃない、大丈夫?」とアドバイス(?)を受けたことから、「ほんと、あの人、頭からチューリップ生えているかも」と妙に納得したりして。その言葉が妙に的を得ていて心に残りました。
またその頃、他の友人とも、「あなたは植物に例えるとワレモコウだね」とか、「あの人はスプレーバラみたいだよね」「え? そう? 百合みたいだけど」とか、人のことを植物にたとえて遊んでいたり。
はたまたその後は日本に自生する薬草の勉強をしていた時期があり、標ヒロさんという野草研究家の方の本に、「その人に、必要な薬効を持った植物は、すぐそばに生えてくる」といった記述があり、人にはそれぞれパーソナルな関係を持った植物があるのだなと思い、ふむふむと、植物と人間の関わりについて興味深くいたのでした。
そんなところから、それぞれ、自分の茎や枝や葉、花を頭から生やしてみんな生きていたら平和でいい景色だな、と思ったりして、2011年の震災の直後などは特によくそんな絵を描いていました。
今回紹介していただいた絵は、今年の5月にあお山ヒュッテさんで予定していた展示「Open Flowers」に向けて、小さなお話とともに描いたものです(今回の展示は初めての試みで、オンラインでの展示とさせていただきました)。
お話の中で、主人公が山登りをしている最中に、息苦しい霧に包まれて流した涙をきっかけに、植物をかみしめたことから、頭から花が咲き、心や世界に変化が生まれるストーリーにしました。実はこのストーリーは、今、世界中に広がっているウイルスのことを少し意識して描きました。
世界中の人びとの行動が、生き物や自然全体に影響を及ぼしていて、様々な生き物が、それぞれ様々な思いをしている。悲しいことも、楽しいことも、それぞれの特別で大事な感情であり、けれども世界を俯瞰してみると、それは特別ではなく、みんなそれぞれが頑張って悩み苦しみ喜び分かち合って生きて、そして、いなくなっていったりする。それはまさに生きていることそのものであり、完成された自然の一部でいることなんだと思いました。
けれどやはり、不安のあるとき、辛いときやくるしいときは、みなで頭からお花でも生やしていたいのです。そんな景色を想像して、絵を見ていただいた方が少しでものんびりとゆったりしたピースフルな気持ちになれたらいいな、と思っています。
「Open Flowers」に寄せた小さな物語は、あお山ヒュッテさんのnoteのページからいまでもご覧いただけるようなので、もしご興味があればぜひ読んでみてください。
(そういえば、チューリップを生やした彼、元気にしているかな。)
感情を大切に扱い、分かち合い、生きていることそれ自体を肌で感じる。完成された自然の一部として自分を意識することは、壮大でもあり身近でもあり、きっと外界との関わりを改めて浮き上がらせてくれるはずです。自分の中に根を下ろしているであろう種や、咲いている花に目を向けて、それを慈しむこともあたらしい心身への手掛かりではないでしょうか。皆さまが、ひかげを探して自分を労ったり、のびやかに光に照らされたりしながら歩んでいけますように。