人に伝えるために生み出した言葉は、自分がものを見るときにも返ってくるので、ものの見方が豊かになる。
電線について伝える活動を行うようになったことで変化したのは、異なる分野において何かを熱心に愛好する人たちとの出会い。その出会いから生まれたものについて語ります。
石山:私が電線を撮った写真を人に見せると、どの部分がいいと思ったのか、よく聞かれるんです。最初はうまく言えなかったけれど、自分がいいと思うポイントについて、あらゆる角度から細分化して、人に説明できるようになっていって、語彙が増えました。人に伝えるために生み出した言葉は、自分がものを見るときにも返ってくるので、ものの見方が豊かになったと思います。
たとえば、ここに机の傷がありますよね(と言いながら目の前の机についた引っかき傷を指差す)。この傷を見て、「風に吹かれたうさぎみたいな形だな」と思ってみるか、ただの傷と見るかで、世界は一気に変わります。何でもないものに対しても、自分の気持ちひとつで楽しめるようなものの見方を身につけておくのは、いいことなんじゃないかなと思っているから、私はその入口としても電線をおすすめしています。大人になると、お金を出して自分から関わっていったり、相手が関わってくれるような遊びが増えるから、忘れがちになってしまうんですけど、個で完結するような遊び方を見つけると、日々が結構楽しくなります。
自分のペースで発信しないと、疲れてしまいます。
自身について「わりとのんびりした人間なんです」と分析する石山さん。自分のペースで好きなものを愛することについて、こう話します。
石山:私は、わりとのんびりした人間なんですよ。だから電線が好きなのかもしれなくて。電線は一見不変不動のもののように見えるかもしれないけれど、ある日突然これまで気づかなかった電線を見つけることもあれば、逆に昨日まであった電線がなくなっていることもある。動かないものを対象にすると、自分のバイオリズムの変化によって、見えるものが変わってくるのが面白いです。
自分が関心を持っているものに対して、「短期間に絶対にバズらせる」みたいな目標を持って発信することができる人もいると思うんですけど、私は多分、そういうことをするとあまり好きではいられなくなってしまうし、疲れてしまいます。自分のペースで発信しながら、自分が発信したことについて、長い時間をかけて考察する作業をしていくような向き合い方が、自分には合っていると感じています。
石山:電線について発信するようになってからは、お仕事においても、少し考え方が変わったかもしれません。いただいたお仕事をきちんとやり遂げることも、すごく大切なことです。ただ、どうしてもお仕事をくれる側の人が主軸になりやすいので、自分も先方の動きと一緒に揺さぶられてしまうことがあると思うんです。自分から発信することについては、自分で主動権を持つことができますよね。電線について発信するようになってからは、ほかのお仕事がないときもそれだけに振り回されず、「それなら私はこれをやってみよう」と、自分から動いてみることができるようになったと思います。
長い時間をかけていけば、「逃げた」と思わずに、まったく違う分野で自分の好きなことを見つけることもできるんじゃないか。
「好き」について、自分らしい速度で歩み続けることを大切にしている石山さん。幼い頃から、目まぐるしい芸能の世界でお仕事をしていたからこそ、自身のペースを保つことの大切さを、より実感するようになったそうです。
石山:芸能の世界は、浮き沈みが激しいんです。でも、売れている/売れていないとか、有名/無名みたいなことって、長いスパンで見ると、そのときどきの状態でしかないと思っています。
「年収1000万円稼ぎます」とか「コンテストで優勝します」というような、はっきりした目標を立てて、そこに向かっていくことにももちろん価値があるけれど、私を含め、そんな風には何かを成し遂げることができない人の方が多いと思うんです。でも、「それはその人たちのための仕事だったんだ」んじゃないかって。そこで「自分は何も成し遂げられなかった」と思わなくていい。薔薇園のようにたくさんの美しい花が咲いていて、みんなが素敵だと言う山があったとしても、ちょっと視点をずらしてみると、名もない野草ばかり生えている山も、登ってみると案外面白いかもしれないですよね。
石山:それを逃げだと言う人もいるかもしれないけれど、長い時間をかけていけば、「逃げた」と思わずに、まったく違う分野で自分の好きなことを見つけることもできるんじゃないかなと、日々私も考え考え、生きています。急がず、時間をかけてのんびり進んでいくのも、悪いことじゃありません。子どもの頃から超競争社会の中で生きていたので、私も人と自分をまったく比べていないとは言い切れないですけど、ずっと沈まない程度にぷかぷか長く浮いているような生き方もありなんだと、最近は徐々に自分自身を認められるようになりました。