世界で8番目に貧しい。だけれど、楽天的で穏やかな人々が暮らすブルキナファソという国の魅力。
シアバターの生産を中心に、村の衛生面における啓発活動、マラリアの予防活動、村の保育園の運営など行っている「ビソンゴ」。江田さんは、この団体と共に4年間シアバターの生産に携わってきました。ここで江田さんの経歴をご紹介します。
haru.:慶子さんは、長年国際協力の舞台で活躍されています。大学卒業後にNGOで働かれて、後に青年海外協力隊としてブルキナファソへ行かれていました。そこで、4年間シアバターの生産に関わる女性組合で活動されて、イギリスの大学院に進学。開発学を学ばれていました。現在は、国際協力機構のJICAでアフリカ企業の支援などをされています。今もシアバターには関わられているんですよね。
江田:ご紹介ありがとうございます。はい、関わっていますね。
haru.:ブルキナファソはどのような国なんでしょうか。
江田:ブルキナファソは西アフリカに位置する、共和制国家です。1960年にフランスから独立。他のアフリカ諸国のように鉱物など資源に恵まれない上に、基幹産業である農業の生産性も低いため、一人当たりのGDPは550ドル。国連が発表している人間開発指数でいうと188カ国中181番目、つまり世界で8番目に貧しい国になります。識字率は28.7%と非常に低く、文字を書いたり読んだりできる人は3人に1人もいない計算です。日本の皆さんからすると、近隣諸国のガーナやコートジボワールでさえ豊かな国のイメージがないと思いますが、ブルキナファソからすると憧れの地。出稼ぎにも行きます。
数字でみると負の面ばかりですが、貧しい生活の中でも人々は楽天的で穏やか。協力し合いながら生活を営んでいる国です。
haru.:ブルキナファソの4年間はどのような暮らしだったんですか?
江田:最初の2年間は青年海外協力隊として行き、残りの2年は「ビソンゴ」の支援をしていました。彼女たちがより働きやすいように経営改善や、シアバターの品質向上、働き方を検討したり、ビソンゴを軸に様々なことをしていました。お金もなかったので、JICAに働きかけて短期ボランティアとして行かせてもらったり、NGOから派遣という形で働かせてもらったり、工面しながら過ごした4年間でした。
haru.:ブルキナファソに強い思いがあったんですね。
江田:でも、最初は全く知らない国でした。もともと、国際協力の世界でずっと働きたいと思っていて、青年海外協力隊に入ったんです。国の希望を出せないので、偶然配属されたのがブルキナファソでした。住んでみたら、とても居心地が良くて。
ブルキナファソは、どのような暮らしぶりなのでしょうか。写真を拝見すると、貧しい生活の中でも楽天的で穏やかな人々の人間性が伝わってきます。現地の写真を用いながら、江田さんが丁寧に説明してくださいました。
江田:ブルキナファソは国民性がすごくいいと言われていて、みんなよく働き、犯罪も少ない国です。観光地は何もないのですが、一度行くと好きになってしまうとよく聞きますね。
haru.:写真も素敵な笑顔ばかり。私は、江田さんが当時書かれていたブログ「えだまめファソ」で、その雰囲気や人間性を垣間見ていました。
江田:恥ずかしい(笑)、ありがとうございます。最初の3か月くらいは生活に慣れなくて、おかしくなりそうでした。でも、次第にその魅力に私も惹かれていきました。すごく穏やかで、ほんとうに楽しい人たちなんですよね。子どもたちの笑顔も印象的です。
江田:これは、学校の給食です。豆が混ざっているご飯を小さなバケツに入れて、取り分けて食べます。バケツは料理や洋服を洗うのにも使うのですが、お皿代わりにもしています。学校給食がない日も多く、お米はぜいたく品とされているので、子どもたちはすごく喜んで食べていました。炭で炊いているので、すごく美味しいんですよ。電気を使わないので効率は悪いんですけど。
江田:こちらは、結婚式の時の写真です。ヒツジやヤギの肉を合わせていますね。向こうの結婚式は誰でも来ていいので、何百人も集まってしまいます。
haru.:村中の人がやってくるんですか。
江田:そうそう、招待されなくても結婚式に参加していいんです。御馳走を食べるために行く人も多いです(笑)。村の人にとっては唯一の娯楽のような感じですね。みんなで踊って、食べて、お祭りのようでとても楽しいです。結婚式だからお金もかかっていて。ふだんは稗や粟など、穀物を丸めて主食にするので、お米はぜいたく品です。
haru.:慶子さんが、鳥を持っていますね!
江田:支援のお礼などでもらうんですよ。みんな、庭で鳥を飼育して繁殖させて食べるので、私も自分の庭で30匹くらい飼っていました。身が引き締まっていて、美味しいんですよ。