皮膚みたいだとおもった。
飴屋さんをはじめて見たのは、舞台の上にいる彼だった。着ている服が、まるで彼の皮膚みたいだった。首の後ろにあるホクロとか、足の小指のうっすら残った火傷(やけど)の痕みたいに、気づいたらいつの間にか一緒に生きていたような、そんな服だった。彼がふーっと吐きだす空気が布になって、ぬるんと身体を包(くる)んだみたいな、生き物のように身体についてまわる服。それは、ボロボロでヨレヨレなのに、きちんとしていた。選ばれた服だという雰囲気があった。演劇じゃないところでも彼が着ている服は、やっぱり常に皮膚だった。
彼には、くんちゃん(くるみ)という小学5年生の娘がいて、彼女は小さな頃から彼の演劇によく出演している。演劇の中でも、演劇の外でも、彼女と彼女に着られている服は、うれしそうに戯(じゃ)れている。彼女の為にこの世界に生まれてきたような、そんな喜びの光をこぼしている。
2017年の夏みたいな秋に、彼の演劇を観た。くんちゃんも出ていた。配られたチラシを読んでいると<衣装・コロスケ>と書いてあった。コロスケさんは、くんちゃんのお母さんだ。
人は見た目じゃないかもしれないけれど、服は人だと私はおもう。
人と会うとき、だいたい人は服を着ている。私は、人の顔とか名前だとかはすぐに忘れるけれど、服のことはよく覚えている。私にとって、人を認識するということは、服を記憶することなのかもしれない。
そんなことを話したら「私も飴屋にはじめて会った日の、飴屋の服を覚えています」と、コロスケさんが言った。それは、ブルーのチェックのブラウスで、袖のリブの部分が長い女性用のものだったそうだ。
「飴屋の着ているものって、実は結構良いものなんです。でも、あまりにもずっと着ているから、ちょっととんでもない感じになってしまう。これを着て寝るし、起きてもこのままだし。ずっと服と一緒に居る」
その日、彼が履いていたズボンは、コロスケさんのものだった。ずっと昔にコム・デ・ギャルソンでふたりでお揃いで買って、今もふたつあるけれど、彼の方は何度も直してボロボロだから、今日はコロスケさんのきれいな方を履いてきてくれた。その日、くんちゃんが履いていたズボンは、彼のものとよく似ていた。
「女の人の服のほうが、かわいいからいいね。コロちゃんもボクもオリーブとか読んでいたよ。デパートも、伊勢丹のレディースとかたのしいよね。くんちゃんが女の子でよかったよ」
私はヒトに憧れている。人じゃなくて、ヒトになれたらどんなだろうとよく考える。私は彼の『教室』という作品を観たときに、この心はこのままでいいんだ、と少し救われた気持ちになった。
人が形式的に恋人や家族を作ったり、守ったりしていくことを、私はまだなかなか理解できない。ヒトみたいに、もっと動物のようになれたら気持ちがいいのにとおもってしまう。
『教室』は、飴屋さん、コロスケさん、くんちゃんの3人が出てくる作品で、たまたま隣にいた男と女が授精してヒトがうまれて、それがくんちゃんだった、という話だった。それだけじゃないのだけれど、それがすべてだったような気もする。
家族は他人です。そうやって育てられてきた私は、18歳の時に「あなたもう立派な大人なんだから、もうパパとかお父さんとか呼ばないでボクのことは名前で呼びなさい」と父親から言われた。少しヒトに近づけた気がして嬉しかった。
父親も母親もよく勉強ができる人で、私はちっとも勉強ができない人だった。学校や塾から呼び出しをくらっても「できないことは個性だし、家族といっても他人だからね」と言われ、7点のテストを栄誉だといって、リビングの壁に貼られたりした。
「ああ、私はこのふたりに育てられて幸せだなあ」とおもった。けれど、年を重ねれば重ねるほど、ふたりが私の中で生きているような気がしてしかたがない。
毎日の中で、それを感じる瞬間はたくさんある。服にまつわることも、もちろんある。
父親が赤という色を大切に着る人だったから、私は赤に厳しいし、穴が開いても構わず着続けるところは、服が溶けるまで着続ける彼を見てきたからだとおもう。
服を選ぶときに、まるで母親に選んでもらっているかのような錯覚に陥るくらい、私は彼女と感覚が似すぎている。
「私、くんちゃんがどんなものがすきでも、どんなことをしても、なんでも受け入れられるのだけれど、服に関してだけは、それができないんです」と言うコロスケさんは、未来の私であってほしい。
いつの日か、隣にたまたま大切な人が居て、大切な人がうまれて、彼らや彼女らに服を選んだり、着させたりする日が私にも来るといいな、そんな未来を撫でてみたいと、結構強くおもった。