「あれ? こういう生き方をしたかったわけじゃないんだけどなぁ」という事態に直面したとき、あなただったらどうする?
あっさり退いてしまうのか、腹を立てて投げ出すのか、自分と対話しながら、策を練って粘ってみるのか。
今は過去の蓄積のうえにある。
未来は、この瞬間の延長線上にしかない。
そのことをようやく身をもって実感した私は、思いつく限りのことを試して、ときに静かに踏ん張って、自分の描いている未来を叶えて、味わいたいと思うようになった。
この連載では、ライターの梶山ひろみが、そんな過程を辿ってきたであろう女性たちに、原点を感じる1枚の写真を選んでもらい、当時から今日に至るまでの話を聞いていきます。
「本当はこうありたいのに」という理想と現実のズレを感じている人が、実はもうすでに理想に通じる種を手にしていることに気付けたり、はたまた、方向転換の必要性に気付けたりする視点が生まれる連載になればと思う。
まずは今日や明日をどう過ごそうか。
そのヒントを見つけにいきます。
ジュエリーとファッションに投影された唯一無二の思想を辿る
「持ち主にとって、ジュエリーが小さな同志のようであれ」
トルコ語で“お守り”を意味するジュエリーブランド「muska」を主宰する田中佑香さんは、2012年のブランド設立から現在まで、そんな願いを込めて全てのアイテムのデザインを手掛けてきた。
18kゴールド、天然石やパールなどを使ったmuskaのジュエリーには、それぞれに自然や文化をかたちづくるエレメント(要素)が投影されている。しかし、一見しただけではそのエレメントが何なのかを見分けるのは難しい。たとえば、水のエレメントのイヤリングは、次々に形を変える水の特性を左右非対称のデザインを施すことで表現するといったように、田中さんのフィルターを通したものだから。エレメントとそこに込められたストーリーを知った途端、自分とジュエリーの間に特別な感情が宿る。私の場合は、それが誓いや覚悟だったり、「今日もきっと大丈夫」という安心感だったりする。
2018年にはパートナーと共に会社を設立し、muskaの活動と並行してウィメンズウェアブランド「FEMALE GIANT」をスタート。私が田中さんと出会ったのは、その準備の只中だった昨年の初夏。「女性向けの洋服ブランドに女巨人と名付けるのかぁ」と驚き、今まで出会ったことのなかったその美意識に感化され、「そんなあり方もかっこいいよね」と自分のなかに新たな女性像が加わったのだった。
ときに目を塞ぎたくなるほど「あ、これ見たことある」という物事が溢れるこの時代に、田中さんの思想が、言葉が、彼女から生み出される造形が、見たことのないものばかりでその度に感嘆してきた。この人は、一体どんな毎日を積み重ねてきたのだろう。そんな疑問を抱えて蔵前にあるアトリエを訪ねた。
「あなたはそのままでいい」。トルコで触れた人・祈り・自然から感じた愛と許し
田中さんが原点を感じる1枚として選んだのは、muskaを立ち上げるきっかけとなったトルコ旅行で撮影した写真だ。現地で目にした風景が、旅に出るまでは「ものすごく疲れていてボロボロだった」という田中さんの心を大きく揺らし、その後の活動に変化をもたらした。
田中:街にはコーランが流れ、人々はモスクに入れ代わり立ち代わり出入りして、ものすごく敬虔にお祈りしていました。だからといって、彼らみんながいわゆる“いい人”なのかといえばそうではなく、商人なら商魂たくましく、お母ちゃんならわーっと子供をあやして……。そのさまが「神様と自分との間に正義とか忠誠があればそれでいい」という感じで、とてもエネルギッシュだったんです。「人は祈ることでこんなにパワフルになれるんだ!」と衝撃を受けるのと同時に、そのパワフルさの根底に流れる人々の安心感のようなものに気付いて。モスクの中は天井に向かって自然や幾何学の文様で埋め尽くされていて、まるで小宇宙のようで。そこに佇んでいると自分が自然や宇宙のようなものと一体になったような感覚になって、彼らの神に身を委ねる暮らしというものが少しわかった気持ちになりました。
今回の写真は、市街地を後にし向かったカッパドキアで気球に乗ったときに撮影したもの。火山の噴火と侵食により、天に向かって尖った岩が連なる様子を空高くたゆたう気球から無言で見下ろした。
田中:私はすごく小さくて、自然はすごく大きい。自分は小さいがゆえになんでもしていいんだ、なんでもできるんだと思えました。荒々しく広大な自然の一部で人はがちゃがちゃと賑やかに生きているけれど、それって自然に「そのままでいいよ」と許されて、愛されているからなのかなって。
人と祈りと自然。それらが教えてくれた安らぎに感銘を受けた田中さんは、「ほんの少しでもこの感じに似た感情を抱けるようなジュエリーを作りたい」と、muskaという名でコレクションの制作を始める。
“心身のくせ”への対処法を知ることが、自分に自信を与えてくれる
田中さんがアクセサリーの製作を始めたのは、大学2年生の頃。とあるお店で目にしたアンティークビーズに惹かれたのがきっかけだった。大学卒業後は彫金を学び、金工のアトリエに所属。技術を磨きつつ、自分の作品を作りためていた。当時、自分の作品として扱っていた素材はビーズや真鍮など、muskaで扱うゴールドや宝石に比べると、色や形が変化しやすく、耐久性の面で大きな違いがあった。「長く使えるものを作りたい」という想いはあったけれど、ジュエリー(宝飾)というジャンルに飛び込むことへの憧れと恐れで一歩を踏み出せずにいた。
田中:もちろん一生懸命作っていたけれど、長く使えるものを作れていないという部分に自信がもてなくて、それなのに私の作品を「かわいい」と思って買ってくださる方がいることにしっくりきていなくて。だからといって宝飾の仕事を一生かけてやっていくんだと考えたときに、「今のままでは通用しないぞ」「“これが私です”と宣言できるほど、まだ本気を出せていないぞ」という焦りも感じていました。
すっきりと晴れない気持ちとともに、体の調子が優れない時期が続いていた。突然様々な食べ物にアレルギーが出て、頭や顔に湿疹ができ、ステロイドを手放せなくなった。同時期に婦人科系の疾患を患っていることもわかり、田中さんが「ボロボロだった」というように、“普通の生活”を送ることができないほどだった。しかし、この時期に「自分の心身のくせみたいなもの」と徹底的に向き合った経験が今の田中さんの日々を支えているともいう。2年間に渡り、食べたものを記録し、瞑想やヨガ、アーユルヴェーダなど、自分が心地よさを感じるものに触れ、対処法を探っていった。
田中:人にしてもらうんじゃなくて、自分でしてあげられる対処法を見つけることができると心強いですよ。自分以外の誰か、たとえば“あの店のあの人”を頼るのもいいけれど、自分で自分の体を整えることができると、それが大きな自信になります。あの頃は、おちるところまでおちてしまって辛かったけれど、そこで見つけた対処法が今の自分をサポートしてくれていて。「今調子が悪いのは、気圧が落ちているから」とわかっていれば、「とりあえず寝ておけば大丈夫」というふうに下手に落ち込まなくなるし、それができるようになればいろいろなことにトライしやすくなるんじゃないかな。
「人の心配事って、あまり当たらないのかもしれない」。父の死から学んだ自分の感覚を基準にした走り方
トルコから帰国後、2012年のクリスマスシーズンからmuskaのアイテムは都内のセレクトショップで販売開始。それ以降、「世界樹」「Stirring(攪拌)」など、田中さんのその時々のモードを反映したユニークなコレクションを展開してきた。シンガポールでの生活、一時休業を経て、2018年秋にはウィメンズウェアブランド「FEMALE GIANT」をスタート。ジュエリーに続き、唯一無二のコンセプトを掲げ、アイテムを世に送り出してきた。
20代の終わりから今日に至るまでの7年間を走り続けてきたなかで、トルコを訪れる前のように悩むことなどなかったのだろうか。
田中:私、本当に動物みたいな感じなんですよ。だからといって迷わないというわけではなく、散々迷った挙句、全然違う方向に走ったりね(笑)。
FEMALE GIANTで洋服を作ることを決めたときも周りから相当驚かれたという。それはそうだろう。デザインは田中さんが手掛けるとしても、それを商品として生産するまでには、各工程で専門的な技術と人の手、そしてお金が必要になる。それは承知の上で、まずは旗を立てて、走り続けてみたという。その姿に動かされた人がさらに人を呼び、この春には2シーズン目となるコレクションを発表した。
田中:ここ数年は、とくに動物のような動き方をしてきたんですけど、それは死に向き合うことが多かったことが影響していると思います。父親に続いて飼っていた猫が亡くなったり、乗っている飛行機が落ちそうになったり。とくに父の死を通して、「人っていつでも死んでしまうんだ」ということに気付いたのは大きかったです。私の父は病気を抱えていて転倒しやすい人だったんですね。だから、「自分は転倒が原因で死んでしまうのでは?」と心配して、保険もたくさんかけていたんですよ。でも、実際は寝ている間に逝ってしまって。それを見たときに、「人の心配事って、あまり当たらないのかもしれない」と思うようになりました。それからは、すごく考えはするけれど、最終的には、数字や計画性など、頭で考える部分ではないところで決断してきた気がします。
最後にトルコに旅に出る前のどんよりとした気持ちを抱えていた頃の自分に声をかけるとしたら、なんと声をかけるのか聞いてみた。これはそのままかつての自分と同じような気持ちを抱いている人への田中さんからのメッセージでもある。
田中:「そんなに不安にならなくても、どうにかなるから」でしょうか。もし今、あの頃の私に声をかけるとしたら、きっとあなたが想像すらもしない未来が待っているから、本当に幸せだな、楽しいなと感じることを全力でやればいいよと伝えると思います。今いる場所がなんとなく居心地が悪くて、自分がいるのにいないような感覚になったりしても、ただ心と体に耳を済ませて、大事にしてあげて、琴線に触れるものにどんどん関わっていけばいい。どっちの方向で実るかわからなくても、あるがままの自分の心と体を愛して生きていたら、きっとすごく素敵で楽しい人たちに出会えると思うからです。
私が本当に幸せだな、楽しいなと感じることってなんだっけ?
目の前の作業をやめて、ちょっと時間をおいただけでシチュエーション、人やお店、いくつかのイメージが浮かんできた。それはつまり何に、どんなふうに触れることで、自分の心が「あぁ、たまらない」と持ち上がるのかを、すでに知っていたということだと思う。それをいくらでも追求していいのに、他のことに気持ちや時間を配ってきた自分が不思議だし、惜しく感じた。誰にも何にも遠慮することなく、次々と喜びの種をまいていい。カッパドキアの上空で田中さんが感じたことって、もしかしたら今の私が感じていることとそう遠くはないのかも。田中さんが分け与えてくれた“この感じ”を、私はここのところじんわりと噛み締めている。