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ハロー・ナイストゥミーチュー・ガールフレンド
Vol.2楠田ひかりさんに会いに行く

ウルフの作品や川上未映子さんの『夏物語』から考えたこと

連載:吉野舞のハロー・ナイストゥミーチュー・ガールフレンド
インタビュー・テキスト・撮影:吉野舞 編集:竹中万季
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「子どものころは、『好きです』って言ってもそれだけでよかったよね。でも、ある年齢を越えるとまるで暗黙の了解のように、なぜ性行為をしなければならないのかなと思って」

吉野:ふと性別の問題を考えた時、そもそもこんなことを考えること自体不思議だなって思う時があるの。普通に生活する中で、寝ようとしたり、ご飯を食べているときに自分の性別が女性か男性かなんて気にしないでしょう。でも、自分の性を意識した時から社会のルールや誰かの視線が気になり初めて、不自由になっていっている気がする。んー! ただ生きてるだけなのにややこしいな。

楠田:そうだね。She isの「Girlfriends CLUB」で、川上未映子さんも「のびをしているとき自分の性別は意識しないよね」っておっしゃっていて、ほんとにそうだと思った。私は電車通学をしたことがなかったから、痴漢に怯えることなく学生生活を送れたし、女性だから大学に行くなと言われることもなかった。だから大学院でフェミニズムに出会うまで、女性が性別を理由に不当な扱いを受けているということをほとんど意識せずに生きてきてしまったんだよね。もちろん、意識せずにいられるという自分の特権性にも気づいていなかった。だけどある出来事がきっかけで、自分が女性であると意識させられることに強烈な違和感があるということを自覚した。これは公募でも書いたことなんだけど。

吉野:「男性のパートナーと付き合ってはじめて、私は自分自身の身体を女性として扱うことへの違和感に気づいた」という文章の一部だね。あの言葉、特に印象に残っています。どんな違和感なのか聞いてもいい?

楠田:たとえば子どものころは、「好きです」って言ってもそれだけでよかったよね。でも、ある年齢を越えるとまるで暗黙の了解のように、なぜ性行為をしなければならないのかなと思って。好きな人に触れてみたいという気持ちは分かる。でも性行為をするというのがよくわからなかったというか……。自分でもまだうまく言えない部分もあるし、公募で書いたときから変わっていることもあるけれど、「男性の相対的なものとしての女性」というふうに自分の身体を使うことへの違和感がすごくあった。それは、川上未映子さんの『夏物語』(2019年)の主人公・夏子が抱く違和感を読んではじめて言語化できたことだと思う。

だいたいセックスができるとかできないとか、それはどういうことなんだろうか。肉体的になら、わたしは大人の女性で、普通の性器があるのだから、物理的には可能なはずだった。じゃあ、できるのだろうか。いや、とわたしは思った。わたしの性器は、わたしがさっきさわって確認した性器というのは、そういうことのために使うものではないような気がした。わたしの体のこの部分は、そういうことのために使うものではない。わたしははっきりそう思った。性器ならわたしが子どものときからあった。大きさやかたちは違っても、子どものときにもわたしには性器があって、そのことじたいはずっと変わっていないのだ。子どもなら使わないで当たりまえだったものをいまのわたしが使わないからといって、なぜそれがおかしいことのようになってしまうのだろう。わたしの一部が変わらなかっただけなのに、なぜそれがこんなおかしなことになるのだろう。(『夏物語』川上未映子著、471ページ、文藝春秋)

吉野:『夏物語』、読みました! 読み終えた後、主人公の夏子が性行為を前にして感じていた違和感は、自分もどこか心の片隅で思っていたことだと改めて気付いて。それに性行為自体、学校でも誰も教えてくれないじゃんと思って。みんなほとんど独学でしょう。考えてみると、性教育って大人の視点でつくられていると思わない? だからそこには十代が性行為をすることに対しての大人の偏見が入っているなと感じていて。授業で習ったことで実際に役に立っているのは本当に少ないよ……。

楠田:そうだね。疑問は他にもあって。性教育で生理は、「赤ちゃんを産むための準備」って過剰に意味付けされていることや、性行為の説明はせずに受精の話だけをして、性行為=男性と女性が子供をつくるためにするものとしてしか教えないこととか。この本には、夏子の姪の緑子という、小説の第一部の時点では12歳頃の女性が出てくるんだけど、彼女は生理への違和感から、どうして女性は子供を産むことを押し付けられないといけないのだろうということを考えていて。年齢的には私自身は、緑子と夏子のあいだにいて、将来子どもを産むかもしれないし産まないかもしれないけれど、生理がきたら子どもを産むことができる身体になっていくことに違和感がある緑子、自分の子どもに会ってみたいと思いながらも性行為に違和感がある夏子、二人の惑いのどちらもものすごく自分にとって切実な問題だと思った。

「女性について語るなかで忘れちゃいけないと思っているのが、『女性』という言葉が掲げられるときにさまざまな人を排除する可能性をはらんでいるということ」

吉野:そういえば、小学生くらいのときに読んだ大島弓子さんの『いたい棘いたくない棘』という漫画の中に、こんな会話があって。

「その恋ってーそのどのようなところから判断するのか。せっぷんしたいと思うことかい!?」
「それもある。だが、それよりかんじんなのは、いっしょにいたいと思うことさ」
「夜も昼も食事もねむるもついていたい。ふれていたい。よろこんでもらいたい。手だすけしたい守りたい」
(『さようなら女達』大島弓子著、白泉社文庫、274ページ)

恋愛のかたちは人の数だけあって、「人を好きになる」ことの正体は決して性欲ではないと、大島先生もこういうふうに書いていて。もちろんその行為自体を否定するわけではなく、ただ違和感を覚えることも否定できないと思う。楠田さんが感じた違和感も「こうしたらいいよ」っていう答えを導き出すことはできない。でも今は、出会いや結婚、子供を産むかたちは人それぞれ選んでいける権利がある。だから、もし同じような問いを抱えている人がいたら、私が川上さんや大島さんの本を読んだ時に感じたように、「恋人同士だからと言って肉体関係をもつことがあたり前ではなく、それぞれのカップルが納得する方法を追求し、自分も相手も一番心地よく思う関係を築いていけたらいい。」って思えるようになったらいいな。様々な思想を覗くことができるのは文学が持っているひとつの役割だから。そして、一緒に考えていければいいよね。

楠田:ほんとうにそうだね。「これは私の物語だ」と思える作品に出会えるのはすごいよろこびだよね。その一方で、「私の物語」が他の人にとってはぜんぜん自分のものとは思えないことも当然ある、ということをつねに考えている。ここまで「私自身が」女性として生きることについて話してきたのは、やっぱり何かの総体として「女性」というものについて語ることは難しいからだと思う。それに、女性について語るなかで忘れちゃいけないと思っているのが、「女性」という言葉が掲げられるときにさまざまな人を排除する可能性をはらんでいるということ。

吉野:人を排除する可能性?

楠田:自分は生まれたときに割り当てられた女性という性別と、今自分自身が生きていくなかで認識している性別が一致しているシスジェンダーの女性だから、私が「女性」という主語を使うとき、自分を基準にして考えてしまっていないかということ、そして誰かが「女性が」と言うとき、そこには誰が含まれていて、誰が含まれていないことになってしまっているかということをつねに考えています。ある人びとの属性や置かれている状況を名づけてまとめることは、連帯できる可能性も持っているけれど、そこには含まれない誰かを作りだしてしまうことでもあるから。ウルフも、排除によって成り立つような共同体ではないかたちで、人びとの結びつきを模索していたんじゃないかと思っていて。

吉野:え、ウルフも? どんなふうに模索をしていたの?

楠田:たとえば、第二次世界大戦が迫るなかで書かれた『三ギニー』は、ある弁護士の男性が同じ中産階級の女性に「どうすればわれわれは戦争を阻止できるとお考えですか?」と尋ねた手紙に対する返事という形式で書かれたエッセイなんだけど、そのなかで、返事を書く語り手の女性は「アウトサイダー協会」という架空の組織を構想していて。アウトサイダーというのは、裕福な男性中心の社会から排除された人たちのことです。協会の構成員であるアウトサイダーたちは、何かを「しない」という方法で自らの主張を伝えようとするんです。たとえば教会に行かないことで、これまで女性たちが、教会での雑用とか、どれほどの役割を無償で担っていたのかを気づかせようとする。不在によって自らの存在を示すんです。アウトサイダー協会には会長や役員もいなければ入会金も必要ない、誰でもその架空の組織の一員になれる。ただアウトサイダーでいるということだけが条件です。だから「アウトサイダー協会」という名前はついているけれど、それは誰かを排除するためではなくて、むしろ排除された人たちの存在を可視化して、つながるためのものなんだよね。

アウトサイダーは、国籍や民族という点から考えれば女性だけを指していたとは言えないけれど、『三ギニー』は男性中心主義社会を批判するという主旨だから、ここで言われるアウトサイダーは基本的には女性であるように読める。たとえば、当時女性は結婚したら国籍が結婚相手の男性の国籍に変わってしまっていた。語り手が言うには、戦争によって「国を護る」と言われても、結婚したら「護るべき国」が変わってしまう女性にとって、そんな大義名分は自分には無関係なものだった。そういうふうに、女性はつねに社会の外側(アウトサイド)にいました。でも、戦場に行かなければならなかった若い男性たちも、権力者のせいで犠牲になった人たちだから、そういう意味では抑圧される側だった。だからウルフは、ゆくゆくはアウトサイダー協会に男性も入りうる未来を構想していたんじゃないかと思います。

吉野:ウルフはあの時代から、ジェンダー関係なく、誰かから抑圧され困難な状況にあった人たちを結びつけるかたちを既に構想していたんだね!

楠田:ウルフの意図を越えるかもしれないけれど、現在の視点から考えれば、アウトサイダーというのはジェンダーに関係なく不安定な状況下にあるすべての人を潜在的に含んでいたんじゃないかな。だから、困難な状況にある人たちが領域を越えて連帯する可能性を示すという意味で、アウトサイダー協会は今もなお有効な考え方だと思っています。それに、『三ギニー』は未来に向けて書かれた本だと思うんです。語り手が「時間がない」と繰りかえし言うように、戦争が目の前まで迫ってきているなかで、戦争の原因である男性中心主義的な社会を根本的に変えることを目指していたから。ウルフが未来の私たちに投げかけて80年以上経った今でもまだ達成できていないので、彼女が目指した世界を実現させるために、考え、書きつづけていきたいと思っています。

自由を求めたウルフの言葉たちは、時代を超えて響くわたしたちへのエール

吉野:今回、楠田さんと話してて特に重要だと思ったのは、とにかくあきらめないで考えること。どんな言葉もすべての人のものだけど、想像力を働かせた一方で排除の可能性が含まれているということに改めて気づいたし、あらゆる主題で自分の価値観も大事にしつつ、他人の価値観も大事にしていく。もちろん間違っていると思ったことは言うべきだけど、そうじゃないときにはそういう考えもあるって柔軟になって聞いていけたらいい。ウルフが模索していたように、考えて発言していくことが、身の回りにあること、ジェンダーや社会の問題をひとつ前に進めていけ方法だと力強く思いました。最後に楠田さんの夢を教えてください。

楠田:ヴァージニア・ウルフから川上未映子までの、20世紀以降の家族にかんする小説史を書くことです!

吉野:応援しています! 今日はインタビューを受けてくれて本当にありがとうございました。ウルフのことも勉強できてよかった。話に登場した川上未映子さんもこの記事を読んでくれたらいいな。いつか川上未映子さんと楠田さんの対談もShe isで見てみたいです。これからもお互い楽しく胸をはって生きていこうね。また会いましょう!

「たくさん話したね」と笑った後、変な達成感を感じ合い、手を振りながら別れた。その後、私はまったく時計を気にしておらず、もうこんな時間だったのかと驚いた。そして、彼女と話し終わった後、自分がこれまでと別の世界にいるような気分になった。女性であれ、男性であれ、社会が「かくあるべし」という考えが浸透しているところは現代の社会背景にもまだ残っている。20世紀に生きたヴァージニア・ウルフと現代の私たち、一瞬関わりがないと感じる中で、ウルフの本を読むと時代を超えた問題に直面する。そう、わたしたちは過去の人物からのエールをうけとっているのだ。性別を解放する前に、まず自由になるのはきっと私自身だろう。そして、自分や社会の問題に向き合って、性別にとらわれない社会を考えていく。
帰り道、日差しの中で輝くように咲く黄色い花を見つけた。この花を見つめるような真っ直ぐな気持ちで世界のものごとをこれからも探っていこう。

集合写真は駅前の銅像にインスパイアされたポーズで撮影!

Girlfrendたちの希望を秘めた連載「ハロー・ナイストゥミーチュー・ガールフレンド」は第3回へ続く…

PROFILE

楠田ひかり
楠田ひかり

1995年神戸市生まれ。一橋大学言語社会研究科博士後期課程在学中。
イギリスの作家、ヴァージニア・ウルフについて研究しています。とくに、フェミニズム、後期モダニズム、家族・生殖がテーマの文学に関心があります。
ウルフは、日常を埋めつくす取るに足らない出来事のなかから一瞬の閃きが生じることを描いた作家です。彼女に出会って以来、雑多な繰りかえしの日々を生きていくことと、読むことや書くことのなかで感知できるものを地続きに考えたいと思っています。

吉野舞
吉野舞

1995年生まれ。淡路島生まれ、育ち。
写真を撮ったり、文章を書いたりしています。
座右の銘は「人生の大体の出来事は、自分のせいで人のおかげ」。
今、東京。

INFORMATION

吉野舞のハロー・ナイストゥミーチュー・ガールフレンド
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どう日々を過ごし、何を夢見て、何に打ち破れているのかを知りに、会いに行く

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昨年の冬、家で95歳の祖父を看取りました。はじめ「看取る」つもりが、「診る」こともできず、ただ「見る」だけで過ぎていった時間。誰かが死ぬということは、死なれた人々にとっても重大な出来事で、みんなそれぞれ悲しみのリズムを持っている。生きていくのが日常なら死んでいくのもまた日常の中、つなわたりをしているような夜に書いていた日記と愉快な家族の話。そして、同じ時期に撮った写真を載せてます。新聞紙型サイズの両面印刷。

ookinimaido

ポスター販売

zineのに出てくる写真でポスターをつくりました。A2サイズの光沢紙。全5種類。お送りの際はきちんと梱包します。

ookinimaido

「ひびとずれ」

阪神淡路大震災から26年目の1月17日に「ひびとずれ」を発行しました。震災当時、生まれたばかり、お腹の中にいた、94年、95年生まれの者が、震災との距離についてそれぞれ考え、書いた文章の集まりです。(この度、楠田ひかりと吉野舞も参加しています)
PDFでダウンロードし読めますが、ぜひ紙に印刷し、読んでいただくことを推進しています!

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【印刷推進設定】
A3カラー・両面・長辺(横)とじ・2枚を1枚にしない

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