2017年、いま日本に暮らしている女性のなかで「女性について」語ろうとするとき、まっ先に名前があがるのはきっとこの人、作家・川上未映子さんでしょう。『乳と卵』(2008年)で『芥川賞』を受賞したのち、『きみは赤ちゃん』(2014年)では定型化した出産の描写をたった一度きりの個人の体験として描き直し、この9月に刊行される『早稲田文学増刊 女性号』では、82名の書き手が全員女性となる一冊の責任編集を務めるなど、女性について書き、語る第一人者です。そんな川上さんは、私以上でも、私以下でもない「私」であるために、社会と戦いながらも、過去も現在も未来も含めた人間をしっかりと見て、愛することができる人。そんな川上さんに、She isの最初のインタビューをお願いしたいと考えました。
「女」や「男」、「結婚」や「出産」……どういう選択をしたとしても、これで大丈夫なんだろうかと不安になったり、何かの輪から疎外されている気分になるのは、人は選ばなかったもう片方の人生を生きられない、一度きりの人生を歩む生き物だから。でも、「人生は一度きり」ということを強烈に意識しながら生きて、考えて、書いてきた川上さんの言葉に触れると、もう少し自分の人生に勇敢に向き合って、そして肯定してもいいかも、と思えるんじゃないかと思います。そのきっかけをくれる彼女もきっと、誰かにとっての、未来からきた女性、なのだと思う。お茶を飲んだり、ちょっと休憩したりしながら、どうぞ最後までお読みください。
「いろんな女性がいる」ということがようやく知られてきました。
川上:She isっていい名前ですよねえ。
—ほんとですか、ありがとうございます……。文法的にはまちがっていると思うんですが、「彼女は存在する」という意味を込めていたりします。いま「彼女」と言いましたが、川上さんは「女性」について書いたり語られることを積極的におこなわれていて、『早稲田文学増刊 女性号』では82名が全員女性の書き手という特集を組まれましたよね。
川上:はい。
—いま「女性」について語るときに、何を指し、どう捉えているのかということをうかがいたいです。『早稲田文学増刊 女性号』の川上さんの巻頭言でも、「女性という言葉にはご存知の通り、様々な問題が付随しています」と書かれていますが、今回なぜ女性の書き手だけに絞ったのかということと、女性という概念をどう捉えているのかを聞きたくて。
川上:いまはおそらく、実際の人間関係にくわえて、SNSでの投稿や記事を読んだり、人と交流したりすることでまた別の現実ができあがっていますよね。基本的に人は自分の守備範囲のものをフォローするものだけれど、でもそのなかで例えば、自分からは遠い環境にいる人たちの様々が──海外で暮らす人だったり、学生だったり、主婦が毎日どんなふうに暮らしていて、どんな状況で子育てをしているかを綿密に綴った文章などが、Twitter でものすごく拡散されることがあります。就労状況などもそうですよね。そういうものを見ると、「女性」というものに本来あったはずの多様性みたいなものが可視化されてきたなという感じがするんです。
—「女らしさ」みたいな何を指しているのかわからないふわっとした概念じゃなくて、もっと具体的に個々の「女」の魂が立ち上がってくる感じ?
川上:うん。「毒親」という言葉なんかも、子どもの辛さをみんなが出すことによって共有されてきましたよね。「いろんな人がいる」「いろんな状況がある」ということが知られてきている。さまざまな声が増えたし、同じ気持ちや考えを、あるいはまったく違うそれらを持つ人たちがこれだけいるんだ、という感覚が共有できるようになりました。
昔は「保育ママ、集まれ!」みたいな張り紙を電柱に貼って歩かないとどこに自分の問題と関係のある人がいるのかわからなかったけれども、今は同じ問題意識を持った人たちと繋がることができますよね。言葉に対してもそうです。たとえば「女子力」とか、広告における女性の扱いなどに対して総ツッコミが入る時代になったというのは、私はいいことだと思うんです。
—それでいうと、最近取り沙汰される「ポリティカルコレクトネス」(政治的に適切な政策や用語を推奨するという意味から派生して、人種や性別、宗教、文化の違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現をもちいること)の塩梅についてはどう思われますか?
川上:「ポリコレ棒」とか「ポリコレ疲れ」なんて揶揄や、あるいは賛同も建設的な意見交換も含めて本当にいろいろなことが言われていますよね。もちろん不毛なことが圧倒的に多いんだけれど、でもそうした状況は、始まったばっかりなんじゃないですか。まだ疲れたなんて言わせない(笑)。
—(笑)。「怒り」の話って興味深いと思っていて。「そんなにずっと怒っていたくない、できれば機嫌よくありたい」という気持ちと、「怒らなきゃいけないときは怒るべきだし、そして事実、怒ることは相手のなかでおざなりになっていた優先順位を上げることでもある」という気持ちの両方がないまぜになります。
川上:うんうん。
—川上さんとこうしてお話していると、包まれる感じというか、めちゃくちゃあったかくてなんでも話したくなってしまうような気持ちになるのですが、エッセイは怒りの濃度が高めなものも多いから、そのバランスをどうされているのだろう? と思って。
川上:そうですねえ。エッセイで言うと、フレシネ(『日経DUAL』の連載「川上未映子のびんづめ日記」はもともとサントリーのお酒「フレシネ」のタイアップ記事としてはじまり、女性の生き方、働き方についての率直な意見と提案が大きな共感を呼んだ)が溜飲を下げる飲み物みたいになっていて(笑)。あれ、よくやらせてくれたなあ。フレシネがエナジードリンクみたいになってましたよね(笑)。
—(笑)。連載の最終回、「フレシネ」という言葉が出てくるときに、カタルシスすらありました。
川上:うふふ。でもね、負のエネルギーや攻撃が何も生まないってことは、そんなのもちろん、みんなわかってるんだよね。それに、そもそも怒りじゃなくて異議申し立てでしょう。意見や異見の表明じゃん。だからSNSの行き過ぎた誹謗中傷なんていうのは論外なんだけれど、「私たちは、こう思う」「これはNOだ」という態度を表明することがこれからのベーシックになればいいと思っています。
私が好きじゃないのは、「ネガティブなことを言ったらそのネガティブさが自分に返ってくる」みたいな引き寄せの法則みたいな話で、そんなのは我が身がかわいいだけじゃん、と思ってしまいますねえ。思いません?
—ああ、たしかに、よく考えると自分のことしか考えていない法則なのかもしれません。
川上:社会や世界に何も問題がない、ハッピーなことしかない、って感じられる人ならそれはそれで完結しているし素晴らしいんだけれど、言うべきことも意識もある人が「嫌われたくない、みんなから好かれたい」とか「きらきらしていたい」というようなポジティブさで蓋をしても、それはやっぱりもたないよね。
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