高専在学中にAV女優として活動を始め、デビュー当時から今に至るまでアダルトビデオ界のさまざまな賞を受賞している紗倉まなさん。歌手やタレントとしても活躍の幅を広げる一方、近年は小説家としても活動しており、AV女優を志すことで、母や家族との関係が変わっていく姿を描いた小説『最低。』(2016年)が、実写映画化されることになりました。周囲から偏見を持たれやすい職業を通して、自分自身の内面や家族と向き合う時間も長かったという紗倉さんに、家族のことから、自分自身の心を守る方法まで語っていただきました。
裸一貫になる仕事を始めたことで、覚悟が決まった。
─はじめに、紗倉さんがAV女優をめざした背景には、どんな思いがありましたか?
紗倉:AV女優に興味を持ったきっかけは、父親のAVを盗み見したことで(笑)。出られていた女優さんがとても綺麗で、堂々と裸を見せられる潔さもいいなと思い、その美しさに感動したんです。18歳のときに自分で事務所に応募したときは、裸になることへのあこがれをもった状態だったので、世間で言われるような抵抗感やマイナスなイメージはなくて。むしろ「なりたい職業に就けて嬉しい」という感覚でした。
─AVに出会ったときの原体験に、美しいという感動があったんですね。
紗倉:美しいと感じるものは他にもありましたけど、その女性の裸が頭にはりついて、「こういう女性になりたい」とこの職業に就いて。でも、自分以上に周りの戸惑いが大きかったですね。「なぜAV?」「ほかにやりたいことはなかったの?」「失うものも多いのに、ちゃんと考えたの?」……そんな質問の嵐を受けて初めて、あまりポジティブなイメージを持たれていないことに気づいたくらい、もともと偏見がなかったんです。むしろそのときに、自分と他人の常識って全然違うんだなと驚きましたね。
─本来ならば、なりたい職業に就けることは喜ばしいことなのに、周りからの偏見が拭いきれないというギャップがあったんですね。
紗倉:AV業界って女社会で、団体戦より個人戦なんです。私生活でも家族との衝突や恋人からの誤解が生まれやすいから、悩む人も多いと思います。もちろんどんな人にも悩みはあると思うけれど、AV業界というのは、世間と本人の認識のギャップが大きいので、人間の寂しさや孤独がより浮き立つ場所なんですよね。
ただ、私はもともと友達があまりいなくて、AV女優になる前から寂しさや孤独を感じやすいタイプで。文字通り「裸一貫」になるこの仕事を始めたことで逆に覚悟が決まったというか、寂しさは続いているんだけど、新しいことにチャレンジしたり、それに対応している時間も長くなって。
日々いろいろな変化があるので、よく自分を深堀りする作業をしているんです。どうしてこの仕事をしているのか。なんで続けているのか。裸になる意味はあるのか。どういう気持ちで向き合っているのか……って。自分を深掘りする作業を繰り返すことで、もともと持っている孤独や寂しさとひとつずつ向き合っている部分もあるのかもしれない。
自分で自分を肯定できるようになりたい。
─今回、紗倉さんが原作を書かれた『最低。』が実写映画化されましたが、多様な生き方を選択した複数の女性たちを俯瞰的に捉えているのが印象的でした。そしてとにかく映像が美しいですね。
紗倉:題材がAVなのでどういう声があるかなと思っていたんですけど、想像以上に女性からの反響が大きくて嬉しいです。私はAV女優の潔さに惚れて、そこに価値を感じていて。体をさらけ出すということに美学を感じているし、私自身、常に意識しているわけではありませんが、承認欲求もあると思います。身体が綺麗とか綺麗じゃないとかは関係なく、自分をすべてさらけ出した状態でまわりから認めてほしいというか。
映画『最低。』予告編(オフィシャルサイトを見る)
─他者に認められたいという気持ちがあった。
紗倉:AVを始めたばかりの頃は、特にそうだったかもしれません。他人に対して「こっちは裸一貫で勝負しているんだぞ!」という強気な気持ちを持っていたというか、脱ぐことで相手を納得させたいような、変な見栄がありました。でも今はそういう気持ちはなくて、これ以上さらけ出せることはないし、飾ることもできない状態なんだと気づいて。その状態の自分を自分で認めるしかないと思うようになってきました。
もちろん私も普通の人間なので、心ないことを言われれば傷つくし、「自分なんて」と自信がなくなることはあります。でも、悲劇のヒロインのような状態を表に出したくないし、周りからの反応をいちいち気にしていると疲弊してしまう。だから今は自分で自分を肯定できるようになりたいですね。口で言うほど一筋縄ではいきませんが。
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