「エロ」は、「齧る」とか「噛み付く」といったイメージ。
今月の特集テーマ「ほのあかるいエロ」は、企画の途中まで「あかるいエロ」という名前がついていました。でも、極端に明るくも極端に暗くもなく、いつもの自分で語りたいという思いから、あかるさをちょっと調整して「ほのあかるいエロ」になりました。はらださんは、テーマを初めて聞いたときにこんなことを思ったそうです。
はらだ:まず、「あかるい」ということは光源がどこかにあるなと。どこからその光が射しているのか気になって。太陽光なのか、蛍光灯なのか、スマホの画面なのか、自分のなかから発しているのか、誰かに照らされているのか……。でも途中で「ほの」がついたことによって、体温っぽさが感じられて、より自分のなかから光っているという印象が強くなりました。
あかるさを灯された「エロ」ですが、なんとなく暗く隠されたイメージが蔓延しているのが現状かもしれません。そんな「エロ」という言葉そのものに対して、はらださんはどういう印象があるのでしょう。
はらだ:「齧る」とか「噛み付く」というイメージです。物理的に齧る、ということはもちろん、自分の神経に噛み付くとか、相手の魂に噛み付くとか、マンネリズムに噛み付くとか。隠されているものを捲ったり、日常で覆われていて、なんとなく文化の結晶みたいなもので隠されているものの根源を暴いたり、自分の口のなかに入れて確かめるイメージです。
She isの9・10月の特集「未来からきた女性」に寄せてくれたコラム「昭和30年にセクシーな衝撃を与えた鴨居羊子のこと」でも、「セクシーとは『何かを暴かれそうなこと』だと思う」と書いていたはらださん。覆われているものを齧って暴いていくためには、齧る対象に気づく必要があります。でも、なかなかその対象には気づけない人も多いはず。無自覚の欲求に気づくためにはどうしたらいいのでしょうか?
はらだ:私の場合は、自分の知らないことを、自分の知らないところから取り出すのは不可能だと思っていて。齧るということで言うと、たとえば、アダムとイヴの話。へびがアダムにりんごを齧らせたのも、そもそもへびがいなければ起きなかった話ですよね。誰かと接触したことによって初めて気づきが生まれるんだと思います。
下着は、自分に意味を付加するためだけに纏うものであってほしいと思います。
レギュレーションを壊し、自分の欲求に触れるための道標を呈してくれるはらださん。身近な秘め事のひとつである下着について、そしてもっと根源的な「纏う」ということについても、ふつうであれば見落としてしまうような目から鱗の考えが溢れます。
はらだ:布や柄を纏うということは自分に意味を付加することだと思います。たとえば、歌舞伎では衣装の模様に意味がありますよね。「三角形がいっぱい積み重なった模様はヘビってことなんで!」と見立てられて、それをさっと羽織ると、今ここから私はヘビです、みたいな。
つまり、一枚取り入れるだけで、自分じゃないもののパワーを装着したということになる。ふだん着ている洋服もそうだし、ましてや下着は外に見えないから、本当に自分のためだけに意味を纏うものだと思うんです。
ものごとのルーツに関心の高いはらださんは、そもそも私たちがなぜ下着をつけるようになったのか、そしてその変遷への疑問も投げかけます。
はらだ:そもそも今でいう「下着」って日本になかったものですよね。下着が普及したきっかけは、昭和7年に起きたデパート火災だという説があります。逃げ遅れた和服の女性たちが命綱を伝って地上へ避難しようとした。でも当時はショーツをつけている人はほとんどいなくて、着物が捲れると地上にいる人から見えてしまう。それで手を離して裾を押さえ、落下して亡くなってしまった。それがきっかけで下着が民衆に広まったそうです。
ブラジャーは、日本では洋装の普及とともに、プロテクターとして機能重視の「乳バンド」が誕生しました。でも、色がついたり模様がつくようになり意味が後付けされて、ブラジャーをしないといけないとか、上下揃ってないといけないとか、独自のルールが構築されていった。もともとはプロテクトするものだったはずだったのに、経年とともにそれが呪術のようになってしまって現在に至ったのだと思います。
選択肢は増えたはずなのに、知らず知らずのうちにルールのようなものが存在している下着。そんな下着だからこそ、今ある暗黙のルールを「覆したい」とはらださんは続けます。
はらだ:コルセットのように、下着が自分を縛るものになっているのだとしたら、それを覆したいんです。下着は、布を纏って意味を纏うということを、誰にも見せずに、誰のことも気にせずにできる唯一のものだから。自分に意味を付加するためだけに纏うものであってほしいと思います。
欲求って人生そのものだと思うんです。
そんなはらださんが今回She isのオリジナルプロダクトとしてデザインしたのは、本来男性下着であるトランクス。最初にトランクスを作ると聞いたとき、すごくいいなと思った、とはらださんは言います。
はらだ:トランクスって最初の「現代の下着っぽい下着」なんですよね。20世紀の初めくらいまでは、排泄用の穴がある全身タイツの下着を着ていたらしくて。それをHanes社が上下に分けて、今のトランクスに至ったそうなんです。それまでの下着のイメージから脱却するすごい発明品ですよね。
女性の下着ってどうしてもセックスのためとか、誰かに見せるためっていう意味を付加されやすいし、身体にフィットしてボディラインをきれいに見せないといけないというイメージがあると思うんですけど、それを覆すという意味で、「トランクスを作る」とお聞きしたときに、すごくいいなって。
女性に向けて「ほのあかるいエロのためのトランクス」をデザインするにあたって、はらださんはこんな文章を添えてくれました。
そんなエロの花が渦巻く夜をひらりと捲ると、バターみたいに強い光が差し込んでくる。とろりとした光に目を凝らすと生きている体が透けて見える。
少し、もう少しだけその裾をたくし上げてみて。
はらだ:生地がちょっと透けているんです。身体を隠しきらなくてもいいと思って。「架空の花」をモチーフにしたのは、目には見えない地下から芽を出して、形になって咲く、という植物のイメージを使いたかったから。最初は閉じていたり、隠れたりしているけど、生えてきて花開くということが、感情の波に似ているなと。
それに、花って人の目を楽しませる存在のように扱われているけど、別に花自体にはそのつもりはなくて、ただ生命活動をしているだけっていうところもいいですよね。
そしてそれが架空ということは、今までに知られていなくて、分析もされていないから、誰も定義できない野性的なものだと思って。そういう意味で、欲求を架空の花として描きました。
欲求を架空の花にたとえたはらださん。架空の花を指で捲った先には、黄色い光が強いエネルギーを放って描かれています。
はらだ:欲求って人生そのものだと思うんです。なにかが欲しいのは、今それを持っていないから。今ないものを手に入れたいと思ったり、または以前味わったものを近くまで手繰り寄せたいと思ったり……。
それを手に入れて、自分がなにを欲しがっていたのかに気づくから、また次のものが欲しくなると思うんですよね。あるいはそれが全く欲しくなかったんだって気づいて、別のものが欲しくなったりする。
その繰り返しが人生なんです。それを動かすエネルギー、人生を感動させてくれるエネルギーって、そういう欲求の仕組みの内側にあると思うので、架空の花を捲る、というモチーフにしました。
欲求とその先にあるエネルギーを描いた「ほのあかるいエロのためのトランクス」。はらださん自身がこのトランクスを纏うとしたら、どういう意味が付加されるのでしょう。
はらだ:このトランクスを履くことで、自分が本当に欲しいものや、本当に嫌なもの、本当に好きなものに気づくような気分になれたらと思います。こうでなくてはいけないと言われていることに対して「本当にやりたいのか」「本当にそうなのか」っていうことを追求していく気持ちというか。自分と対話して、自分と寄り添うためのものであってほしい。このトランクスが、みなさんにとっても、欲求に寄り添うきっかけになったら嬉しいです。
なにかに囚われていることにすら気づき得ないほど、私たちは自分と対話できていないのかもしれません。
本当にしたいことは? 本当に好きなものは?
欲求を知ることは、あなた自身を知ること。この「ほのあかるいエロのためのトランクス」を纏って、あなたの「本当」に優しく手を伸ばせば、その先にはあなた自身が放つ、目映い光が充溢しているはずです。
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