朝起きて、ご飯を食べて、学校や職場へ向かう。日が暮れる頃には家路について、眠る。休みの日になればちょっと気持ちをゆるめて楽しんだりもするけれど、頭の片隅には心配事がちょっとだけ顔を出している。ゆっくりと進むようで、光のように過ぎていくような毎日を、私たちは過ごしています。
She isでは、刺繍作家・イラストレーターのエヒラナナエさんに5月の特集「生活をつくる」のカバーイメージを刺繍していただき、今月のギフトとして、窓辺の風景を切り取った刺繍が施された「どこへだって行ける私たちのトートバッグ」を一緒につくりました。
生活の風景を刺繍に落とし込み、日記集『SOMEDAY』を出すなど日記を書くことがライフワークとなっているエヒラさんにとって、「生活をつくる」とはどういうことなのでしょうか? 日記を書き始めたきっかけや、カバーイメージとトートバッグの刺繍に込めた思いなどを伺うと、なんでもない日々に少しだけ工夫を施し、心を消費せず豊かに過ごしていくためのヒントが見えてきました。
生活を人に伝えたくなっちゃうのって、みんなが持っている感情なのかなって。
「生活」を辞書で引くと、「生存して活動すること、生きながらえること」、そして「人が世の中で暮らしていくこと」と説明されています。そんな生活の形跡を丁寧に記し、ZINEとして発表しているエヒラさん。なぜ日記をつけ、作品にして販売するというところまで至ったのでしょうか?
エヒラ:もともと小学生の頃から枕元にノートを置いていて、寝る前になにかを書いてから寝る習慣があったんです。今も枕元には人に見せない用の日記を置いています。人に見せることを意識して日記を書き始めたのは3、4年前くらい。
その時は家族の状況が変わって、それを機に自分も仕事を変えたり、住む場所を変えたり、生活をガラッと変えざるをえない状況になって。悲しみから抜け出せない毎日の繰り返しで、絵も描きたくない、刺繍もやりたくない、じゃあ、なんのために明日生きよう? って思ったんです。
そこで、「日記だったら1日を生き終えないと書けないから」と、日記を書くことを生きる意味にしてみたというエヒラさん。日々感じたことを写真とともにInstagramで公開していますが、それは「自分のための覚書のようなもの」だそう。日記はそもそもパーソナルなものだし、自分のための覚書であれば公開しなくてもいいかもしれないけれど、それでも日記を公開し続ける理由について、エヒラさんはこう続けます。
エヒラ:TwitterやInstagramを見ていてもそうですが、日々の生活を人に伝えたくなっちゃうのって、みんなが持っている感情なのかなって思います。向田邦子さんが愛人とやりとりしていた手紙や電報を妹の和子さんが公開した『向田邦子の恋文(新潮社、2005年)』という本、あと、谷川俊太郎さんのご両親が交わした恋文をまとめた『母の恋文―谷川徹三・多喜子の手紙(新潮社、1997年)』という本が好きで。
どちらも手紙を交換しているうちに、だんだん書いている内容が日記みたいになっていくんです。私も日記を書き始めた頃は、書くことで感情を消化していたけど、今はそれも薄れてきて、自分のためではなく、誰かに届けるために日記を書いているイメージです。
エヒラさんがInstagramで公開している日記
自分が忘れて、誰の記憶にも残らなかったら、その1日がなかったことになってしまう。
エヒラさんは日記をZINEとして売り始めた当初、読者から「恥ずかしくないんですか?」という反応があったことを笑いながら話します。
エヒラ:そもそも日記を売ろうって思ったのが、人間関係ですごく悔しいことがあったことがきっかけで。その悔しさを悔しいままで終わらせたくなくて、その出来事を文章にしてお金に変えてやろうって思ったからなんです(笑)。マイナスだったからこそ生まれたものを世に出せば、それを誰かが受け取ってくれることでプラスに転換するんじゃないかと思って。
日記を書き始めた当時、そこに書いていた日記の内容って自分の悲しみを書き出すようなものだったんです。だけど、気がつかないうちにだんだん、楽しかったこととか、何気ない日常を記録し始めている自分がいて。そういう当たり前の変化が自分では衝撃的だったんです。人間って、悲しみのなかでも生活が続く限り希望を見つけ出そうとする生き物なんだなあということを、日記を書くことで自覚できて。そういう変化とか毎日の尊さとかを、日記を売ることで伝えたいという思いもありました。
エヒラさんのZINE『SOMEDAY』
エヒラ:それに、自分ひとりで過ごした1日って、自分しか知らないじゃないですか。書き残さずに自分が忘れて、誰の記憶にも残らなかったら、その1日がなかったことになってしまうと思うんです。でも日記を公開すると、それを読んだ誰かの記憶になりますよね。なにか影響を与えるわけではなく、自分しか知らないはずだった生活を、誰かが思い出しているっていう状況がおもしろいなって。たとえば、もし自分が死んでも、自分が過ごした日々をいろんな人が覚えているって、安心感があって心強いです。
マイナスをプラスに転換する力の強さにも驚きですが、その瞬間の景色や、そこで生まれた感情、その日が確かに存在したことを書き記し、積み重ねていくことが、まさにエヒラさんにとっての「生活をつくる」ということなのかもしれません。
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