自分がいざ30代になってみたら……楽しいというか、楽です。
ーその「厄介さ」にたいして、「覚醒」しないこともできるじゃないですか。覚醒しないほうが楽でいられるように、いまの社会はできているところもあるというか。でも、違和感や不平等な現実に覚醒することで、個人の日々の心持ちから、その先にある社会まで、きっと変わっていきますよね。
『あたしたちよくやってる』には、その「覚醒」のきっかけがちりばめられていると思ったんです。とくに、世の中が考える年齢に対する価値観を揺さぶるような話が多かったように感じたのですが、山内さんは、女性の年齢や、加齢というものをどのように捉えているのでしょう?
山内:20代の前半は無敵ですよね。でも中盤くらいになってくると、だんだん心細くなってきて、後半にいたっては、年をとることが本当に恐怖に思えてくる。これは、リアルな実感でした。一般に女性は20代がピーク、みたいに言われますよね。だけど、30代以上の女性たちは、「歳をとったほうが楽しい」と言ってくる。どっちなんだろうって、ずっと思ってて。
自分がいざ30代になってみたら……あの人たちが言っていたことは正しかった! 楽しいというか、楽です。
ーそれはなぜでしょう?
山内:個人的には、自我との葛藤に一段落ついたのが大きいですね。自意識過剰とはおさらばして、とても自由です。そして、やりたいと思っていた仕事がやっとできるようになった。20代の頃は、自分を発揮する場がなかったので、とにかく苦しい、仕込みの時期でした。
20代って、まだ自分をつくりあげている途中なので、彫刻で言うなら型を大きく削っている状態。型を削るのは体力もいるし、ヘトヘトになりますよね。30代からはディテールの仕上げに入っている感じ。この先、ヤスリがけとか、塗装とか、ますます楽しい作業が待っているのではと期待してます(笑)。
「ふつう」の生き方を拒否して、変なライフコースをとってよかったなとすごく思います。
ーそれはすごく素敵ですね。『How old are you?(あなたいくつ?)』の話に、「三十四歳。それがあまりにも若いので、あたしはビデオカメラの前でつい、にやにやした」という一文があってハッとしたんですけど、たしかにもしも人生が100年だとしたら、30歳ってまだ全体の30%なんだなあと思ったり。
「自我の葛藤」という意味で言うと、本のなかで印象的だったのが、ご自身のエッセイ『わたしの京都、喫茶店物語』のなかで、「ああ、わたし、ついになんとかなったんだな」と書かれてあって。なかなか自分の形を確立することが難しいなかで、山内さんが「なんとかなった」と思えるまでに、自分のなかで「これはやってよかったな」ということや「これは大事にしていてよかったな」と感じていることがあれば、聞きたいなと思います。
山内:いろんなことを夢見て、試してみることかな。私は、決してなにかに秀でていたわけではない側の人間なので。だから、いまこうやって作家になれているのも、私が特別な存在だったからではないと、自信を持って言える(笑)。才能とかではなく、しつこく試してみたおかげで、道が拓けたんだと思ってます。
とにかく、いろいろトライはしてきたんですね。映画が好きだったので、映像学科に進んだり。高校の頃は写真もやってました。それは、明らかに才能がなかった(笑)。今日写真を撮ってくれてる石田真澄さんの写真集『light years -光年-』が素晴らしかったんです。写真の才能って、目の前にある対象を、あるがままに愛する能力なんだなぁと、しみじみ思いました。私にはそれがなかったんですね。でもだからこそ、『ここは退屈迎えに来て』みたいな、不満だらけの内面を言語化できたとも言える。自分の才能や、向いていることなんて、渦中にいるときはまったくわからないです。ただ、やってみないことにははじまらない。
ー夢を変えながら、進んできたんですね。
山内:でも、「小説家になりたい」って言うのは死ぬほど恥ずかしくて……。自分でも、その夢を認めることができないほど恥ずかしかったです。ライターの仕事をして、文章でお金をもらえるようになったときに、一瞬、この職でいいかな、とも思ったんです。でもやっぱり、小説を書きたい。趣味で書くんじゃなくて、出版されてそれで食べていける人になりたいって思いました。その気持ちに嘘をつかずに、退路を断って25歳で上京しました。
25歳って、まわりの人はもう何者かになっていたり、なりはじめていてもおかしくない歳ですよね。女性なら結婚とか出産がリアルになってくる、立派に大人な年齢。なんだけど、そのタイミングでようやく自分の夢を認めて、向き合ったんです。その時点で世の中の流れからははずれているし、抗っているんですけど、いま考えれば、「ふつう」の生き方を拒否して、変なライフコースをとってよかったなとすごく思います。
ーまわりと違う生き方をすることには勇気がいると思うのですが、そのとき心の支えになっていたものがあったりしましたか?
山内:それはもう、ドリュー・バリモアの言葉ですね(笑)。「リスクを冒さないのは人生の浪費だ」。『デート・ウィズ・ドリュー』(2004年)っていう、クイズ番組で賞金を獲得した冴えない男性が、憧れのドリュー・バリモアとデートしようとするドキュメンタリー映画のなかで、ドリュー本人が言った言葉です。
ついにご対面したとき、その男性のことを、ドリューは褒め称えてくれて。一般人が自分とデートしたがって映画撮ってるって、けっこう迷惑だと思うんですが(笑)。上京して、吉祥寺のぼろアパートで、新人賞に送る原稿書いているときにその言葉を聞いて、泣きましたね……。
ーふつうだったら、「リスクを冒すほうが浪費だ」と言われてしまいそうなところ、その逆のエールをもらったんですね。
山内:その言葉には続きがあって。この映画は、昔からドリュー・バリモアの大ファンだったという男性が、1か月以内に彼女とデートする、という目標を掲げたドキュメンタリーなのですが、ドリューはそういう、わりとしょうもないタイプの夢にたいしても、無条件で肯定的なことを言っていて。
「人生でこだわってきた何かを、自分の本当にやりたいことにつなげる。自分が本当にしたいことを理解して打ち込む。夢を持って生きている人は多いけど、最初の一歩を踏み出すのは怖くて難しいわ。実現はおろか、試してみることすらね。でも、あなたは行動した!」
まさにその時の自分が、ビクビクしながら一歩を踏み出したところだったので、励まされました。お守りになった言葉です。