法律のように形あるものから、なんとなく従わなければならない気がしてしまう空気のようなものまで。私たちのまわりには、大きさや手触りもばらばらな、たくさんのルールが存在しています。
ルールに沿わないことをいかにできるかがかっこいいという思いで生きてきて、固定観念を打ち破りたいという気持ちでSHE IS SUMMERをはじめたというミュージシャンのMICOさん。彼女の新曲“嬉しくなっちゃって”のMVを撮った映画監督の穐山茉由さんは、会社員としてアパレル企業で働くかたわら、30歳から映画制作を始めたという異色のキャリアの持ち主ですが、MICOさんとは対照的に、見えないけど存在している「こうあるべき」といった価値観を気にして生きてきたタイプだったそう。
ルールや規範に対して、対照的な意識を持ちながらも、自身のなかに芽生えた疑問や違和感を見過ごさずに歩んできた二人。それぞれがぶつかったり飛び越えたりしながら手さぐりでつかまえてきた、ルールとのちょうどよいつき合い方について、お話を伺いました。
「社会人になったらずっと同じことをしていなきゃいけない」っておかしいなと思うんです。(MICO)
─お二人は穐山さんの初長編監督作『月極オトコトモダチ』が上映された際のトークイベントで初めてお会いになられたそうですね。
MICO:配給会社の方から「二人は合いそうなのでトークイベントをやりませんか?」って連絡が来たんです。作品を観てみたら、作中にずっと流れている優しさみたいなものが、自分にすごくしっくりきて。
穐山:そのときに、MICOちゃんは自分と似た感覚を持っているなと思ったんです。私の作品には、説明しないとわかってもらえない部分もあるんですけど、その核をストンと受け止めてもらえて話せたから。『月極オトコトモダチ』は「大人の男女間に友情は存在するのか」というテーマを描いている作品で、「恋愛感情を飛び越えろ。」っていうキャッチコピーがついているんですけど、恋愛や友情のあり方について「すでに名前がついている形じゃなきゃいけないのっておかしいよね」というような話をしていて。そういった固定観念みたいなものへの考え方の部分で自然と通じ合えたんです。
─お二人とも、立場や年齢によってついとらわれてしまいがちな「こうあるべきだ」という像にしばられず、ご自身の道を切り開かれている部分が共通されているように感じます。MICOさんはミュージシャンとして活動しながらデザインの学校に通ってオンライン上の雑貨店「LIFE LETTER」を開いたり、穐山さんもアパレル企業で働きながら映画監督として作品をとったり。
MICO:人生って長いなと思うんですよ。だって、どんどん長生きになっているじゃないですか。昔は自分の寿命って70歳くらいなんじゃないかと思っていたけど、もしかしたら100歳くらいまで生きるかもしれない。でも、70歳から100歳まで伸びたら、その間に30年もある。
─30年って、決して短くない期間です。
MICO:私は今20代後半なので、産まれてから今までと同じくらいの期間ですよね。しかも、0歳からしばらくは、自我が芽生えていないからほとんど記憶がない時間だったにも関わらずこんなに長く感じているのに、最初から自我が芽生えている状態で30年間過ごすと思うと、気が遠くなるくらい長いし、それをあと何セットやるんだろうって(笑)。人生どこで何があるかわからないから、そう考えるとなおさら好きなことをしたいし、人生はめちゃくちゃ長いんだから、できるだけ好きなことをいっぱいした方がいいんだろうなって。
私が飽き性だからかもしれないけど、「社会人になったらずっと同じことをしていなきゃいけない」っておかしいなと思うんです。学生の頃は中学と高校で部活が変わったり、通う学校が変わったりするのに、社会人になるとはじめからずっと肩書きが一緒っていうことに違和感があります。
よく「二足のわらじ」だと言われるけれど、自分が気持ちのいい状態を求めていたら、自然とそうなっていた感じで。(穐山)
─大人になってから人生の方向転換をしづらい社会であることも、途中で変える選択をしづらい理由になっているんだろうなと思います。MICOさんはもともと変化に対してまったく抵抗がなかったんでしょうか。
MICO:10代の頃バンド(ふぇのたす)に入ったタイミングで、それまでとは全然違う自分になれたことが楽しかったんです。人はきっと何回でもこんな風に変われるし、変わることは危険なことじゃなくて、楽しいことなんだって、そのときにインプットされたんだと思います。
それに私はもともと自分のことが嫌いで。毎日「なんで生きてるんだろう」って思うくらい幸せじゃなかったから、失うものが何もなかったし、変わることがまったく怖くなかった。いったん変わることは楽しいっていう経験をしちゃったから、「バンドのボーカル」という肩書きみたいなものを持ったあとも、変わっていくことが怖くなかったんです。
穐山:私はずっとアパレル企業で会社員をやっていたので、すごく堅い業界というわけじゃないけど、社会人として求められるものがそれなりにあったし、見えない何かに縛られながら生きていて。ファッションは好きだと思っていたことなのに、仕事にすると数字や責任が乗っかってきて、苦しくなっちゃうこともあったりしました。そういう部分がまったくない仕事ってないと思うから、それはそれで受け止めていたし、会社員としての仕事も、社会を知るうえで大切な部分があると思うんです。
一方で、そこで満たされなかったり、こぼれ落ちてしまう大事なものを別の形で表現したい思いもあって。ラッキーなことに、好きなことはたくさんあったから、写真をやってみたり、バンドを組んでみたり、やれることはまずやってみて。
MICO:へー! バンドも!
穐山:そう(笑)。そんななかで、ようやく見つけたのが映画なんです。私はよく「二足のわらじ」だと言われるんですけど、自分が気持ちのいい状態を求めていたら、自然とそうなっていた感じで。次の段階として、仕事として映画だけに絞って向き合っていくべきなのかは、今もまだちょっと考えているところがあって。この先の人生まだわからないし、そのときの自分の気持ちに合った状態を見つけていきたい。映画一本でやっていくべきだと思っている人からすると、中途半端だという意見もあるかもしれないけど、私はそういう自分の気持ちに誠実でありたいなって思っているんです。
『東京国際映画祭』にも出展された『月極オトコトモダチ』
MICO:絶妙なバランスでいろいろなことをやっているからつくれるものもあれば、伝統工芸の職人さんみたいに、起きてから寝るまで時間を使っただけ磨かれていく技もあると思うし、時間の使い方って悩みますよね。自分がどういうものをつくりたくて、そのためには何をしないといけないのかは、私もすごく考えてます。
─そのバランスって正解がないからこそ難しいですよね。人生のタイミングによっても変わり続けるはずだし。「二足のわらじ」という言葉が出ていましたけど、複数の環境に身を置いているからこそ見えてくるものや、生まれてくるものもきっとあると思います。
穐山:ある業界の当たり前が、ほかの環境から見ると当たり前じゃないことはありますね。例えば、映画を撮っている人たちにとってはインディペンデントな映画をたくさん観ていることが普通だけど、まったく関係ない業界の人たちからしたら、映画なんてシネコンに年に何回か行くくらいだったり。どっちがいい悪いじゃなくて、今自分がいるのとは違う世界があるって、実感を持って知っていることで、冷静になれるんです。私は一つのことに没頭しつつも、どこか引いて見ていたいタイプなので、そういう環境に身を置いていることはものづくりにとってもためになるなと思いますね。
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