アミとユミのどっちかが「楽しくない辞めたい」と言ってきたら、もう一人は無条件で「いいよ」と言う。(亜美)
90年代にデビューしたPUFFYは、当時の「女性二人組ユニット」としては一風変わった、Tシャツ、ジーンズ、スニーカーというスタイルで、日常の喜びと、日々のあわいに浮かぶファンタジー的感覚を歌い、独自の地位を築きました。「若さ」や「消費される存在としての女性」という価値観が現在よりも一般的だった時代において、PUFFYのお二人自身は「消費されること」についてどのような意識を持っていたのでしょうか。
亜美:アミもユミも初めてのことが多すぎて、本当に毎日必死に仕事をしていただけなので、「消費される」という意味もわからないまま「消費されないために」何かをしたこともなく、次から次へとやってくる大きな波に逆らうことなく、ふたりで小舟で漂ってたら25年ほど漂流していたという感じです。
大切にしていることといえば、アミとユミのどっちかが「楽しくない辞めたい」と言ってきたら、もう一人は無条件で「いいよ」と言う。ということぐらいです。
由美:奥田(民生)さんからは音楽の楽しさを知ってほしいということでした。見え方や見せ方は当時の大人の皆さんがものすごい考えてくれていたとは思いますが、とにかく今思うと自由にやらせてもらってたんだと思います。なので自分はそのような余計なことを考えずにいられたのがよかったような気がします。
「音楽の楽しさを知ってほしい」と話していたというプロデューサーの奥田民生さんが、1997年にPUFFYの3枚目のシングルとして手がけたのが、今回、FRISK WHITEのCM楽曲として提供された“サーキットの娘”。23年前にリリースされたこの楽曲について、お二人は当時、そして現在、どのように捉えているのかを伺ってみました。
亜美:奥田さんがご自分でこの曲をとても好きだと仰っていたのを覚えています。レコーディング自体は、今とはまったく違うアナログな録音方法の時代だったので、一つの音を決めるのにも時間をかけ、機械では出せないニュアンスやヨレのようなものを「味」として大事にしていたように思います。
わたしたちもとても好きな曲ですし、歌っていても楽しく、PUFFYの名曲の一つだと思っています。2020年になってもこうして採用していただけることが、良い曲は色褪せないという確証と自信に繋がり、少し威張ってみようと思いました。
由美:ステージでもよく歌っている曲です。今は皆さんに知っていただいているので色んなアレンジをしたり遊べる楽曲になったと思います。
誰に何を言われても、誰がどう思っても、同じことを自分もしているし、別にいいんじゃん? となるわけです。(亜美)
楽曲や、ダンスがつくりだすイメージから、しばしば「自然体」「脱力」のような言葉で語られてきたPUFFY。しかし、20周年を記念したベストアルバムを『非脱力派宣言』(2016年)と命名したように、お二人自身は、そうした世間からの呼ばれ方とは、異なる思いを持っていたのだそう。自分らしくいることを体現しているように見えるお二人ですが、亜美さんはこのように話します。
亜美:わたしたちは何も知らないまま、誤解を恐れず言わせていただくと、小さい頃からの夢だったわけではなくPUFFYとして活動することになったので、心構えも下積みも何もなく、先述の通り毎日必死でその日一日を終えることに精一杯でした。なので、脱力したことはないのでは……。むしろそのやり方すらわからないでいます。きっと奥田さんのイメージや衣装のイメージが強くて世間様にはそう思われたのかなと。
ですが、皆さんが思ってらっしゃるPUFFYが「ありのままのPUFFY」だと思います。それ即ち、アミユミからすれば「十分よそゆきだけど自然体だと思われてるPUFFY」です。
世間様からどの程度の自然体と思われていたのかは謎ですが、わたしたちが皆さんのお目に届く姿というのはカメラの前に立たされていることがほとんどだと思います。その状況で「自然体にしていよう」なんてスキルはわたしたちに装備されていないので、何の工夫もありませんでした。そんなわたしたちに用意された道はただ一つ、「諦めること」のような気がします。誰に何を言われても、誰がどう思っても、同じことを自分もしているし、別にいいんじゃん? となるわけです。