カテゴライズは便利さだけを楽しんで、悲しい気持ちが増えたら無視したらいいと思うんです。(売野)
—自分らしさの表現としては、ファッションやメイクなど「見た目」の部分も重要ですよね。
売野:パーソナルカラーって流行ってますよね。はじめは「自分ってこの色が似合うんだ!」って発見するための人を救うものだったと思うのに、いまはすっかり転じて「呪い」になっている面がありますよね。「事故」なんて呼ばれていますけど、自分のことではなく芸能人など他人の画像を見て「あー、またブルベ冬なのに淡い色の服着てて、顔色死んでる」みたいな投稿をTwitterで見ると悲しい気持ちになります。
—「べからず」が増えてしまった。
売野:カテゴライズは便利さだけを楽しんで、悲しい気持ちが増えたら無視したらいいと思うんです。いいところだけをとっていきたい。あと、私がなかなか逃れられないのがルッキズム。私、高校生の時より10kg太っていて。それを言うと誰かが「全然痩せてるじゃん」って言ったり、そういう他者が評価するルッキズムの茶番劇みたいなものが本当に嫌いなくせに、誰よりも私自身が「あー、痩せたい」「細いほうがいいな」って思っていて嫌になります。
それでもやっぱり少しずつ変わってきていて、自分が好きな90年代のランウェイの動画とかをたまに見ると、「みんなこんなにガリガリだったんだっけ?」って感じるんです。いまってモデルの体重の基準が変わったじゃないですか。そうやって社会に出て指標を示す人たちの体型が変わってきたから、私の意識も少しずつ変わってるんだな、と気づきました。
—どんなものを見慣れるかで何を美しいと感じるかも変わりますよね。人間は簡単に健康や快適さから離れたものを美しいと思うようになってしまう。それも文化の一端ではあるけれども、誰かの商売の都合でたくさんの人、特に女性の幸福や自信が損なわれてしまっている事態があまりに多い。
売野:本当にそうですね。メディアは価値観を先導する部分がありますから、メディアがそこのところを怠ってほしくないです。でも、かなり変わりましたよね? 女性の芸人さんの扱われ方とか昔よりはずいぶんましになった気がする。ひとつひとつの小さな変化が無駄じゃないなと思います。
—あいかわらず酷い部分もありつつ、新しい感性が出てきている。
売野:だから私はあんまり絶望してないです。若い人たちの考えかたが変わってきていますし。いまはSNSで世界中のことが見えるし、つながっているから、Z世代が環境問題とかにすごく熱心だったりするのも、他の国だけじゃなくて、日本にも少しずつ伝播している。だから私がまだ微妙に囚われてるルッキズムも、これからどんどん考え方が変わっていくんじゃないかな。
意見が変わったとしても、自分の核は変わらない。(売野)
—だんだんと自分自身の意識が変わってきているなかで、「自分」ってそんなに確固たるものじゃないな、という思いもあります。
売野:私の中では、誰もがある程度生まれ持った核のようなものを持っているのだろうな、と決着していて。もともと持っていた自分の核を、大人になってから他の人に発見してもらうことで、どんどん自分らしくなっていく。
意見が変わったとしても、自分の核は変わらなくて、そこにその人らしさというものがあるのだと思うんです。たとえば私は人に料理を作るのが大好きだけど、「女性はキッチンに立つもの」と決めつけるような価値観に対しては絶対否定的。幼いころは女性ってある程度そういう部分があるのかなと思っていたけど、いまはそんなことは絶対にありえないと思うように変化をとげている。好きだということは変わらないけど、考え方は変わりますよね。
—「自分らしさ」と言うけれど、その「自分」の中にもいろいろな自分がいるんだろうなと思います。
売野:自分という核の中のどこの側面を出せるかなので、表出するものはさまざまですよね。すごくやさしい人とごはんを食べるなら、一番やさしい自分の側面を外に出しますし。それは、自分が変わったわけでもなんでもない。
私はたまたま他人と違うところが多かったから、他者と対面することで自分の像を結びやすかった部分もあるかもしれません。でも、そうではない人だったら「自分らしさ」をイメージするのが難しそうですよね。でも無理やり定義する必要もなくて、生きづらさを感じたときに自分の核は道標として表れるから、そのときに発見すればいいと思うんです。無理に急ぐ必要はないから、それが何歳になってもいいですしね。
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