恋愛する人がマイノリティとなり、現在とは異なるかたちの男女のパートナーシップが一般化した近未来の世界を描いた『ルポルタージュ‐追悼記事‐』も話題となった漫画家・売野機子さん。現在のマジョリティ・マイノリティが逆転した社会が描かれ、当たり前となった価値観に対し異なる角度から考える視点を投げかけると同時に、人と人との関係で生まれる多様な感情の尊さが際立つ作品です。売野さんの作品で描かれる、さまざまな感情を抱えながら誰かとの関係性の中で少しずつ変化し、自ら選択をしていく登場人物たちを見ていると、「自分らしさ」は誰かとの関係性から浮かび上がってくるものなのでは、と気づかされます。
今回は、売野さんの作品を愛し続けているライター・翻訳家の野中モモさんが聞き手となり、「自分らしく?」をテーマにお話を伺っていただきました。今月の特集のメインビジュアルに寄せていただいた双子の女の子のイラストのお話をはじめ、今年9月に刊行された『売野機子短篇劇場』についてなどお話を伺う中で、さまざまな気持ちを抱えて生きる人たちの感情の機微を見過ごさずに寄り添う誠実さが伝わってきました。
自分と他者とで違う部分、それが自分らしいってことなのかなと思うんです。(売野)
—今回の特集「自分らしく?」に寄せて売野先生が描いてくださったのは、双子の女の子たちがおやつの時間を楽しんでいる場面です。1枚絵でもそれぞれの「キャラクター」が表現されていて、さすが漫画家! と唸りました。この発想はどこから?
売野:「自分らしく」というテーマで絵を描くことになって考えた時に、最初に浮かんだのがビリー・アイリッシュとアリアナ・グランデがハグしてる姿でした。何かのアワードを受賞した時だったと思うんですけど(『グラミー賞2020』)、あれはそれぞれが好きなファッションをして、好きな表現をして、それでも友情は損なわれるものじゃない……相手の自分らしさを認めている象徴的な姿のようで、大好きなんです。
次に思い浮かんだのが、娘の料理の食べかた。彼女はどんな料理でも手前から食べるんです。長いパンでも横向きにしてこうやって(幅が広いほうから)。
—それは変わってますね。端の細いところから口に入れたほうが食べやすそうなのに。
売野:「え、なんで!?」って思ってて、でも言わないでいたんですけど、そしたら娘に「ママは必ず左から食べるよね」って言われて。向こうからしたら私の食べかたのほうがおもしろい。それが私の考える自分らしさを象徴する絵。自分と他者とで違う部分、それが自分らしいってことなのかなと思うんです。イラストは双子にしているのですが、見た目は似ていても、コーヒーにミルクを入れるか、ケーキをどこから食べ始めるか、それぞれ違う姿を描いています。
—パーソナリティは生まれつきなのか、それとも環境で決まるのか? という話がよくありますが……。
売野:それに関しては、持論ですが、たぶん子育てにコミットした経験のある人はある程度生まれつきの性格はあるっていうのを知ってるんじゃないかな。実家の犬だって2匹同じ環境で育ったのに性格は全くちがいました。私も出産した翌日から、新生児室でたくさんの赤ちゃんを見ながら「持って生まれた性格があるんだなぁ」と思った記憶があります。
もちろん、もともとの性格の上に、育った環境による要素は積み重なっていきますよね。環境が幸運にももともとの性格にうまく作用するものだったなら、花が開くように隠されていた自分らしさも顔を出すような気がするし、環境が生まれ持った性格を壊してしまったり歪ませてしまうことも残念ながらあるでしょうね。それでも、私は理想主義的かもしれませんが、生い立ちにかかわらず大人になってから、人との関わりや選択の変化でいくらでもブロックされていた自分らしさが顕在化していくことってあると思います。それこそ60歳でも70歳でも。
自分らしさ──“自分とは違う相手の部分”を、おもしろいな、かわいいな、好きだなってお互いに思えた人が結果的に周りにいるんだろうと思います。(売野)
—いまは「自分らしく」という言葉が広告などに濫用されて、結局のところ自由になるためではなく消費を煽って現行の体制を維持するのに利用されたり、「わかりやすい個性を持っていなければいけない」というプレッシャーに悩んでしまったりすることもありそうです。
売野:なるほど。そういう悩みが生まれるのかもしれませんね。絵を描いた後に「自分らしさ」で画像検索してみたら、青空に向かって両手を広げている女性や男性ばっかりが出てきたんです。あれ? 私のイメージしていた「自分らしさ」って違ったかな? って。たしかに、これを求められていると感じたら苦しいかもしれません。
—そういうポジティブ! 解放! みたいなイメージばかりが強調されて薄暗い部分が押さえつけられたままだと、「自分」に焦点を絞ることでもっと大きな社会構造から目を逸らさせて、既存の制度や権力者の責任が問われないようにしているのでは……? と警戒してしまいますよね。売野先生は普段「自分らしさ」について意識していますか?
売野:私が広告上の自分らしさというコピーに感じる印象があるとしたら「それっぽいことを言って何も考えていないのかな」というものですかね。自分らしい、という言葉自体にはとても幸福でポジティブなイメージがあります。さっき、竹中さん(She is編集)が「自分らしさってなんだろう、自分らしさが誰かに認められないと悩む人もいる」と取材前に話してましたけど、そういう自分らしさに対する戸惑い、モヤモヤみたいなのは、幸いにも私にはなくて。
—作家として活動されているから、というのもあるのでしょうか。
売野:作家として自己表現しているのもあるし、私の中から出てきたものを自分自身で可視化できていて、それを手にとってくれる人がいるというのももちろんありますが、本当に友達や人間関係に恵まれたというのが大きいです。
もともと育った環境が非常に悪く、家の外に出てからの人間関係に育ててもらったんです。「自分が自分らしくいることで愛してもらえる、自分は愛されるべき存在なんだ」っていうことを教えるのは本来だったら親がやる役目だと思いますが、それを結果的にたくさんの人が少しずつ関わってやってくれました。幼少期までは「自分を見てもらえない」っていうつらさとか疎外感とか怒りみたいなものがあったんですけど、いま周りには私の自分らしさを認めてくれる人しかいないので、幸いずっと自分らしく生きていられるんです。
それは追従してくれる人や、意見が同じ人を周りに置いているわけではなくて。自分らしさ──“自分とは違う相手の部分”を、おもしろいな、かわいいな、好きだなってお互いに思えた人が結果的に周りにいるんだろうと思います。愛おしいから、お互いに反対意見も言える。“自分とは違う相手の部分”を、不快だな、嫌いだなと感じたら、自分から去るしかない。それが大人のマナーで、ある意味子供のころにはできなかった自由ですよね。
ありがたいことに私はこういった職業なので仕事上でもそれが可能ですが、社会で組織に属していると、取材前に話題に上がっていたような『「そろそろ結婚したほうがいいんじゃないの?」などと言ってくる会社の人』に出くわすこともあってきっと苦しいですよね。
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