チェーホフ知らんと楽しまれへんっていうような作品は、書かないと思う。地元の友だちと会社の人が喜ぶ作品を作りたい。
─作品を通して観客に届けたい、一貫した想いのようなものはありますか?
竹田:きっとないんやと思います。私が作品を作るのは、自分のためというのが一番で、地元の友だちと会社の人が喜ぶ話を作りたいという理由が二番目なんです。自分のコミュニティを喜ばせたいという意味では、一番と二番って結局イコールなんですよね。私が勤めている会社は、働く人の環境も様々で、例えばお子さんが3人いて本当に自分の時間がない人や、今Twitterで起こっていることを全く知らない主婦の人もいます。
私は自分が作るなら、「YOASOBIってなんや」っていう感じで今の流行りをまったく追えていない人でも楽しめる作品のほうが絶対いいと思っていて。その人たちのほうを向かなくなったら、それは私らしい作品ではないだろうと、なんとなく思っているんですね。だから、例えばチェーホフ知らんと楽しまれへんっていうような作品は、私は書かない気がします。私自身、勉強がそんなに好きなほうやないんで(笑)。
─先ほど、土佐清水市で過ごした期間と大阪で過ごした期間が同じくらいになったというお話がありました。地元を離れて都会に出ることで、地元のコミュニティと疎遠になる人も多いと思うのですが、竹田さんがそこを大切にする理由を伺えますか。
竹田:私がヤンキーだからじゃないかな(笑)。個人の実感ですけど、ヤンキーって地元のコミュニティを大事にするじゃないですか。私、自分のことを作家としてはめちゃくちゃダサいと思っているんですよ。それが根底にあるんでしょうね。大阪に出てきて、職場では関西弁で喋っていて、でも地元に帰ったら幡多弁で喋る。そのことで、何年も自分の人格がふたつに別れている感覚があったんです。だから本当は芝居をやっているなんて、地元の人にまったく知られたくなくて。「なにかっこつけてんねん」って思われるのが嫌だったんです。
でも、「ばぶれるりぐる」を立ち上げる時に、このふたつに別れている人格を融合させて、一個にしてみようと思ったんです。自分の名前も芸名ではなく、ほぼ本名にしました。大した理由はなくて、面白いかな、そうしたらどうなるんだろうと思っただけなのですが(笑)。まだ答えはでてないですが、そっちのほうがシンプルに生きられるんじゃないかな。ヤンキーの自分も、かっこつけたい自分も、文学派になりたい自分も一緒くたにやっちゃおうと思っています。
EPADはこれからの可能性。自分の作品を、別の方言で上演してほしい。
─竹田さんがEPADにご自身の作品をアーカイブしようと決めた理由を伺えますか?
竹田:まずは率直に、ユニットを続けるための資金が欲しかったこと。それから、現状私の作品は私のパソコンと、一緒にユニットをやってくれている制作担当のパソコンにしか残っていないので、それを確固たるものに残せるという安心感がありました。EPADの取り組みがどのような評価を受けるかはまだわからないですが、最初に知った時に「えらいもんができたな」と思いました。誰でもアクセスして閲覧できる、図書館みたいなものができた。可能性がすごいですよね。
─Twitterで『二十一時、宝来館』を「どなたか、違う方言で上演してくれないかしら」とつぶやいていらっしゃいましたよね。戯曲がアーカイブされ、他の人たちも閲覧できるという点で、それもEPADに感じていらっしゃる可能性の一つなのでしょうか?
竹田:そうですね。もっとみんなが自分のところの方言を使ったらいいのにとずっと思っていて。言葉が分からなくても人体を通すと分かるというのが演劇の良いところだと思うので、100人に100%伝わらなくてもいいと思うんです。北海道や沖縄の人が、わざわざ標準語で上演しなくてもいいじゃないですか。
私は戯曲というより、どちらかというと脚本や台本寄りの考え方で作品を書いています。ちゃんとした土台や骨組みが建っていれば、あとは住む人が壁紙を変えたりお好きになさっていただいても家は家やなと思っています。なので、どんどん翻訳してもらっていいし、別の方言で上演してくれたらすごく嬉しいですね。
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