昨年から続く新型コロナウイルスの影響で、多くの文化活動が困難な状況に立たされています。中でも、舞台芸術は発表の機会が激減してしまったジャンルの一つ。そんな状況の中で発足したのが、舞台芸術をアーカイブ化・デジタルシアター化することで、観客と作り手に新たな出会いの機会を創出する文化庁の事業「緊急舞台芸術アーカイブ+デジタルシアター化支援事業(EPAD)」。多くの劇団や作家などの協力を得て、現在映像約1300点、戯曲約550点の他、多くの資料やラーニング動画が公開され、誰もがアクセスできるようになっています。
昨年、戯曲『いびしない愛』で第26回劇作家協会新人戯曲賞を受賞された竹田モモコさんも、EPADで戯曲を公開している作家のお一人。高知県土佐清水市の出身で大阪在住、10年以上役者としてのキャリアを積み、工場に正社員として勤めながら2018年に1人演劇ユニット「ばぶれるりぐる」を立ち上げた竹田さんにとって、劇団立ち上げからわずか3年で上演ができなくなってしまった今の状況は非常に戸惑うものだったそう。ままならない部分もあるという現在のご自身の創作活動について、率直な思いを伺いました。
「私、“コロナ頑張ってない組”です」今の状況の中で、個人ユニットで上演することの難しさ。
─去年は新型コロナウイルスの影響で、多くの劇団が大きなダメージを被ったと思います。竹田さんご自身や、主宰する「ばぶれるりぐる」では、具体的な影響はありましたか?
竹田:昨年は公演が2本飛びました。そのうち、11月に予定していた本公演は延期になったままの状態です。でも、私はどちらかというと、コロナ頑張ってない組なんですよ。だからこのインタビューも、私で良かったんかなって思うんですけど(笑)。
─頑張っていないというのはどういう部分についてですか?
竹田:上演できない状況の中でも、媒体を変えてオンラインで発信したり、客席を半分にしても公演を打つという方はいっぱいいらっしゃいましたよね。そういう意味で、私は本当に頑張らなかった組。コロナで頑張れる組というのは、やっぱりちゃんと団体としてリスクヘッジをしながら運営している劇団が多かったと思います。
私みたいな個人ユニットの人たちの動きは、途端に鈍くなりましたね。ひとりでスタッフやキャスト、お客さん全員分の責任を持つということは、めちゃくちゃ気合を入れないとなかなかできないんですよ。上演するにしても役者やスタッフのPCR検査代を払ったり、劇場で感染症対策を行ったりと、金銭面でも負担が大きい。ちょっとおもしろい企画を思いついたから、30人くらい入れる小屋でパッとなんかやろうよ、ということは全然できなくなりました。
─緊急事態宣言が解除されても、まだこういった状況が続くような感じがありますよね。この状況をどのように受け止めていらっしゃいますか?
竹田:単純にめっちゃ嫌やと思ってます(笑)。3年前に劇団を立ち上げたのと同時に戯曲を書き出して、やっと演劇ってこうやって作っていくんだね、役者やスタッフさんってこうやってオファーするんだね、っていうようなことを掴みかけてきた。まさに階段を上がっていこうと思った矢先だったので、本当にどうしたものかなというのが正直なところですね。付き合い方がまだ分からない。
25歳で婚約を破棄して、演劇界に飛び込んだ。
─3年前に演劇ユニット「ばぶれるりぐる」を立ち上げたとのことですが、竹田さんがもともと演劇を始めたきっかけは何だったのでしょう?
竹田:演劇との最初の出会いは、ラーメンズのDVDだったんです。それまで美容師をやっていて、その後もフラフラしたりしていたのですが、25歳の時に結婚しようかどうしようかというタイミングがあって。その頃に大阪の高槻駅前のTSUTAYAで、ラーメンズのDVDを借りて「わー! こんな世界があるんだ。自分でもやってみたい」と衝撃を受けたんです。それで当時の婚約者に「演劇をやりたい」と言ったら、「それはちょっとついていかれへんから、別れてくれ」という話になり、婚約は破棄。同時に劇団「売込隊ビーム」に入団して、役者として活動を始めました。……ってこんな話で大丈夫ですか(笑)?
竹田モモコさんが衝撃を受けたというラーメンズの作品より「小説家らしき存在」
─大丈夫です! でも婚約を考えるほどのお相手から反対されても演劇を選んだのは、やはりそれだけ演劇に魅了されたからなのでしょうか?
竹田:なんでだったんでしょうね(笑)。すごく気持ちの悪い話なんですけれど、おそらく自分は何者かになれるっていう思い上がりがあったんだと思います。25~6歳のときに、このまま何者にもならない人生なのかな……って思ったら、急に怖くなったというか。今思うと自分を高く買っちゃってたんですね(笑)。
─「ばぶれるりぐる」はどういう経緯で立ち上げたんですか?
竹田:「売込隊ビーム」に所属した後フリーになって、10年ほど役者として活動していたんですが、実は一度すごくイヤになって役者を辞めたんです。オーディションにしても、客演としてオファーをもらうにしても、選ばれ待ちっていうのがイヤになってしまって。だから、2018年に初めて戯曲を書く前は、2年ほど演劇自体から離れていて。その期間に、自分自身が選ぶ立場になった方がやりたいことができそうだと思ったんです。
それで、まずは無目的に長編演劇を一本書いて、知り合いの制作さんに「このお芝居を世に出すためにはどうしたらいいですかね」と相談して。その時はこの活動を長く続けようとも思っていなかったのですが、これはキャパ何人の劇場でやったほうがいいとか、美術さんはこの人に頼んだほうがいいみたいなことが具体的に決まっていくうちに、ここまで来たら屋号もちゃんとつけて「ばぶれるりぐる」としてやっていこうと腹を決めた形です。
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