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民族衣装とシャネル/高橋久美子

ベトナムの旅の道中で会った、少数民族の女性との約束

2017年9・10月 特集:未来からきた女性
テキスト:高橋久美子 編集:野村由芽
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赤い、ずっしりとした頭巾で頭を覆った女性が、街角に静かに立っていた。肩には彼女がすっぽりと入りそうな大きな竹籠を背負って。

私と妹は毎年一緒に旅をしている。沢木耕太郎の『深夜特急』に憧れて始まった姉の旅に5年前から妹が同行するようになったというのが正しい。

8月、今年はベトナムの山岳地帯サパへ行くことになった。ハノイからバスで6時間、到着した街は友人から聞いていたのとは違って随分開発され、ハノイと然程変わらなかった。観光料を払い棚田の美しい村にも行くには行ったが、高度成長の波がそこまで押し寄せているのがわかった。

夕食後、観光客で賑わう夜道をぶらぶら歩いていると、先住民族らしい出で立ちの女性が目に止まった。いや民族衣装の人は他にもいる。私が気になったのは剃り上げた眉毛でも、髪型でもない。その女性は赤い頭巾と、黒の民族パンツに合わせて、赤と黒のボーダーのシャネルのセーターを着ていたのだ。

私は止める妹を振り切って、
「セーターかわいいね」
と喋りかけた。彼女は照れくさそうに、
「知り合いにもらって、かわいいからリメイクしてみたの」
と答えた。シャネルだということは知らないみたいだった。
「民族衣装じゃなくてもいいの?」
と尋ねると、
「皆は民族衣装だけど私はこれが好きだから……」
と続けた。

「どこに住んでるん?」
「すごく遠いの。ここから山道を6時間行った村」
「6時間!?」
「あなたたちは? 姉妹なの? 結婚は? 彼氏は?」

いつの間にか仲良くなったメイという27歳の女性は、赤ザオ族という少数民族の村から来ていた。独特の発音だが、英語を喋れることにも驚いた。
「明日あなたの家に泊めてもらえないかな?」
と私は口走っていた。
「久美ちゃん、少数民族だよ、絶対お腹壊すし虫に食われる! それに6時間も歩けるわけないだろ」
と、当然妹は怒った。
「黒モン族の友人がいるの。そこなら1時間で行けるし紹介してあげようか?」
妹の反応を察したメイが言ってくれた。でも私はメイの家に行ってみたいんだと伝えた。こういうときの自分の直感と行動力は怖いくらい揺るがない。
「わかった、いいよ。じゃあ明日朝7時にホテルに迎えにいくよ」
とメイ。

ただ……怒る妹のたった一つの願いである、「ファンシーパン山に登る」という夢だけは叶えてやらねばならなかった。ベトナム最高峰、3,143メートルのファンシーパン山に世界最長のロープウェイが通ったのは昨年のこと。山ガールの妹にすれば、これが一番の目的だったのだ。メイにそのことを話すと真剣な顔で、
「なるほど、それは行きたいよね。じゃあ11時に教会の前で待っているね」
と私の小指を彼女の小指で結び「プロミス」と言った。私の胸はみるみるうちに熱くなって、なぜだか涙が出てしまいそうだった。「降りたらメールして」でなく指きりげんまんだけで結ばれる約束。小学生以来だ、こんなピュアな感じって。妹も同じように小指を差し出されながら覚悟を決めたようだった。

翌早朝、「プロミス」事件によりすっかりメイに夢中になってしまった妹は、露店で買った蒸しパンと赤飯を食べながら、もうファンシーパン山はどうでもよくなっていた。すごい霧だから登っても真っ白なんだろうし、だったら早くメイの家に行きたいねということになり、二人は昨日メイと出会った辺りを探して歩いた。何だか絶対に会えるような気がした。根拠なき勘は見事に的中し、カフェテラスのお客さんに民芸品の販売をしている彼女を見つけて駆け寄った。
「あれ? 山は?」
「もう山はいいや!」

こうして三人の旅が始まった。雨の中、10キロのバックパックを背負って道なき道を行く。いくらトレッキングシューズとはいえ滑る滑る。さっと手を引いてくれる彼女の足元はビーチサンダル。一体どんな足だ!

歩きながら彼女は、15歳で顔も見たことのない人と結婚したんだと話した。学校へは1回も行ったことがないアンハッピーな人生だったと。だから自分の子ども二人には教育を受けさせたい、そのために自分で作った刺繍の鞄を売っているんだと言った。彼女が街に出ている間は旦那さんが子どもの面倒や家事もしてくれるそうで、そういう男は珍しいんだと笑った。何気にのろけ話が多くてニヤニヤしてしまった。6時間、確かに長い道のりだったけれど、彼女の人生を歩く旅でもあったんだと思った。

やっと辿り着いたバンブーの家はシンプルで美しい土間のワンルームだった。陽が一番よく当たる部屋の中央に飼料のトウモロコシが大きな円状に干され、その回りを子どもたちが裸で走り回っている。隣の母屋から旦那さんの弟家族や両親がやってきて、豚や鶏も自由に歩いて賑やかな家だ。メイたちは2年前、この家を建て母屋を出たそうだ。噂の旦那さんが率先して家事を手伝っている。トイレも水道もガスもテレビもご近所に暮らす人々もいないが、ないからこそ満ち足りていた。出してくれた水を躊躇する妹に彼女は言った。
「大丈夫、最近飲水は鉄瓶で1回沸かしてるからお腹壊さないよ」

よく見るとそこかしこに彼女の工夫は光っていた。新しい家も、優しい旦那さんも、英語も、子どもたちへの教育も、ああそうか、民族衣装にシャネルを合わせるように彼女は自分のアンハッピーを自分で好転させるため、考え、学び、選び、宝物をその手で作ってきたんだ。

夕方、室内で旦那さんと鶏を捌きはじめたので思わず私は叫んでしまった。諭すようにメイが言った。
「大丈夫、家の鶏はサパの鶏の何倍も美味しいから」
全ての行程を見届けていただいた鶏の味と、彼女の小指を私は一生忘れないだろう。

PROFILE

高橋久美子
高橋久美子

1982年、愛媛県生まれ。チャットモンチーのドラムを経て、作詞家・作家として活動する。音楽家と音楽✕詩の朗読のセッション、画家と絵✕詩の展覧会を行うなど他ジャンルとのコラボレーションによる表現活動も続けてきた。最近では地元の伝統芸能である阿波人形浄瑠璃の現代物語の脚本を手がけ、自らも打楽器演奏や太夫として出演し話題に。NHKラジオ「ごごラジ!」の金曜のパーソナリティーも務める。近著に、絵本『赤い金魚と赤いとうがらし』(mille books)、翻訳絵本『おかあさんはね』(マイクロマガジン社)、エッセイ集『思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、』(毎日新聞出版)、詩画集『太陽は宇宙を飛び出した』(FOIL)などがある。

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