高校生の頃、「旅芸人のように生きていきたい」と思っていた。
幼い頃から転居が多く、親しい友達や馴染みの土地との離別を繰り返した。これは転勤族あるあるなのかもしれないが、結果的に特定の土地やコミュニティに愛着や帰属意識を持ちにくい「根無し草」的な人格ができあがった。
お世辞にも社交的とは言えない性格だったが、それでも「絵が得意」という特技に助けられ、どうにか新天地に馴染む……という繰り返しでシビアな子供社会を生き延びた。
だからだろうか、道化として瞬発的に場を盛り上げる「旅芸人」の生き方に、どこかシンパシーを感じるところがあった。一芸があれば、初めて出会った人にも喜んでもらえる。現場を一通り湧かせた後に後腐れなく去る、その繰り返しで生きていきたいと、彼らのあり方に漠然と憧れを抱いた。
大学進学とともに広島から上京した。以降、地元と東京を折に触れて往復する生活を送ることになる。
旅先や帰省先での滞在以上に、好きだったのは移動時間そのものだった。
狭い夜行バスの4名座席に詰め込まれ、眠れないまま窓の外の流れる夜景を眺めていると、走馬灯のようにこれまでの出来事が頭をぐるぐるとよぎる。過去と現在と未来の時間軸が曖昧になる、時の流れから宙吊りにされているような時間だった。
前述の通り人と密接に付き合うのが苦手な性格ゆえ、東京では表面的な知り合いはたくさんできても、一緒に旅をするほどの親密な友人はなかなかできなかった。
しかし大学生には、ありあまるほどの暇がある。
その結果しかたなく一人旅に出ることにしたのだが、一人だと話す相手がいないゆえに脳内での妄想や一人会議が妙に捗ることを発見した。道中の観察眼や洞察力も、一人であるぶん研ぎ澄まされ鋭くなる。「アイデアは移動距離に比例する」という言葉を聞いたことがあるが、実際にそうなのだと思う。
そのことに対して自覚的になり、次第に一人旅は日本のローカル文化を調査するフィールドワークと、現地での24時間一人ブレスト会議の様相と化していった。ブツブツとアイデアを呟きながら地方を巡る女子大生は、さぞかし不気味だったことと思う。
だんだん一人旅の猛者となり、半ばヤケクソで愛知県犬山市の桃太郎神社、熱海秘宝館、その他あやしい珍スポットの数々に女子一人でどんどん乗り込んでいった。
前述の桃太郎神社と熱海秘宝館は特に衝撃的で、その時の感動が発端で日本の性文化独特の湿っぽさ、生々しさを体現するデジタルデバイスとして『セクハラ・インターフェース』という作品を作った。「大根を触ると喘ぐ」という、ただそれだけの珍発明である。
大学を卒業し、IT業界で会社員として働くようになってから給料やボーナスの多くを費やしたのも、一人旅と作品制作だった。
会社ではヌクヌクと平和に過ごし、内勤のデザイナーという外に出ることが少ない業態のため、四季を感じない屋内で業務に勤しむ日々。
ある程度ルーティーンで物事をこなせる環境は安全だったが、その一方で牢獄に閉じ込められているような気持ちにもなる。淡々と変わらない穏やかな日常を過ごしていると、人間はかえって発狂しそうになることがわかった。巨大なオフィスに善良な同僚たち。明解で正しいものは、いつだって少しだけ息苦しい。
そんな日々をどうにかやり過ごすため、半ば救いを求めるように旅に出たり、作品を作ったりした。会社員としての真っ当で規律正しい生活で燻っていた自分の中の狂気を表出させていたのだと思う。水中で息を止めて我慢して、ようやく水面に出て「プハッ」と息継ぎをしているような、そんな感覚があった。
今期KPI、PV、UU、ユーザビリティ、広告収入、そういったIT業界の用語や価値観も、旅に出ている間は留守番させることができた。
堅気の会社員として生活をしているかぎり確実に関われないような人たちと、作品を作ったり旅に出ると面白いほどに次々と出会うことができた。
その頃には全国規模のテレビ番組やメディアに作品が登場する機会が増えていたため、「あの大根の人か!」と旅先で言ってもらえることも少しずつ増えていった。
初対面のまったく違う生き方をしている人でも、作品の話を出すと面白いぐらいに受け入れてもらえる。暇を持て余した学生の一人旅の結果生まれた作品は、知らない世界を体験するためのパスポートのような存在になっていった。
かつて旅芸人に憧れていた人間にとって、内勤の会社員としての生活は決して合っていなかったが、旅のおかげで5年間の勤め人生活をどうにかやり過ごすことができた。
しかし結局、紆余曲折あって2年前に会社を辞めて独立した。
自宅と会社を往復していた会社員時代とは打って変わって、独立早々に沖縄、秋田、京都、鹿児島など様々な場所に出張することになる。
関西に出張し、ひと仕事終えて夜の京都をスーツケースを転がして歩いた時、根無し草の血が騒いだのか思わず「俺は自由だアアアアア!!!!」と雄叫びをあげそうになった。
「安心」の感覚は、どうやら人それぞれに異なるらしい。自分にとっては、見知らぬ土地を一人で歩いている心許なさこそが最も安心できる、懐かしい感覚なのだった。
「これからの人生、たとえ家庭を持ったとしても、生涯ひとりで飛行機に乗り続ける人生でありたい」と率直に思った。
今年は不思議と海外からのオファーが多く、オーストリア、台湾、北京など様々な国で展示をする。各地に呼ばれて作品を設営し披露するのは、まさに旅芸人としての生き方に限りなく近い。
会社員の頃はボーナスをつぎ込んで移動をしていたのが、逆にお金を頂いて渡航ができるようになった。人間、自己資金を多く費やしたことが回り回って仕事になるのだと実感する。
会社員の頃に、アホみたいに移動と作品制作にお金を費やしてしまったのは、とどのつまり異世界やパラレルワールドに出会うことに惹かれていたのだと思う。
現実世界で身の周りにある序列、階級、価値観。そういったものが普遍的なものではないと気付くことは救済になる。
世界が全て、簡単に理解できてコントロール可能なもので構成されていると思うと絶望感につつまれる。旅やアートは「わからなさ」「謎」「世界の不条理」を目の前に突きつけ、世界を新鮮な目で見つめ直すための処方箋なのかもしれない。