ワールドカップでフランスが決勝に進み、小さなコルマールの街が沸く中、私は野生のブルーベリーが群生する近郊の山にタッパーを持って一人立ち尽くしていた。これが一杯にならないと、カウチサーフィンで泊めてもらっている人にブルーベリーパイを作れないのだ。
前日の晩、麓の観光地を離れてキャンピングカーで山頂まで連れてきてもらい、いろいろと話をした。彼は来週からピアニストのドキュメンタリーを撮影するため、インドからピアノと一緒にヒマラヤ越えをしてチベットに行くのだと言う。通訳や現地ガイドの手配に加えてピアノの移動手段が困難を極めているらしく、難しい顔をしたまま一旦街に降りていった。
あたり一面人の気配はなく、広い放牧地で草を食む牛の、カランカランという鈍いベルだけが断続的に聴こえてくる。何となしにその辺の実を摘むと手が赤紫に染まりもうカメラを持てなくなった。仕方なく写真は諦め、車が戻ってくるまでひたすら足元のブルーベリーと向き合うことにした。
仕事であまり旅行に出れず、長くなってきた東京での狭い一人暮らしにも何となく疲れ、一旦全部ほっぽり出そうと決めたのが3か月前。それから仕事を辞め、本や服を売り、アパートを引き払って荷物を全部トランクルームと友人に預け、持ち物はバックパック一つだけになった。身の回りのものを片っ端から捨てていくのは浪費と同じように楽しかった。今だって地道にせっせとブルーベリーを集めていても、急にタッパーをひっくり返したい衝動に駆られる。深紫の酸っぱい野生の実が、観光客でごった返すマカロンカラーの街めがけて扇状の斜面を軽やかに転がっていく様が浮かぶ。大切だったはずの物がゴミへと変化しながら描く放物線や果汁を散らしながら転がり落ちる実の速度に、体が同期していく。投棄されるものが、放り投げられている最中にだけ獲得できる刹那的な軽さ。もしその状態をどこまでも長く長く引き延ばせたら、と考える。そんなことは可能だろうか。
成田を出る直前でさえそれぐらい投げやりな頭で、行程も決めずとりあえず降り立った南仏はいきなりめちゃくちゃ暑く、フランス語はさっぱりで、さらに何も考えられなくなった。バスの車窓から見えるアルルのヒマワリ畑は死ぬほど広大で、死ぬほど全部太陽のほうを向いていた。
すぐ近くでカラン、と音がして顔を上げると好奇心旺盛な牛が目の前まで来ていた。触っても怖がらない。草を噛み続ける牛を撫でながら、昨日話したことを反芻する。
移動だけを信じている、とその人は言った。移動。バックパッカーの多くは特別な意味を込めてそう言う。別に珍しいことではない、でもあえて言わずにはいられない気持ちも分かる。信じているというより、移動を通して賽を投げているのかもしれない。生きのびるために他のあらゆるものを疑ったとしても、その賽を投げる行為だけは多分疑うことができないだろう。この橋を渡ってしまえば、この門をくぐってしまえば、もう元の場所には帰ってこれないかもしれない。それでも橋を渡り門をくぐり自分はきっと帰ってこない、という確信が移動の中で更新されていく。
移動とルールは切り離すことができない。サインで示されるシステマチックな交通ルール、環境や歴史を下敷きにした伝統的な生活文化のルール、時代に応じた社会のルール、コミュニティや個別の人間関係での暗黙のルール。平面上ではなく時間や精神面での移動においても、渡り歩く限り絶え間ないルールの変更があり、順応しなければストレンジャーのままだ。時々、例えば着いたばかりの街で切符を買うのに手間取り電車を逃して駅でぼんやりしている時、様々な国籍の人間が乗り合わせた夜行バスで隣の人が知らない言語でずっと電話していて眠れない時、かつて自分がストレンジャーではなかった場所のことを思い出したりする。今は違うルールのもとにある、通り過ぎていった街や離れていった人たち。「またね」のつかない「さようなら」は、これをもって私たちはルールを異にしますねという合図なのだ。
そばにいた牛がふいに向きを変え、私は手を離す。それは花も草も見境なく食べながらだんだんと遠ざかっていき、やがて見えなくなった。
無心で摘んでいるうちいつのまにかタッパーの蓋が閉まらないくらいになり、痛くなってきた腰を上げる。そういえば次の宿はまだ決めていなかった、来週はどうしよう。ヒマラヤでピアノでも担ごうか。良いかもしれない。それで、その次は? 来年は? どこに行こう。移動は私をどこへ連れて行くだろう。いつか動き続ける力を失って身軽さがもはや意味を持たなくなったら、今度はどうやって立ち続ければいいのだろう。いっそ投げ出せないほど重い錨を欲しいと思うようになるだろうか。これがあるからもう動けない、仕方ないと自分を納得させるために。
草むらで適当に脱いだ靴を取りに陽のあたる場所に戻りながら、何かの儀式のように様々な国の人に守られ厳かにヒマラヤを越えていくピアノと、その黒く滑らかに光る重さのことを考え始めていた。