私の朝は生ぬるい夢の記憶とともにやってくる。
それは毎日欠かすことなく、物心ついた頃から途切れることなくつづいている。夜の深い眠りの時だけに限らず、うっかり電車でうたた寝してしまった一瞬の間にも数秒程の断片的な夢をみる。私の睡眠にはいつだって夢を伴うのだ。すべての人は夢をみるのだから、正確には覚えていやすい体質なだけなのだろうけど、機会があれば一度研究家に調べてもらいたい。
そもそも夢をみないという感覚があまりよく分からなくて、少し羨ましくも思う。毎朝おふとんの中で夢の記憶につかまれては、ゆっくりとゆさぶられる私の朝はいつもぼんやりとしてしまうし、夢のつづきが気になって二度寝してしまうこともしばしば。お陰さまでめっぽう朝に弱い。いつか夢から解放されて、すっきりと目覚めてみたいものだ。
けれど、私は私の夢がすきだ。私の夢はいつもファンタスティックな内容で、非現実的な要素を多く含んでいる。宇宙の終焉や、ワームホールの出現と突破、スフィンクスが空を飛び、大小が入れ替わる世界。まるでドラえもんの映画のワンシーンに登場しそうな内容ばかりだけれど、夢の中は多次元で重力もなくて、みたことない世界を気ままに飛びまわることができる。自分の頭の中で遊んでいる気分だ。夢は記憶の蓄積によって生まれるものだとしても、どうしてこんなにも異世界のようなのだろうかと不思議に思う。まだ天文学が存在しなかった時代の人々も、宇宙の夢をみたのだろうか。
そんな夢と日常がいつも隣り合わせにある私は、ある日古本屋さんで一冊の本に出会った。横尾忠則さんの『私の夢日記』だ。とても宇宙的で神仏が頻繁に現れる横尾さんの夢は、恐れ多くも私の夢に少し似ていた。何よりも文章に添えられた絵から膨らむ想像の世界にとてもドキドキして、興奮が冷めやらぬまま私も夢の絵を描いてみようと思い立った。とはいえ基礎教育が終わってからというもの、ほとんど絵を描いた経験のない私。本当に描けるのか? とヒヤヒヤするような不安な気持ちを吹き飛ばして、エイヤッと気合いだけで一気に絵を描き上げた。社会人1年目のことだった。
それからというもの、絵を描く楽しさにすっかり心を奪われた私は、暇さえあれば絵を描き、寝る時間も食べる時間も惜しんで無我夢中で描きつづけた。今思えばとても危うい生活を送っていたけれど、本当にわくわくした素晴らしい時間だった。
何かに期待して行動を起こしつづけることは、喜びとともに痛みも伴ってくるけれど、継続は無意識に私の背中を押してくれた。不安だった気持ちは徐々に薄れ、2年間描き続けた絵が20枚に達したタイミングで個展を開催しようと決意し、それをきっかけにお仕事で絵を描く機会をいただくようになった。もっと描くことに集中したくて、当時勤めていた会社も辞めていた。
当時、高校生だった私は美術を学びたい、表現することを通して仕事がしたいと夢みていた。自然災害で家を失ったこともあり、希望の進路を選ぶことはとても難しくて、やり場のない悔しい気持ちを今でも覚えている。けれど夢の絵を描きはじめたことをきっかけに私の人生は大きく舵をきり、気づけば目標だった場所に立っている。わずかな可能性を信じて、手繰り寄せるようにやっとの思いでたどり着いた場所。あぁ、諦めなくてよかった。夢は本当に夢をみせてくれた。
今はデザインや絵を通して日々を生き、社会と関わり合うことができている。なんてうれしいことだろう。私は仕事が大好きだ。とはいえ、まだまだ夢の途中。みたことのない景色をみるために、今日も明日も頑張るのみ。