最近、旅で昼寝するのが自分の中で流行っている。旅の最中に昼寝するのはとってもいい。
昔はそんなこと絶対考えられなかった。20代の頃、私の体力は人並みはずれていて、仕事であれ遊びであれ「徹夜がつらい」という感覚がまったくわからなかった。だから深夜でもずっと遊んでいたし、遊んでいないともったいないと思っていたし、何ならいっしょに遊べる友達が見つからない時はひとり、無意味に自転車で街を走り回っていた。
その習慣からか性格上の問題か、旅に行っても行きたいところや食べたいものリストがいつもぎゅうぎゅうだった。けど、それは「好奇心旺盛」ってことでいいことなんじゃないかな? って何となく詰め込みがちな旅をしていた。
はじめて昼寝に開眼してしまったのは、昼間は40度を超えるようなカラカラの暑い土地、マラケシュに行ったときのこと。日射しが強すぎて昼間に出歩くのはどう考えても無理で、仕方なく昼寝することにした。陽が傾きかけた頃に起きて、シャワーを浴びた真新しい身体で少し涼しくなった街に出ていったら、それはもう、今までに体験したことのない最高の気分だった。広場にはたくさんの人が集まってあちこちから太鼓の音が鳴り響き、肉を焼くいい匂いがそこらじゅうに立ち込めていた。
身体には元気が満ち溢れていて、生まれたてみたいな気持ちだった。そんな風にして初めて体験する異国のお祭りなんていいに決まっている。
本来なら1分1秒を無駄にできないはずの旅行の中で、明るいうちにエアコンの効いた部屋で布団にくるまるときの、罪悪感込みの心地よさは最高にいい。夕方に起きたときの、何とも言えない心もとなさとすっきり感の混じり合った気持ちも、眠れない夜中に窓の外を眺めたり屋上に出たりして過ごす透明人間のような時間も。
かくして私は積極的に旅の途中で昼寝を取り入れるようになった。本来寝る時間ではないはずに眠る非日常感もまた楽しい。昼寝マニア(?)として旅してみると、空港にも昼寝ラウンジがあったりして、国際線の乗り継ぎの待ち時間にさえ横になって快適に眠ることが可能なのだ。
あえて時間を無駄にすごすよろこびは、そのまま日常生活における休日にも適用することができた。とにかく予定を入れたり、本屋でたくさんの本をチェックしたり、どこかに出かけた日を「合格」としていたけど、何もしないと決めて過ごしてみたら、それはそれでフリーダムで素晴らしく楽しかったのだ。有意義度ゼロパーセントの休日。それは私が無意識に正義としていた「有意義」を超越することができた1日だったのだと思う。
たぶん有意義度ゼロの日ばかりでも疲れてしまうし、やらなきゃいけないことを頑張らなきゃいけないときもあるけど、めちゃくちゃに遊び倒す日があってもいいし、まわりがびっくりするくらい徹底的にだらけてもいい。それは自分が気分で決めていいのだ。心はできるかぎり自由でいたいし、自分や誰かの期待を軽やかに裏切れる自分でいたいと思う。
最後に、「休む」ことや「時間を無駄にする」ことにためらいがある人へ、本を一冊おすすめしたい。phaさんの、その名もズバリな『がんばらない練習』という本だ。
会話のルールがわからない、とか、人見知りだ、とか、大勢の飲み会が疲れる、とか、そういうことを細かく細かく掘り下げて書いているのだけど、それがどうにも面白くて読むのが止まらなくなる。それぞれの議題はよく語られているありふれた事象だけど、この人の心の動きを通して語られた「だるさ」は共感に満ちていて感動的ですらあるのだ。コミュニケーションが苦手な人やポジティブな気持ちになりづらい人にとっては強烈に味方になってくれる一冊だし、行動力やポジティブさを持っている人にとっても、ふだんの自分にない新鮮な視点や発見を与えてくれる一冊だ。
がんばりすぎが平常運転になる前に、ぜひ読んでみてほしい。そして旅先ではぜひ昼寝をしてみてほしい!