台風一過。
世界最大級とかいう言葉にまっすぐ、真剣にびびった私は、
日付がかわって10月11日の深夜、実家のある北海道行きの航空券を取った。
この週末は、友人の家の引っ越しの断捨離を手伝いに行く予定だったのだが、Twitterのタイムラインが米の形に貼られた養生テープの写真だらけになってしまい、ハザードマップなどを確認したところ友人の家はものすごく濃い色で塗られており、またその家は一度下水道管が破裂したこともあり、友人の家を助けられないのはかなり非人道的なのかもしれないが今回は延期にして、この週末はそれぞれの家を守ろうという話になった。
台風の夜にひとりになる、そうと決まったら私はダメだ。停電したらどうしよう。浸水したらどうしよう。下水が逆流したらどうしよう。もし家が無事だとしても電気水道が止まった時にメンタルばっちりお姉さんでいられる気がしない。っていうかそもそも仕事が終わってなくてそれどころじゃない。「頭痛ーる」のアプリを見ても気圧が見たことのない角度で落ちていく。こんなの絶対耐えられない。1人部屋で窓がガタガタ鳴るのに怯えながらネットで被害を見て落ち込んで体の不調を甘んじて受けるなんて無理!! こんなの絶対耐えられない。
こうなったらフリーランスのクセを生かして、すぐに逃げよう、北へ——
シーズン外の航空券は安い。11日の深夜、母親に「帰ります」と告げて航空券を予約し、数時間睡眠をとり、昼に起きて小一時間で部屋を守る対策をする。Twitterで見たやつ全部やる。窓に米印の養生テープを貼ったらむしろダメかもしれないって見た、怖い、けどとりあえず網戸がまだちゃんと固定されているか確認して、窓のサッシを目張りした。窓が割れても大丈夫(?)なようにカーテンを窓にビニールテープで固定した。
ベッドを窓から離して、凍らせたペットボトルを冷蔵庫に入れて、冷蔵庫の電源を切って食料を諦めようと思ったら卵も豆腐も賞味期限切れてたから普通に捨てて、コンセントを全部抜いて上の方に置き、水の流れるありとあらゆる穴にビニール袋で作った水のうを置いた。これで下水の逆流も防げるはず。この素早い能力を普段発揮しろよ。なんでルーティンワークじゃなくて非常事態にこんな強いのまじで。私。思いつき行動に強すぎる。でも風呂には風呂栓をしとけばよくね? なんでわざわざ風呂栓抜いた状態で水のう置いたの。
うちの部屋の前は1階じゃないのに横から吹き付けた雨が溜まる。うちの前だけ。しかもドアの下、閉めても光が漏れてるからこれは多分絶対雨が部屋に入って来る。世界最大級の雨に耐えられるわけがない。浸水するわ。土嚢とかないからうちで作れる一番でかい水のうを作ろう、45Lのゴミ袋にお風呂で水を入れる、袋を二重にするの忘れてたから後から二重にする、重い、重すぎる、1個じゃ全然ドアの隙間にフィットしないし、これどうやって出るの、でかい水のゴミ捨てるの忘れたくない人じゃん。
PCとパンツ2枚をリュックにつめて家を出る。ドアを閉めた時、パンパンに膨らんだ水のうから少しだけ水が漏れているのを見て見ぬふりをした。「自分で自分ち浸水させ屋さん」になるかもしれない、最悪の結末が頭をよぎったが、私は行かなければならない、北へ——
実家の駅に到着すると、父が車で迎えに来てくれていた。
すっかりポケモンGOにはまっている父と一緒に散歩する。家に帰っても対戦する。冷凍の牛丼と適当に作った味噌汁ときゅうりの和え物を食べる。
前回の帰省から突然ビールが美味しく感じるようになった私に父がハイネケンをすすめてくる。うん、飲めるようになったな、でも、飲めるようになっただけかも……
仕事が終わらないのでPCの前に座るが一向にすすまない。待たせてすみませんという気持ちで、台風のことも、避難して来たことも、一向に呟けない。
私何やってるんだろう。こういう時にどうしたらいいのか、全然わからない。やるしかないんだけど、どうにもこうにもできあがらない。もう仕事なんて来なくなるんじゃないか、そしたら私どうしたらいいんだろう。やっぱり会社員を1回やらせてもらった方がいいのかな。でも、私を雇ってくれるところなんてあるんだろうか……これからどうなるんだろう……
あ、この不安、東京の自宅でやってたら、超低気圧も重なって、多分めちゃめちゃ塞ぎ込んでたな。2階がある、他の人が一緒に住んでる、冷蔵庫開けたら食べ物があるって、すごいな……
母は土曜日はひとり暮らしの祖母宅に泊まるのを習慣にしている。
台風が関東を直撃している当日、「私だけ(実家の)北海道に逃げて来てしまった」みたいな気持ちになりながら、85歳になる祖母の家を訪ねた
(前もって長距離避難した人、家族を説得して避難して命を守った人たちのことを鑑みても、今回のことは全く悪く思ってはいけない、思うつもりはないが、でもその時にそんな気持ちになってしまったのを書いておく)。
今日は遅くなる、20時に着くと事前に伝えられていたはずなのだが祖母は18時から2時間、鯛の鍋を煮ていた。予定外にどれだけ早く来ても大丈夫なように、という気持ちだったのかもしれない。祖母に聞くと、「いつもその時間に食べているから、待たされている気持ちになった」というようなことを言っていた。じっくりコトコト煮込んだスープになっているおいしいおいしい鍋を食べながら、その2時間のことを考えた。
寝る前、すっかり出しきられたシュミテクトしか見つけられなかった私は、「おばあちゃん、歯磨き粉ある?」と聞いた。少し探して、ホテルのアメニティに付いている小さなペーストを見つけたのでそれを伝えたが、祖母は棚の中身をすっかり出して大捜索をはじめてくれたので申し訳なく思い、もう大丈夫ごめんと伝えたが、すぐにはやめてくれなかった。棚の前に座り込み、小さく体をかがめた祖母を見ながら昔のことを思い出した。
すこし脱線すると、祖母の家は私にとっては生家だ。本当は両親が住んでいたアパートが生家なのでこんなこと言うといつも母親に何かと言われるのだが、現在の実家ができるまでの1年間、2歳の時にこの家に住んでいた。それがはじめての家の記憶なので、どうしても生家と呼びたくなってしまう。当時のおばあちゃんはものすごく体格が良かった。大きかった。昼間は仕事でいない親の代わりに、祖父母が子守をしてくれていた。姉が幼稚園に行くのを一緒に見送ったバス停や、祖母のまねして正座しながら観たみのもんたの『おもいッきりテレビ』、その頃だけ美味しく感じた塩辛、部屋の柱にしがみついて汗ばみながらオムツにウンチをした記憶まである。
歯を磨き終わり、先に寝ている母親の横の布団に入ると、ここで母と姉と3人で寝ていた(寝かしつけられていたのだろう)ことを思い出した。
あたらしくできるおうちの話をされた時、母親がふざけて地名をさかさまに読んだのが、なぜかめちゃめちゃ怖くて、毎度その話をねだっていた気がする。子供ってわけわからないな本当に。
夜12時、Twitterで多摩川が氾濫したかもしれない動画が流れてきて、思わずRTしそうになったけど、「危険を犯したら拡散されたって成功体験になったらどうすんのさ! あぶないからなんも反応すんでない!」と心のネットリテラシー道産子が言っていたので、被害が最小限になりますようにと祈りながら寝た。
深夜4時に寝るような限界フリーランスなのに朝食の用意の音で朝7時に起きた。
祖母が上着も着ないで母の車まで見送りに来る。またね。ごめんね、おばあちゃんちインターネットがないから仕事ができないんだ、だから実家に帰ります。とは言えなかった。
Twitterにいる東京民が晴れている、気圧も上がって心も晴れやかと喜んでいるのと同時にNHKのアカウントが現在進行形で東北の被害を報じている。もし東京にいて、仕事にも追われていなかったら私も全く同じツイートをしたなと思う。台風一過だ、と。
避難最終日の夜、母の買ってきてくれた寿司を食べ、彼女の仕事への情熱を聞きながら泣いてしまった。私も悔いのない人生を送りたいと思った。
母の家事は最低限だ。台所のふきんをこまめに洗って干すひまがあるなら、朝5時に起きて仕事に行くための仕事をするのが母のデフォルトだ。
両親が寝静まった夜中3時、食器を洗い、ふきんを熱湯で消毒する。
しっかり溜まった生ゴミの袋の口をギリギリでしばり、新しい袋をかけた。
これだけ仕事に打ち込んでいるのに、母は野菜の皮を剥くし、卵を割るし、魚を焼いている。
ホカホカのふきんを固くしぼり、真っ赤になった手のひらを見ながら、
今回のことは書いておいた方がいいかもしれないと思った。
今日、東京に帰る。
玄関の中に置いてきた45リットルの水のうは、水のうのまま私を迎えてくれるだろうか。