現代を強く生きる女性たちが、自由に下着を選べるように、という思いでランジェリーショップ「Tiger Lily Tokyo」を立ち上げた九冨里絵さんが「自分らしい体型」について綴ったVOICE。「どんな体型の人がどんな風にSNSで自分を表現しても、それは誰からも見下されるものではないはず」
日本でも「プラスサイズモデル」「ボディポジティブ」という言葉が知られるようになった。
この言葉は2012年頃のアメリカのフェミニストたちの運動を発端に、Instagramのハッシュタグ #bopo などを通じてじわじわと世界中に広まり始めたもの(最初の運動は1960年代のニューヨークで、それがファーストウェーブ、続いて1990年代にセカンドウェーブがあり、現在のものはサードウェーブと考えられている)。
そうした運動を受けて発生したのは「太ったままでいることは怠慢ではないか?」という(主に男性から女性への)批判や「私は痩せるために努力をしている自分の方が好きだ」という(主に女性から女性への)反発だった。
本来的にはボディポジティブは、人種、性別を問わず、プラスのサイズのすべての人に力を与え、光を当てるための社会運動だった。
最初に焦点が当たったのはプラスサイズであったけれど、その言葉にはサイズ、性別、人種に関係なく、痩せていても太っていても、すべての人が自分の身体に違和感なく生きられる世の中になるようにという願いが込められていたはずだ。
結果として、プラスサイズ女性モデルについての論争が巻き起こったことで、女性を年齢や容姿でジャッジしようとする現代社会が未だ抱える問題が浮き彫りになった。
例えば今、プラスサイズ女性が自分の水着姿の写真に「この水着を着た自分が好き」というコメントをつけてSNSに投稿すると、そこには「賞賛」と「批判」と「勇気をもらえました!」というコメントがつくだろう。
その勇気ってなんだろう。
ウエストが細く、バストが大きい女性が水着姿の写真を投稿しても、同じコメントはつかないだろうと思う。
そのコメントには「SNSに載せるには恥ずかしい姿をSNSに載せるなんて、すごく勇気のある行動ね!」という揶揄が含まれているように思う。
こういうコメントがつく限り、プラスサイズ女性はいつまで経っても「活動家」だ。
生まれたままの姿で生きられる人なんていない。
どんな人も今の体型になる過程で、主に食生活や運動習慣の多大なる影響を受けているはずで、そして、その過程で“自分らしい”選択をする権利は誰にでもある。
理想の体型を目指してダイエットやボディメイクをすることは素晴らしいこと、そして同時に他人に関係のないごく個人的なことでもある。そして、それをしない選択をすることもまた同じように素晴らしく、他人にとってはどうでもいいことだ。
どんな体型の人がどんな風にSNSで自分を表現しても、それは誰からも見下されるものではないはず。
もしこれを読んだあなたが、誰か(それは他人だけではなく、家族や恋人、友人などごく親しい人かもしれない)からあなたの体型を批判されることがあっても、絶対に気を落とさないで。
あなたは間違っていない。
あなたにはちゃんとあなたのなりたい自分になる自由がある。