無敵かもしれない恋
中学3年生のとき、背が小さくて、白い柔らかな肌を持っていて、笑顔が素敵な友達の唇に、キスしたいなぁと突然思ったこと、よく真夜中に思い出す いまのわたしの恋人も、いままで好きになったひとも男の子 だけど、女の子と恋に落ちるのもきっととても素敵だろうなぁと思うんだ #無敵かもしれない
— もうふ (@mochito1115) 2017年7月15日
多感な時期と呼ばれる年齢の頃、同性にうっすらとした恋愛感情を抱いていた・もしくは疑似恋愛のような関係を結んでいたという話は実はめずらしくないのではないかと思います。恋愛の形が多様化している今、「性別に囲われることなく人間を愛するということ」の可能性を自分の中に見出したその瞬間を覚えている、そしてそれを真夜中に思い出すというのは、とても尊い行為だと思います。
気になる人と目が合った時、逸らさずに見続けた私は #無敵かもしれない
— えり (@aker_3726) 2017年7月21日
恋に奥手だったり、そもそも自分に自信がないという人が多い中、これはささやかながらに大胆な行為だと思います。たかが視線、されど視線。何が恋愛に有効に作用するのか(または全く響かないのか)はこちらには想定しきれないことです。だからこそ、目を逸らすかどうかというアクションひとつをあなどらずに果敢に見つめ返すその姿勢、まさに無敵です。
バイト先の店長を好きになってふたりで会う3回めに安アパート4畳の部屋で好きですといって帰り際まで数えきれないくらいチューしてもらった帰りみち小雨のなか自転車漕いだ午前2時 #無敵かもしれない
— 古澤ひかり (@pika541110) 2017年7月26日
何もかも夢みたいな話ですね。職場ではじまった片想い、ふたりで会う舞台は4畳の安アパート、そして報われた告白、雨に濡れながらの帰り道。緩急のコントラストがまぶしいです。こういった漫画のようなことが起こりうる人生をわたしたちは生きているのだということを思い出しました。
サイズの話なんてした事ないのに、プレゼントされた指輪が左手の薬指ぴったりだった夜 #無敵かもしれない
— Lena (@katedeniz) 2017年7月17日
これは博打的に買ったものが偶然ぴったりだったのか、それとも彼女が寝ている間に紐か何かを薬指に巻き、その長さからサイズを割り出したのかわかりませんが、どちらだとしてもロマンティックです。愛の高まった勢いにまかせて指輪を購入し、しかもそれがぴったりだという強運を自分に対して発揮してくれる、ヒーローのような恋人。サプライズで指輪を渡せるよう、なんらかの手段を使い、こっそり指のサイズを調べる粋な恋人。そんな男性に愛されている女性は無敵です。
恋人に裏切られて縁切り寺で岩くぐりをしひとり泣きながら歩いた道を、二年後にバスで『婚約指輪 お返し』を調べながら通り過ぎている時#無敵かもしれない
— キミドリ (@harukimidori037) 2017年8月1日
恋人から裏切られるという誰もが滅入る出来事が起こったときに、負の連鎖に陥るのではなく、縁切り寺に出向くことができる行動力が素晴らしいと思いました。心身に負荷のかかった体を起こし何かアクションを起こすということは、気持ちに区切りをつけるためとはいえ、ときにはとても難しい。しかし、それができる力強い彼女だからこそ、二年後にはプロポーズを受ける結果になったのではないかと思いました。
無敵かもしれない仕事時間
バイトのお給料をもらって、つぶみを飲みながら帰る贅沢、飲み干そうと上を向けば星空で、プハァーと言いながら缶を潰す夏#無敵かもしれない pic.twitter.com/skQzuHWDLO
— 冷めたおかゆ (@tsumetaiokayu) 2017年7月13日
「つぶみ」という愛らしい響きの未知の缶ジュース、検索してみると、取り扱っている店舗や自動販売機を日本地図にマークした「全国つぶみマップ」なるものが出てきました。どうやら固定ファンの多い飲み物のようです。知名度の高さに関わらず自分の特別のお気に入りを見つけることや、たとえそれが些細なものでも生活のなかに宝石を隠し持つということは、「無敵かもしれない夜」を過ごすコツのひとつなのではないかと思います。給料日の帰り道に好きなものを飲みながら帰る、星を見つけて更に機嫌が良くなる。自分を自分で可愛がる技術さえあれば、小さな幸福はみるみるうちに連鎖していく、そしてそれらは着実に人生を彩っていくはずです。チリと幸福と無敵は積もれば山になる。
新しい環境になかなか慣れずしんどかった時、尊敬する前部署の先輩が飲みに誘ってくれて「(今の職場で)きっとわたし、周りから良く思われてないですよ〜」とへらへら話したら「お前はいいやつだよ。いいんだよ、周りのやつが知らなくても、俺が知ってんだから」って言われた夜 #無敵かもしれない
— み (@mioooops) 2017年7月28日
「つらいことがあったとき、そのダメージとは裏腹にへらへらと話してしまう」ことが誰しもあると思います。そんなときに、こちらの気持ちを汲んで"ちゃんと"労ってくれる人、代わりに"ちゃんと"怒ってくれる人、あなたは大丈夫だと"ちゃんと"解説してくれる人がひとりでもいると、気持ちが随分と救われますよね。しかもそれが尊敬している人であればなおさらです。自分が好きだと思える人に好いてもらえる自分であろうとすることは、無敵への確実な道だと思います。
仕事で疲れ果てた帰り道、電車の中で徐に小説を開いて読み始めたら、最寄駅に着く頃には、会社を出た時の疲労感が嘘みたいに、頭は澄み渡るように冴え、心には穏やかさと力が満ちていた時。どんなに疲れていても、そこから自分を連れ出してくれる術を知っている私は #無敵かもしれない 、と思う。
— エセ文学少女エミリー (@emilyandtommy) 2017年7月17日
良い文学や自分の気持ちに沿った音楽には、ヒーリング効果があると思います。この「癒しを享受する瞬間」は、文化的なものを愛することの醍醐味のひとつなのではないでしょうか。ときにはたった一行や一曲が、あなたの心の沈殿した部分をさっとひと振りしてくれて、また軽やかに日常に戻ることができる。この作用を自覚的に「連れ出してくれる術」と呼べるということが、健康的で素晴らしいことだと感じました。