これは私が、インターネットと、SNSと共に生きた29年間の、リアルな日記です。
1988年 誕生
大阪・千里ニュータウンにて、私が生まれる。名前は「塩谷舞」。三人姉妹の末っ子。お父さんはサラリーマン、お母さんは薬剤師。上にお姉ちゃんがふたり。猫1匹。
1996年 小学2年生
足が遅くてドッジボールが弱いと、小学校ヒエラルキーの中では少々、いやけっこう、生きづらいのです。しかも、滑舌も悪くて、背も低い。同学年の友達からも、なぜか「下」に扱われてしまうけど、そのことにはもう慣れてる。「ごめんね」が口癖で、それはそれは、自信のない子どもでした。教室の隅っこで自由帳に、誰にも見せない漫画を描く日々。
1998年 小学4年生
家にやってきた、Windows 95。「まるで魔法の箱みたい!」感動する私たちに、お父さんがインターネットを自由に使わせてくれました。起動時間が長かったけど、それを待つのも楽しみで仕方ない。
インターネットでは、掲示板を通してたくさんの同年代の友達ができた。学校じゃできない話ができた。みんな優しい。面白い。それにここでは、足が遅いことも、滑舌が悪いこともバレない。絵が上手、文章が上手だと認められる。なんて素晴らしい世界なの! と、瞬く間にのめり込んだのです。
掲示板だけじゃ飽き足らなくなって、自分のサイトを立ち上げて、htmlを頑張って習得して、可愛い壁紙やキラキラのGIFバナーを作って……。毎日のように絵日記を更新する。ランキングに登録する。アクセスカウンタがガンガン回る! 知らない人と、絵や文章で繋がれるなんて……なんて楽しいの、この世界は!
2002年 中学2年生
「お母さん! ケータイ買って! みんな持ってるもん」
「みんなって、ほんまにみんなか? クラスの数人とちゃうんか?」
——そんな押し問答を経て、中学2年で自分だけの携帯電話をゲット。docomoかauが良かったけど、家族割引でツーカー(ちょっとダサい……でもそんなワガママ言ってられない!)。
クラスで人気のグループに入れてもらうために、みんなのために待ち受け画面を作ってプレゼントする。それが私の社交術。そうでもしないと、口下手で運動音痴な私は仲間に入れてもらえないから。
2005年 高校2年生
お洒落好きな大学生の姉が、パソコンを使う頻度が急に上がった。オレンジ色のサイトを見ている。「mixi」って言うらしい。……なにそれ!
検索してみた。やばい、これまでの掲示板とか交流サイトとは違う。全然違う。だってトップページは青空に草むらで、さわやかな女の子たちが笑ってる。しかもオレンジ。響きも可愛い、ミクシィ。なにこれ!
「mixi」は、キラキラした大学生のためのサービスなんだ! 私も使いたい! イケてるお兄さんお姉さんの世界に仲間入りしたい!!!……と思ってさっそく調べるも、招待制。しかも年齢制限アリで、18歳から(私はまだ16歳)! なにその閉ざされたオシャレな世界…………あぁぁぁ素敵!!!!!
私の中のmixiへの憧れはもう止められず……2年も待ってられないから、なんとかして年上の友人に招待してもらい、年齢詐称(ゴメンナサイ)してアカウントを開設。そうすると、めくるめく大学生の世界が広がっていたのです。
コミュニティの豊かさ。趣味から広がる宇宙!
当時の「マイミク」はたった3人。それでも、毎日のように日記を書いて、その3人の足跡がつくだけでウルトラハッピーだったのです。
2006年 高校3年生
18歳ということで、いよいよ周囲もmixiデビュー。すると、なんということでしょう! 「メアド教えて」という、恥ずかしワードを発さずとも、気になる男子と突然連絡が取れてしまうのです。
mixiを開いて「新着メッセージがあります」の赤文字があるときの胸のバクバク! 好きな人と何度もメールして、「なんだか、mixiだと長くなっちゃうから、携帯にしよっか?」だなんてさりげなく場所を移動して。なんだこのシームレスな恋愛は!? 恋愛レボリューションとはこのことだったのか。
そしてなにより。口下手な私にとって、mixiははじめてリアルなコミュニティで自由に自分を開放できる場所でした。
「塩谷、日記おもろいなぁ? 文章上手いねんなぁ、めっちゃ読んでまうわ」って、これまで相手にもしてくれなかった他のクラスの女の子が私に話しかけてくれる。
(ネットで日記なら、私は小学5年生の頃から書いてるからな……!)と思いつつ、「え~~マジで? ありがとう!」
2007年 大学1年生
京都市立芸術大学に入学。
美大進学は未知の世界だったけど、マイミクで東京藝術大学に進学した古い友人が相談に乗ってくれる。mixiがないと、疎遠になってたなぁ。
2008年 大学2年生
私はなかなか、意識の高い美大生だったので……アート系のフリーマガジンを作りたかった。そのためにmixiのあらゆる美大・芸大コミュニティでスタッフ募集をかけたり、営業のために東京に飛んだり……(あ、夜行バスですが……)
mixiで素晴らしい美大生デザイナーに出会ったり、mixiで尊敬する方に講演会のオファーをしたり、mixiフル活用。
そんな時、流星の如く現れた鳥。Twitter!
とてつもないフィット感。周囲のギークな大人たちが使い始めたことから知ったけれども、まだ若い私のほうがずっと自由に乗りこなせる。
大学終わったなう。
河原町なう。
梅田なう。
原宿なう。
疲れたなう。
楽しいなう。
眠いなう。
取材なう。
フリーマガジンの広告枠募集してますなう。
広告埋まりましたなう。
入稿なう!
配布なう!
フリペを追加設置しに三条ニュートロンに行ったなう。
癒しのスタッフさんに『SHAKE ART!いつもすぐなくなっちゃうんですよ~』と言われ色んな意味で嬉しいなう SHAKEを探しに訪ねに来てくれる人までいるらしい!嬉みー— 塩谷 舞(milieu編集長) (@ciotan) 2010年9月19日
遊びながら慣れていく、ライトでポータブルなSNS。しかも、時に著名人からのリプライが!!!!!!!! これはすごい!!!!!!!!
あぁ私は、この土俵で有名にならなければ。Twitterを使いこなして、情報を届けるプロフェッショナルになってやる!
2010年 大学4年生
Facebookを使い始めるが、機能が多くてまだちょっとよくわからない。
2011年 大学5年生
ガラケーの2年契約。これが終われば……これが終われば、やっと憧れのiPhoneに機種変できる!
忍耐の時を経て手に入れたiPhone。手の平に収まるパソコン! 真っ先に入れたアプリはもちろん、Instagram。
私もポラロイド風の加工がしたい。あの閉ざされた世界に仲間入りしたい。
部屋の可愛い小物、アパレルショップでもらってきたポストカード、試着だけした可愛いワンピース……それっぽく加工して投稿して、まるでプリクラ帳をコツコツ作っていた頃みたいに夢中になってしまう。
あぁ、私は女の子だったんだ! そんなことを思い出させてくれるのがInstagram。
2012年 社会人1年目
就職のため上京。初めての一人暮らし。
「会社員になると、みんなのSNSが静かになるなぁ」と思って見ていた大学時代。今度は自分の番でした。
「これ作りました!」
「ここ行きました!」
「私はこう生きたい!」
「アートというものは……」
だなんてつぶやく回数は激減。家と会社の往復でいっぱいいっぱい。
せめてInstagramに、自炊の様子を淡々とポストすることで、自分の中の小さな火種を消さないようにする。私頑張ってます。東京で頑張ってます。一人だけどなんとかやってます。
大学生の頃みたいに自由な時間はなくなったけど……Instagramで手料理の写真をあげることが、私にとってのささやかな自己表現。Facebook連携もして、上司に見せちゃえ。
ひっさしぶりの料理!冬瓜ゆっくりとろとろに煮たやつと、秋刀魚と梅干しと大葉をまいたやつ。美味でしたわ http://instagr.am/p/QM1cnjqzm2/
塩谷 舞さんの投稿 2012年9月30日(日)
こないだ作った鶏肉とチーズの甘く焼いたやつ、すごい美味しかった。これレシピ http://erecipe.woman.excite.co.jp/detail/9eba05e5394bddc3eb0285550875d365.html
塩谷 舞さんの投稿 2012年6月24日(日)
2013年 社会人2年目
「お父さんお母さん、ちょっと相談があんねんけど」「どうしたん?」「会社、辞めたいねん……」
そんなLINEを家族に送った。辞めてどうするの? 転職するの? 大阪に帰るの?
家族と真面目な話をするのは苦手だったけど、チャットみたいなスピードでポツポツと、五月雨に、自分の気持ちを打ち明けていった。親は、否定も肯定もしない。とにかく心配してくれていた。テキストで、親と相談できる環境があることがありがたかった。電話だと、泣いてるのがバレちゃうから。
2014年 社会人3年目
東京3年目。社会人も3年目。
そろそろ仕事にも環境にも慣れてきたし、上司に向かって「我が社も、SNSを活用して自社のPRをするべきでは?」だなんて提案もしちゃうくらいには自信を取り戻してきた。個人でブログを始める余裕もできて、それがTwitterでバズったりもした。
すると、驚くことに! 仕事でもSNSの案件に抜擢されるように。インターネットで何かを伝えるという大好きな術を、仕事に還元できるのはとても嬉しい。水を得た魚のように、私はTwitterとFacebookで泳ぎまくる。ブログを書く。Twitterで、Facebookでシェアしまくる。フォロワーがどんどん増えていく!
昨日のnote、7000PVくらいあった。どうせ私のことなんて誰も見てないしっ、って拗ねたブログが暫定5000人くらいの方に見られてるという、ものすごい矛盾を噛み締めながらの出社。
本当の自分なんて、誰も見ちゃいない|ciotan|https://t.co/39wSguGgSA
— 塩谷 舞(milieu編集長) (@ciotan) 2014年7月22日
そんな中、私のブログをシェアしてくれた、3つ歳下の大学生にも出会った。まさかその人と3年後に、結婚することになるなんて。
2015年 フリーランス1年目
3年間、本当に本当に本当にありがとうございました!!!
株式会社CINRAを退職しました。 http://t.co/F9Qd6xHV37
— 塩谷 舞(milieu編集長) (@ciotan) 2015年5月3日
「会社をやめました。フリーランスになります!」私のそんなブログは瞬く間にTwitterやFacebookでシェアされて、信じられないほどの仕事のオファーが来た。その全部がSNS経由で、私を知ってくれた人たちだ。
「SNSの相談に乗ってくれませんか?」
はい、もちろん!
「オウンドメディアを始めたいのですが……」
やりましょう!
「バズる企画を考えてくれませんか?」
任せてください!
10歳の頃から育てていた私の「インターネットが大好き」って気持ちが、そのまま仕事になるなんて。嬉しくて嬉しくて、毎日打ち合わせに駆け回った。
嬉しすぎてキャパオーバーになっちゃうほどには、仕事が楽しくて楽しくて。記事を出せば、見事にバズる。何万人もの人が私の記事を読んでくれる!SNSに数え切れないほどのコメントが並んでる。もうアドレナリンが出すぎちゃって仕方がない。
2017年 フリーランス3年目
初めて経験した、ネット炎上。
これまで楽しいばかりだったインターネットが、自分の味方だと思っていたSNSが、まるで自分を炙り殺そうとする恐ろしいものに見えた。怖かったし、泣いたし、辞めたくなった。すべての責任は自分にあれど、他者から「死ね」と言われるのはあまりにも辛い。じゃあ、本当に死んだらあなたはどうするの????
私はインターネットが好きだけれども、地獄に行きたくって始めたわけじゃない。ただ、私はどこかにいる誰かにとっては、死んでほしい存在なんだ。SNSなんてなかったら、こんな思いをせずに済んだのに。SNSなんてなければ。
そんな混沌の中で祈るように立ち上げたのが、自分の庭である「milieu」というメディア。せめてこの中だけは、自分の信じるものだけを並べてみよう。そんな思いで作った、私の庭。まるで小学生のときに立ち上げた、自分のホームページみたいだ。
ローンチしました!ゼロからつくった、あたらしい私のメディア。クリエイティブシーンを伝えて、創って、残していきます。
写真は @yansukim !
メディアを始めます、だなんて聞き飽きたとは思うのですが @milieu_inkhttps://t.co/gYAaAgjcU9
— 塩谷 舞(milieu編集長) (@ciotan) 2017年1月30日
アクセスカウンタはもうないけれど、あの頃とは比べものにならないほど多くの人が、じっくり、私の記事を読んでくれる。Twitterから、Facebookから、Instagramから、LINE@から……それぞれの橋を渡って、私の庭に遊びに来てくれる素敵な人たち。そんな人たちをもてなすのが、私の仕事だ。
「SNSなんてなければいいのに」
「SNSがあって、本当に良かった」
どちらも嘘じゃない。でも、やっぱり、後者のほうが大きいな。
2018年 フリーランス4年目
2018年5月12日、4年前にTwitterで私を見つけてくれた彼と、結婚式を挙げた。式の最後。父は私に、こんな手紙を読んでくれた。
先ずは最初に、無事この日を迎えられたことに、心より「おめでとう」の一言を贈りたいと思います。
この一週間、汗ばむ陽気の夏日から、いきなり冬になったりと、天候も気温も目まぐるしく変わって、どうなることかと、スマホの天気予報を何度も見ては、心配していましたが、本日滞りなく開催できて、本当にほっとしています。
あなたが生まれた頃には、当然ですがまだスマホは元よりパソコンも我が家にはありませんでした。
初めてのパソコン富士通FMV95の起動音に、「おぉ!」と感動しましたね。
最初はその1台を家族みんなで使っていましたが、一番小さかったあなたが、すぐに一番使いこなしていましたね。お絵描きしたり、音声を入れたり、音楽を作ったり、教えていないのに自分でやり方を見つけて、インターネットのお友達もたくさん出来ていましたね。
覚えていますか? 「和風同盟」。
小学校5年生の頃にあなたが主催していたネット活動のグループですが、その時に作っていたサイトのバナーやロゴが、バックアップディスクにまだちゃんと残っていますよ。
本当にその頃からネットが大好きだったんですね。正に、三つ子の魂百まで、です。
好きなもの、興味のあるものに熱心に取り組む。そんな生き方を小学生から続けてきたので、高校3年生の秋になってから、芸大へと進路を変更したのも、その流れの中のことでしたね。
京都市立芸術大学への入学、学生時代の活動、就職での取り組み、フリーランスへの転進と、機会あるごとに自分自身が強く興味を持てる方向に進んで、ここまでやってきました。
自分の意志をしっかり持って、その実現のために努力し、それを周りに伝え続けておれば、共鳴する人が出来て、支援者や協力者になってもらえるんですね。
それがそんなに簡単ではないとわかっていても、あなたはきっとこれからも自分の好きなものに向かって、得意のネットの力も存分に発揮して、新しい世界を作っていくのでしょうね。読者として楽しみにしています。
そして、ここまで何とか前に進んでこられたのは、そんな皆さんの支援や協力があったればこそということを忘れずに、感謝して少しでも恩返しが出来るよう、しっかり頑張っていってください。
そんな中で、新郎の國本怜さんにも、運よくネットで共感を得て知り合い、本日に至ることが出来たことは、親としてインターネットに心からありがとうございますと申し上げます。
ニューヨークに行ったら、会える機会も少なくなるので、二人の公の仕事はもちろん、親としては異国生活が少し心配なので、普段の暮らしぶりもLINEやSNSで教えてもらいたいなと思います。
あのFMVが初めて家に来た日、あなたは言いました。
「これは魔法の箱やね。何でもできるね。」
今振り返って思います。本当に魔法の箱やった。
お父さんはパソコンを買って良かった。
素敵な魔法使いになってくれてありがとう。
これからも素晴らしい魔法を見せてくださいね。
2018年5月12日
嫁ぐ娘 舞へ
父
——もしもSNSがなかったら、私はどんな人生を過ごしていたのだろう?
展覧会『#もしもSNSがなかったら』では、そんなパラレルワールドの日記をこっそり公開しています。