かつて恋人同士だった、どこにでもいそうなふたりの男女。そんな関係のふたりが数年ぶりに再会し、結婚を控えた身でお互いの「身体の言い分」に身を任せ、いつ終わるかもわからない世界で、人生や、そこにおける性愛とはなにかを描いた映画『火口のふたり』。
本記事では、maegamimamiさん、大島智子さん、たなかみさきさんによる絵と言葉を、もうひとつの記事では、きくちゆみこさん、工藤まおりさん、haru.さんによるコメントをお届けします。この映画やこれらの記事が、自身の性や身体の声、欲望に向き合うきっかけとなり、より心のままに生きていく道中を照らすものになることを願って。
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「壊れかけの世界の中、たった二人きり抱き合う姿が気持ち良さそう」(maegamimami)
汗にまみれながらお互いを食べ尽くすように抱き合う二人の姿は、
劇中に出てくる「亡者踊り」みたいに生き生きと艶めかしくって、それは嘘のない奔放な“生”の姿だと思った。
壊れかけの世界の中、たった二人きり抱き合う姿が気持ち良さそう。
賢治は直子の身体に逃げ込むように直子を抱いていた。直子の身体の先に救いを求めるみたいに。
“生”の実感て気持ちいい。この実感欲しさに、私達はあがきつづけるのかもしれない。ふてぶてしく、今日も。(maegamimami)
「とあるニュータウンを散歩していた時、なんかエロいなと思った。その感覚を思い出しました」(大島智子)
とあるニュータウンを散歩していた時、そびえ立つマンション群と、残された丘陵地との対比にくらくらして、でもなんかエロいなと思った。東京っぽさを微塵も感じられない東京で、きゃいきゃい喋りながらマンション群に吸い込まれていく高校生たちと、新緑を彩った農地に生命力を感じたからだと思う。その時の感覚を思い出しました。(大島智子)
「男も女もどちらも何かが欠けていて、くっついて離れてを繰り返すのだけど完全な一つに見える瞬間がある」(たなかみさき)
『火口のふたり』を観て
ある日の夜に、お酒を飲みながら
大切な人が戦争に行ったりすることを想像して
泣いてしまったことを思い出しました、初夏の選挙の後のことです。
誰もがまともではいられない世の中で、信じられるものを
まっすぐに探している二人は私自身だって強く感じました。
男も女もどちらも何かが欠けていて、くっついて離れてを繰り返すのだけど
完全な一つに見える瞬間がある、そんな瞬間を描きました。(たなかみさき)