生理やねむけ、自律神経、ホルモンバランス、性欲、なみだ……。からだのことにまつわるさまざまな現象が、わたしたちには日々起こっています。社会からも自分からでさえも、そのゆらぎは無視されてはならないはずのもの。こんなわたしはわたしじゃないと否定してしまいそうになったら、自分の味方でいるやりかたを獲得して、どうか思いだして。そうすれば、昨日よりもずっと、大丈夫です。
今回は「生理現象」を連想させる絵を描くイラストレーターと、その作品をご紹介します。自分を具体的に愛しながら戦っていくために、生きていこうとがんばるからだとこころの声に耳を澄ませて、生理現象と向き合うきっかけになれば幸いです。
人々やものごとが共鳴する可能性を基に、日常に起きているあらゆることを「柔らかいもの」や「美しいもの」に変換する試みをしている作家、あないすみーやそこさん。東京生まれシドニー在住の彼女は、展示活動のほか、日本の女性やイスラムの女性のあざやかな日常、また留学や旅行などがテーマのLINEスタンプの販売や、自身のワーキングホリデー体験を描き留めた絵日記を発表しています。
多くの人々の日常や事情を観察している彼女は、世界と自分の間で起きていること、そして自分のすぐ近くで起きていることを「他人事ではない」という意識を持ってまなざしています。ものごとの関係性や、自分自身の存在についてひたむきに向き合う日々の中で生み出される作品だからこそ、見るものの意識を揺さぶるのかもしれません。
今回ご紹介したのは、鏡にうつった自分の目を見据える女性(Instagramの投稿には「I have no worries.」というキャプションが添えられています)・満月に照らされた海に佇む女性・しなびた花と涙をこぼす女性の三枚。揺るぎないことも、揺らいでしまうことも、壮大であると同時に繊細で、美しいことだと感じさせる作品群です。
そんな彼女に「こころやからだのゆらぎ」を題材とするときに感じることを尋ねてみたところ、こんなコメントをいただきました。
完璧な美しい人間が誰なのかということを考えてみると「美しさ」は人それぞれの基準によることなので例えばオレンジと車を並べて、どちらが美しい? と考えてるのと同じようなもので答えがないと思っています。女性の絵をたくさん描いていますが、私が描きたいと思っている人物は社会的な理想の美しい姿ではなく、ときどき落ち込んだり、何もしたくなくて一日中寝てたり、太ったり、日焼けしたり、毛が生えてたり、という普段の私たちです。「完璧な瞬間」のイメージでいっぱいの社会で生きている私たちにとって、完璧ではない瞬間も悪くはないと思えるような絵が描けたらいいなと考えています。
「完璧な瞬間」のイメージにおびやかされずに生きること、これは自分が自分の味方でいるための重要なヒントだと思います。活発に健全に麗しくいることだけが自然体じゃない、そして美しさは多種多様だということを忘れずに、力を抜いて自分を愛しながら過ごしていけたら素敵ですね。