ここと、あそこ。hereとthere。エレン・フライスと私の交流は、彼女がパリに住んで『Purple』を編集し、私が東京に住んで『花椿』の編集部にいたころからいつも、距離を前提としていた。年2回、私はその距離を飛び越えてパリに出張に行っていた。90年代のパリ・コレクションのシーズンだ。
距離を飛び越えたところに、友達がいるというのはワクワクすることだと、はっきり自覚するようになったのは『流行通信』で「エレンの日記」の翻訳連載を始めた2000年の始めごろだっただろうか。そして私は『here and there』という不定期刊行の雑誌をつくり始めた。題名の名付け親は、エレンだった。
Parallel Diariesの題名はエレンの提案により、Tumblrをつかって始めた二人のblogプロジェクトであった。二人とも気ままにポストをしたけれど、いつしか立ち消えてしまった。その時エレンは南西仏の村の一軒家に娘と住み、私は東京の谷中に住んでいた。いま、私は息子とロンドンに住み、エレンは変わらずその一軒家に住んでいる。
コロナウイルスによるロックダウンの生活が始まって、エレンの正直な声を聞きたくなって執筆に誘うと、エレンは「一緒に書きましょう」と言った。二人の間をメールで行き来した並行日記は、その日の気分の上澄をすくいとり、私たちのすごした季節の感情を映した。
2020年5月6日(水)
ナカコ 5月6日 15:30
連休最後の日。5月の第1週が日本では連休にあたる。イースターホリデーのように、一年でもっとも美しい、春という季節を祝うのだ。けれども年々、この時期の日本は夏のような天候になってきている。今年も東京では30度を記録したというし、千葉では地震があり、竜巻警報も出たそうだ。
私の台所の窓から、木が見える。今、この木は緑の葉を茂らせているので、窓からの景色が劇的に変わった。私たちがこのフラットに住み始めたころは、ただの枯れ木だった。だから、台所の窓のロールスクリーンはいつも、半分まで下げていた。けれども最近は、それを全開に開け放って、木のまばゆい緑が目に飛び込むようにしている。
エレン 5月6日 16:00
3月17日からロックダウンになり、フランス政府による厳しい規則が課せられた。ロックダウン開始から数週間たつと私は、少しずつルールを破りはじめた。私が住んでいる地域は、感染例がとても少ない。ルールの多くは都市生活者を対象にしたもので、私の住む地域では意味を為さない。私にとっては、自分が理解できない、あるいは同意できないルールに従うことは問題だ。
家から1km以上離れることは禁止されているが、村の周りには実質的に誰にも会わない小道がたくさんあるため、そこを歩くことに決めた。1km以上の距離があったけれども。リスクは、130ユーロの罰金。私は、危険を冒すことを選んだ。今のところ、つかまえられていない。初めての散歩では、美しい泉に囲まれた小道を選んで歩いていると、喜びの涙が目に溢れた。私は、かつてないほど散歩を楽しんだ。その日、私は誰にも会わなかった。少し神経質になっていて、どんな物音にも聴き耳をたてた。捕獲された動物のように。
それ以来、定期的に同じ道を辿っている。すこし目立たない道を選んで。家の間をぬけて村を出て行くと、道が細くなってそれから、左手にその小道がはじまる。私は、規則に従っていないのは、私だけでないことを知った。数人はいる。
1時間以上歩き続けてはいけない、という別の規則もある。外出の際には、用紙に記入しなければならない。日付や時間、サインを記入する。いつ警察につかまって、用紙の提出をもとめられてもおかしくはない。私は、1時間以上散歩する。鞄に白い紙を入れて、散歩の最後にまた別の時間を記入した。言い忘れたけれど、警察官は怠け者が多いので、車にのって村を回り、すれちがった人を全員チェックする。私はすでに、4回もチェックを受けた。けれども彼らは、散歩道に来ることはない。私の知っているかぎり。
また私たちは、同じ家に住む相手ではない人間に会うことができない。2週間前、私は人に会い始めた。私たちは全員、4週間隔離下にいたし、症状がないため、リスクを冒しているとは思えない。だから私は、友達を夕食によび、そして別の友人宅のディナーに出かけた。私は娘としか会うことがないが、彼女が父親宅に行っていて一人きりの数週間をすごした後には、別の大人と話す必要があったのだ。バーチャルな会話では、物足りなかった。
今日は私の友達の、パン屋のマリオンがランチに来てくれた。彼女はここから、45分離れたところに住んでいる。いつもは隔週で会っているのだが、今回は1か月半、いやそれより久しぶりだった。昨晩、電話で話したときはかなり落ち込んでいたようで、家や夫、子ども、猫、犬、その他もろもろに、飽き飽きしている、と言っていた。政治情勢について、生活の変化についてなど、話がはずんだ。帰る前に、彼女は私の本を何冊か借りていった。図書館は閉まっているし、マリオンは読書家なのだ。さて、私は禁断の道を散歩しに行こう。
エレン 5月6日 22:30
建築家で、私と同じようにもとはパリに住んでいた友人のキャロラインが、私を自宅に誘ってくれた。彼女はこの庭を、3人で共有している。彼らは最近、トマトを植えたばかりで、ナメクジに新しいトマトの苗を食べられないための方法を模索していた。この庭は、年老いて庭いじりをできなくなった年配の女性が貸し出したものだ。私はたくさんのバラの、何百ものつぼみが咲きそうになっている様子を鑑賞した。どこかで、緑の丘から満月がのぼっていくのを見た。すばらしく美しい見ものだった。
ナカコ 5月6日 22:30
毎日、オンラインで英語の授業を受けている。これは、ロンドンに来てから私がずっと続けている勉強で、IELTSという英語力試験の対策のための授業だ。今夜の課題は、この試験によく出る、犯罪や刑罰についての作文だった。様々な国から集まった学生たちと一緒に、死刑は適切な刑罰かどうかを議論した。日本は依然として、死刑が施行されている国の一つなので、私には発言すべき題材があった。
ほとんどの生徒は、死刑を廃止した国の出身だった。授業では1時間以内に、他の学生たちとアイデアを出し合って、文章を書かなければならない。これはほとんどの場合、うまくいかない。短時間で共同執筆をするというのは、最も難しいことの一つではないだろうか。けれども今回は違った。私は日本の宗教団体による犯罪と、その集団の代表者たちへの処刑例を話題にした。それによって、どうにか時間内に、説得力のある文章が導き出された。授業が終わったとき、普段この授業ではめったに得ることのない、達成感のようなものを感じていた。空には、満月が見えた。
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