ここと、あそこ。hereとthere。エレン・フライスと私の交流は、彼女がパリに住んで『Purple』を編集し、私が東京に住んで『花椿』の編集部にいたころからいつも、距離を前提としていた。年2回、私はその距離を飛び越えてパリに出張に行っていた。90年代のパリ・コレクションのシーズンだ。
距離を飛び越えたところに、友達がいるというのはワクワクすることだと、はっきり自覚するようになったのは『流行通信』で「エレンの日記」の翻訳連載を始めた2000年の始めごろだっただろうか。そして私は『here and there』という不定期刊行の雑誌をつくり始めた。題名の名付け親は、エレンだった。
Parallel Diariesの題名はエレンの提案により、Tumblrをつかって始めた二人のblogプロジェクトであった。二人とも気ままにポストをしたけれど、いつしか立ち消えてしまった。その時エレンは南西仏の村の一軒家に娘と住み、私は東京の谷中に住んでいた。いま、私は息子とロンドンに住み、エレンは変わらずその一軒家に住んでいる。
コロナウイルスによるロックダウンの生活が始まって、エレンの正直な声を聞きたくなって執筆に誘うと、エレンは「一緒に書きましょう」と言った。二人の間をメールで行き来した並行日記は、その日の気分の上澄をすくいとり、私たちのすごした季節の感情を映した。
2020年7月16日(木)
ナカコ 7月16日(木)18:00 Tokyo
東京に戻ってきた。昨日と一昨日は、みけまゆみさんの占星術講座に参加していた。参加者が人生の真の目的を把握できるように企画されたワークショップだ。各個人の太陽、水星、火星、金星といったサインや、アセンダントやMCが何を表しているか。2日間にわたり9時間ずつ、5人それぞれの星について、みけさんはほぼ止まることなく話し続けていた。
クラスが終わったとき、そこで得た膨大な知識量にぼおっとなった。けれども夜になると、帰国後初めて時差に悩まされず、ぐっすり朝まで寝ることができた。人生の設計図を知ることで、心の底から安心できたのかもしれない。
エレン 7月16日(木)22:30 Saint-Antonin-Noble-Val
友達のレティシアと、息子のエミルが家にいるのは、今日まで。私たちは美しい場所へピクニックに行った。二人とも写真を撮った(私はインスタントで)。レティシアは私がウスベニアオイの花を摘むのを手伝ってくれた。彼女は90年代半ばからのとても親しい友達で、約20年間、私のアートの、そして人生の冒険のほとんどに参加してくれた。私がパリを離れてから、最初のうちしばらくは会うことがなかったけれど、このところ数年は、彼女が休日を私の村で過ごすようになった。エミルは11才で、私の娘のクラリッサは10才。とてもよい友達だ。今回、私たちは彼らが長い間話し込んでいるのに気がついた。まるでティーンエイジャーのように。彼らが本物の思春期を迎えるころには、どんな友達関係になっていくのだろうか。
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