辞書通りに言うならば、「役に立たない」ことを意味する「無駄」。では、役に立たないことは、生きてゆくために必要がないのでしょうか?
「オンライン飲み会緊急脱出マシーン」や「インスタ映え台無しマシーン」など、日常の中で感じたさまざまな感情や疑問に、アイデアとユーモアを持って切り込む「無駄づくり」の活動を行なってきた藤原麻里菜さんは、自身も無駄に救われ、「無駄づくり」を通じて無駄を肯定したいと言います。
何かに心が動いたり、好きなものをひたむきに思う熱量は、直接何かの役に立つことがないかもしれない。けれどもそうした思いは決して不要なものではないと背中を押してくれるように感じた、『出会えた“好き”を大切に。』調査隊コラム7回目です。
「無駄」と言われて排除されてしまうようなものをきちんと肯定したい。
通常、何かしらの目的を持ってつくられる機械や装置を、役に立たない発明品として仕立てる。そんな「無駄づくり」の活動を2013年から続けてきた藤原さん。どこかネガティブなニュアンスもつきまとう「無駄」というものに対して、確固たる信念を持つようになったのは、なぜなのでしょう。
藤原:学生の頃、「ゲームは1日1時間まで」とか「漫画を読みすぎるな」とか、カルチャーは無駄なものとして大人から排除されていたなと感じていました。でも私は、小説や音楽や芸術などがずっと好きで。命を削ってつくり出されたような壮大な作品だけじゃなく、片手間でつくられたようなものとか、「2ちゃんねる」でたまたま見つけた書き込みとか、ちょっとしたものがふと自分の生活の隙間に入ってきて、心が救われた経験もたくさんあります。だから、「無駄」と言われて排除されてしまうようなものをきちんと肯定したくて、「無駄づくり」をやってきたんです。
「無駄づくり」において藤原さんが大事にしている「肯定すること」。日常の中で何気なく目にとまったものに救われた経験があったからこそ、その活動においても、つくりだすこと自体を肯定したいという思いがあるようです。
藤原:ものづくりって、本来誰もがやっていいと思うんです。でも、趣味だとしても、クオリティが高くてきれいなものをつくらなきゃいけないような気がしてしまったり、なんだかハードルが高いなと思っていて。自分がクオリティが高い、低いみたいなハードルを壊していかないと、他の人もやりづらくなると思うんです。
自分はものをつくることが好きだけど、不器用だから「無駄づくり」を始めるまでは何かを続けられたことがなかったんです。でも、落書きにもいいなと思える絵はあるし、自分自身もそういうものに心を救われた経験に後押しされて「無駄づくり」を続けられています。
「無駄づくり」という枠の中でやっていると、すごいものをつくったら素直に「自分すごい」って思えるし、へたなものでも「『無駄づくり』だから」って思える。「無駄づくり」はすべてを容認することができる枠組みみたいなものだと思っています。
一言で表せない複雑な感情を認めて、自分自身を理解してあげること。
これまでに「無駄づくり」で200個以上の作品を発表してきた藤原さん。多くのアウトプットを続けることについて、どのような意識を持っているのでしょうか。
藤原:1人で黙々とつくり続けることで得られる情報がすごくあるので、毎日手を動かしてつくることを大切にしています。はっきりと言葉にはできないし、自分にしかわからないけど、確実に積み重なっているものがあって。そもそも「無駄づくり」を始めた理由は「なんとなく面白そうだから」というふんわりしたものでしたが、数を積み重ねることによって、自分が考えていることの輪郭がわかってきたような感じがするんです。
好きなものについても、意識的に「これが好き」と思っているものよりも、当たり前に続けていたものの方が意外と人生の中では大切だったりしますよね。どきどきするような「好き」だけじゃなく、愛情を持って自分の中で温め続けるような「好き」もあると思うんです。
「好き」のあり方について、さらにこう続けます。
藤原:好きと嫌いの間の、グレーゾーンをいっぱいつくっておくと居心地が良いなと思います。大勢で遊ぶのも楽しいけれど、1人でいるときには大勢でいるやつらをみるとムカつくよねとか、自分自身を「性格が悪い」と思ってしまうこととか、一言で表せない複雑な感情を認めて、自分自身を理解してあげることは良いことだと思います。そうすることで他人に対しても優しくなれると思うんです。
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