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第四回:心の底からあふれて来る、強くていびつな攻撃性

12歳の焦燥と孤独。女子校が舞台の青春小説、試し読み

連載:「金木犀とメテオラ」安壇美緒
テキスト:安壇美緒 装画:志村貴子 編集:谷口愛、野村由芽
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安斎美枝子ピアノ教室は、寮から自転車で十分のところにある。オープニングセールの幟がはためく道路沿いを、宮田は地図を片手に走った。
古い塀に囲まれた大きな平屋は、開店したばかりのコンビニの二軒隣にあった。
「寮の人が電話くれた宮田さんね」
生け花の多い玄関で宮田を出迎えた初老の女性が、安斎美枝子だった。意地の悪い鳥のような老け方をしていて、嫌味ったらしい喋りが癇に障る。
「中学一年生、で合ってる? あなた、随分背が大きいのね」
杉本が言っていた通りに癖の強い安斎は、値踏みするようなまなざしで宮田をつま先から見上げた。
「東京国際芸術コンクール、ジュニアの部、三位入賞」
「はい」
「ご立派」
電話した時のものなのか、メモに目を落としながら安斎は宮田をレッスン室まで案内した。
家の中は、相当に広かった。縁側からは広い庭が見えたが、枯れた池の中には鉢が積まれていて、殺風景だった。
「築山に出来た新しい学校の生徒さんなのよね」
「そうです」
「そんなに若いうちから寮生活も大変ね。親御さんは何て?」
「寂しがってしょっちゅう電話が来ます」
「でしょうね。親と離れるには早すぎるもの」
顔を合わせた瞬間から、宮田はこの女が気に食わなかった。適当な噓をついたところで、二度と会うこともないだろう。
一回ピアノを弾いたら帰ろう、と宮田はもう決めていた。
レッスン室へ上がると、悪趣味なまでに部屋の中は花だらけだった。生花に造花、花の絵画、花モチーフの陶器やオブジェが大量に飾り付けられていて、胸焼けがしてしまいそうだった。
「見学させてくれる子が少し遅れているみたい。高校生の子なんだけど、音大志望で、有望なの」
安斎がそう自慢げに呟いたことも、宮田の心に火をつけた。そこに座って、と指された一人がけのソファには座らず、宮田はピアノに駆け寄った。宮田の自宅にあるピアノよりも大きく、年季が入っているグランドピアノだ。
「あの、生徒さんが来るまで弾いていてもいいですか?」
レースカーテン越しに裏の駐車場を覗いていた安斎が、不愉快そうに振り向いた。バン、と車のドアが閉まる音が聞こえる。
「……いま来たんじゃないかしら?」
「少しなので!」
宮田は手早く椅子を調節し、高さを合わせてそこへ座った。
人前でピアノを弾く時、心の底からあふれて来るのは強くていびつな攻撃性だった。息を吐き、目を瞑ると、宮田は自分の中に現れる始まりの合図を待った。
音大志望の高校生を、折ってやろう。
頭の中に流れたラフマニノフをなぞるように、力強い運指で宮田は鍵盤を叩き始めた。

三月末の東京にはもう桜が咲き、千鳥ヶ淵ではお濠へ向けてソメイヨシノが垂れていた。自宅のある市ヶ谷を出て、皇居沿いを走り、高等裁判所に寄ったあとに、車は大田区へと向かっていた。
「見頃だなあ」
今年は早いなあ、と嬉しそうに、修司は運転席から桜を眺めていた。
「パパ、今度靖國に夜桜見に行くんだけどさ、あそこ毎年賑わってて好きなんだよなあ」
宮田は後部座席でイヤホンをしながら、パズルゲームをやり続けていた。
羽田空港に着くと、宮田はすぐに車を降りた。車の後方へ回り、コンコンとトランクをノックすると、修司が運転席の窓から顔を覗かせた。
「パパが出そっか? 荷物」
無視して宮田が再度トランクを叩くと、がこ、と音を立てて、トランクフードが浮かび上がった。
アイスブルーのキャリーケースは、宮田の手には重かった。ひと思いにそれを持ち上げると、腕の付け根がじんと痺れた。
運転席から降りてきた修司は、勝手な感動に浸っていた。
「あれだな、おまえは本当にパパに似なかったな」
ママ似だな、とさも残念そうに呟いた。
「元気でな。勉強頑張って」
無責任な父の顔を一瞥することもなく、宮田は自動ドアの向こうへ淡々と足を踏み入れた。
空路を経て、東京から約800キロメートル離れた南斗へ降り立つと、途端に景色が白くなった。経験したことのない厳しい寒さが、大事な手先をしめつけた。
ひとりで寮へ向かうことを、宮田はなんとも思ってはいなかった。もう中学生なのだから、それが当たり前なのだと思っていた。
タクシーが築山学園の正門をくぐり、長い坂道を登り切ると、真新しい校舎の裏に今日から暮らす寮はあった。
「玄関、混んでるみたいだね」
吹雪いてるからここで待ってな、とタクシー運転手はメーターを止め、車内で宮田を待たせてくれた。
星見寮の玄関前には、段ボールを抱えた男女と、リュックを背負った子どもが見えた。なんの話をしているのか、家族はしばし動かなかった。
男は父親なのだろう。女は母親なのだろう。しかし、その傍らで身をよじらせて笑っている子どもが自分と同い年だと気づくまでには、しばしの時間が必要だった。
ああいう無邪気な光景は、自分がもう何年も前に卒業してしまったものだ。それがいつまでだったのか、思い出せもしない。
大荷物の家族がやっと玄関を離れると、タクシーのドアが開かれた。運転手に軽々と持ち上げられて、アイスブルーのキャリーケースは積雪の上に下ろされた。
寮のインターホンを押すと、ぶどう柄のエプロンの女性が笑顔で宮田を出迎えた。宮田が名乗るとすぐに、お父さんは? と彼女は近くに停まっていた数台の車の運転席を見やった。
それを聞いて、ああ、家庭調査票がちゃんと読まれているんだな、と宮田は思った。
母が倒れたあたりから、宮田は場所の感覚があやふやだ。
コンクールの壇上、病院の個室、模擬試験の帰り道、葬儀、ハウスキーパーの入るリビング、卒業式の黒板の落書き、北海道の小さな空港、新築の匂いがする学生寮。
いまいるどこか。

曲終わりをフォルティッシッシッシモに叩きつけると、弾みで宮田の両手はとんだ。
静まり返ったレッスン室に、裏の駐車場から犬の無駄吠えが届いていた。
「あ、すみません」
ドアのところに制服姿の女子が立っていることに気づいた宮田は、すぐにピアノ椅子を立った。宮田よりも小柄な彼女は、呆然とそこに立ち尽くしていた。
一度弾き終えてしまうと、安斎も、音大志望の生徒のことも、どうでもよくなっていた。
月謝の袋を突っ返すと、安斎はそれから何も喋らなかった。宮田も黙って教室を後にした。
帰りはオープニングセールをしているコンビニに寄り、HBのシャープペンの芯を買った。少し遠回りしてから寮へ戻ると、玄関に入ってすぐに昼食のうどんの匂いがした。

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PROFILE

安壇美緒
安壇美緒

1986年、北海道生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2017年に『天龍院亜希子の日記』で第30回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。

INFORMATION

書籍情報 
書籍情報 
『金木犀とメテオラ』
著者:安壇美緒

2020年2月26日(水)発売
価格:1,870円(税込)
『金木犀とメテオラ』

連載:「金木犀とメテオラ」安壇美緒
連載:「金木犀とメテオラ」安壇美緒
12歳の焦燥と孤独。北海道の女子校を
舞台にした小説。1章分を試し読み掲載

第一回:北海道? まさか私の話じゃないでしょ?
第二回:なんだか噓くさいあの子
第三回:「絶対に首位はとらせない」
第四回:心の底からあふれて来る、強くていびつな攻撃性

第四回:心の底からあふれて来る、強くていびつな攻撃性

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