「ここからどこにも行けないんじゃないか」と思う時があるんです。
5月の特集「生活をつくる」のカバーイメージにも、日記帳の刺繍が施されています。このカバーイメージはエヒラさんのご自宅のベッドサイドをモチーフにしているそう。「生活をつくる」というテーマを聞いて、一番にベッドサイドを思い浮かべたと言います。
エヒラ:実際に自分の部屋のベッドサイドにあるものを刺繍していて。ここで描かれているのは、本当に私の生活そのまま(笑)。家に帰ったら、まずベッドサイドになんでも置くクセがあって。1日にあったことが積み重なっていく場所なんです。部屋の外で起きることも生活の一部なのに、「生活」と聞いて真っ先にベッドサイドを思い浮かべたということは、私は部屋の中のことしか生活って思えていないんだなって思いました。
優しいイエローの「どこへでも行ける私たちのトートバッグ」の刺繍も、ベッドサイドの景色を切り取ったもの。くすんだ青のかすみ草がアクセントになっており、生地と同系色の刺繍糸で花瓶や写真が置かれた窓辺が紡がれています。
エヒラ:いつも窓辺に花を飾っていて、故郷の写真を立ててあります。このトートバッグを持ち歩くことで部屋の中から外に生活を持ち出せるように、「生活を忘れるのではなく、生活ごと新しい場所に連れていく」というイメージで刺繍しました。
いっそのことならすべてを投げ出して、「この身ひとつで」と外の世界へ飛び出していく人たちもいますし、そのほうが身軽な気もします。でも、なぜエヒラさんは生活ごと外に連れていこうと思ったのでしょうか?
エヒラ:自分の部屋にいると、ベッドサイドを毎日眺めて「ここからどこにも行けないんじゃないか」と思う時があるんです。どこにでも引っ越せるのに引っ越さない自分とか、環境を変えられるのに変えられない自分がいて、この部屋で生活がつまらなく続いていくのかって。
でも絶対にどこへでも行けるし、そのためになにかを捨てなくてもいい。私は地方出身で、故郷に戻る・戻らないとか、どこで生きるのかっていうことをすごく考えます。でも、故郷を捨てるわけでもなく、昔の生活も今の生活も丸ごと持ってどこかに行けたらいいなと思って、故郷の写真を刺繍しました。
これから別の場所で生活することを考えると、なんだか自分じゃない誰かの話のように思えてしまうこともあるかもしれません。でも、昔の生活も今の生活もこの先にある生活も、すべて地続きになっているものだから、きれいさっぱり切り離して考えなくてもいいし、全部を捨てたり全部を変える必要はない。エヒラさんの刺繍は、今までつくってきた生活をそのままどこか別の場所に連れ出すことができるということを教えてくれます。
自分であるために孤独って必要なんです。
そんなエヒラさんにとって、生活の中で刺繍をすることや日記を書くことは「世の中とつながる手段」なのだそう。刺繍も日記も、どちらかというと世の中と遮断して自分と向き合う印象を抱きますが、なぜなのでしょうか?
エヒラ:たしかにつくっている時は孤独ですけど、その先に受け取ってくれる人がいますから。孤独を埋めたほうがいいのでは、と思っていた時期もありましたけど、自分であるためには孤独って必要なんです。一見マイナスな印象を感じるけど、そういう考え方もあってこその自分だから。
それに、人と話してみると意外とどんな人でも孤独を抱えていて、そんなに特別なことじゃないんですよね。今では「孤独を愛してるでしょ」「孤独だよね」っていじられても受け止められるようになってきたし、捉え方次第で孤独もプラス要素になるものだと感じます。
エヒラさんが現在の刺繍のスタイルに行き着くまでのエピソードも、変わらない環境の中で、工夫して変化をもたらす力、マイナスをプラスに転換する力に満ちていました。
エヒラ:手に職をつけようと思って服飾の大学に入って服づくりをしていたんですけど、途中で服づくりが嫌になってしまって(笑)。もともと絵を描くのが好きだったけれど、絵では食べていけないと思って服飾を選んだんですけどね。でも大学3年生の時に、糸と針で絵を描くのは服飾の学部でも許されるんじゃないかと思って、本格的に刺繍を始めたんです。そしたら道が見えてきて、そのまま刺繍の研究室に入りました。
でも、大学側から求められることと私のやりたいことが違って。そのフラストレーションがあったから、学校とは別に自分の作品をつくっていたんです。まさに、生活は変えられないけど、その中でどう変わろうか考えていました。というか、むしろ、ものごとを見る時に基本的にマイナスから入るから、そういう反骨精神や孤独みたいなものがないと、日記や刺繍をやらなかったのかもしれないです(笑)。
考えて考えて深く潜っていってしまう人ほど、そこから抜け道をつくることに長けているのかもしれません。エヒラさんも「底まで落ちたところからの上がり具合がすごいんだと思います」と笑います。