二人の少女の間には、恋愛ではないけれど友情を超えた、ものすごい信頼感みたいなものがある。(今日)
ーお二人が女性の内面や生き方に目を向ける際に、女子校出身であることによるものの見方も反映されているように感じます。辛酸さんは、著書『女子校育ち』のなかで、「女の敵は女ではない」というふうにも書かれていますが、その環境のなかでどのような見方を身につけたのでしょうか。
辛酸:異性がいないことも影響していたせいか、学生時代は「可愛くてスタイルがいい子が人気」じゃなくて、容姿よりも雰囲気や考えが魅力的な人が人気じゃなかったですか?
今日:キャラクターが面白い人が一番モテていましたよね。
辛酸:そのおかげで、容姿のコンプレックスをいだきにくかったのはよかった(笑)。
今日:あるとき、共学の学校に通っている全然仲が良くない男子から「化粧したほうがいいよ」と急に言われて、傷つきながら怒った思い出があります(笑)。私の通っていた女子校ではそういうことは誰からも言われず、むしろすっぴんでいる子に「まつげが長くて可愛いね」とそのままでいることを褒めたり、いろんな女の子がいるから、自分の好みの女の子を「あの子が好み」だと普通に褒めたりしていたので。もちろん学校にもよると思いますが、同性に優しいというか。
今日マチ子「先輩」(『センネン画報 +10 years』より) (C)Machiko Kyo 2018
辛酸:10代は多感な時期だから、異性の目を気にし出すと、容姿にも気を遣うし、同性同士をライバル視して問題が起きたりもしますよね。それがないというのはやっぱり比較的平和だったかもしれません。もちろん、東京女学館のように、いわゆるモテる女子校と呼ばれる環境もあるわけですが、女学館の人に取材をしたら、学校ごとにテリトリーがかぶらないように、狙いを定める男子校をわけることで平和に暮らすと言ってました(笑)。
ーすごい……。全員同じではないと思いますし、時代によっても変わるように感じますが、そのときの校風というものはあるかもしれませんね。
今日:あとは、女子校だと、恋愛じゃないけれどかといって友情でもない、ものすごく不思議な感情をもたらす関係が生まれることがあります。それはのちのち、好きな人とお付き合いしても感じることのない不思議な感覚だったりもして。
それで、私は絵のなかに二人の少女を描くとき、いつも恋愛ではないけれど友情を超えたなにか、ものすごい信頼感みたいなものがあるという設定のことが多いんです。
今日マチ子「国道232号線、海沿いの道」(作品用のラフスケッチより)
お互いを品定めせず、ジャッジの目が厳しくない見方のほうが、気持ちが楽です。(辛酸)
ー女子校だと、生徒会長も文化祭で重い荷物を運ぶのも全部自分たちでやるし、社会のなかでいわゆる「男性がやること」「女性だからできないこと」とされている役割も割り当てられるために、「やれること」の領域の認識が広がるようなところがありますよね。
辛酸:そういうところはあると思います。「女性だからできない」ではなくて、やらなければいけないことも、やれることも多い環境だから、幅が広がりますよね。私は女子校のリサーチがライフワークなので、いろいろな女子校の方に会っているのですが、一口に女子校と言っても、都内だけでさまざまなタイプがあるんです。女子校にいると、「女だから」みたいなことではくくれなくて、「いろんな人がいる」ってことが可視化されやすい。
ー逆に、「同性」が集まると怖いと言われることについては、お二人はどう考えますか?
辛酸:主観ではありますが、私の出身校の女子学院のようにワイルドな校風の環境もあれば、そんな自分からするとびっくりするぐらい細やかな感性が求められる環境もある。掃除をやたら重視している女子校とか。
今日:たとえばですが、すごく配慮が行き届いていてきめ細やかな人がいたとして、それが他の人から見て少し行き過ぎているなと感じたとき、「女っぽさが怖い」みたいな言い方で形容されてしまうことがあるような気がしています。
ーあくまでも個人同士の正義がぶつかっている状態なのに、「その性別だから怖い」という見方にすり替わってしまう。
辛酸:あとは、マウンティング的な会話で自分の優位性を見せてくる人が意外と多いというのは、怖さではあるかもしれません。「女度」が高い女性はサバサバ系を装っていても、実は同性に対してキツい性格だったりしますよね。女子ばかりの環境だと、バランスを取るために、インナー少年だったりインナーおじさんの部分が育って、それが同性に対して寛容になるように思います。
今日マチ子「バレンタインデーの準備中」(作品用のラフスケッチより)
ーそもそもの前提として、ひとりひとりは同じではないのに「同じ」だと思っている、あるいは社会によってそう思わされていたり、女性同士で戦わなければならないような状況になっていたりするために、他者より優位に立とうとしたり、相手のちょっとしたことが許せなくなったりする状況があるなと感じました。
「同じ女性なのに」とか「同じ日本人なのに」とか、「同じ」をベースにするのではなくて、「人と自分は違う」という前提に立たないと、「私は我慢してるのに」とか「私はちゃんとしてるのに」というスイッチが入ってしまって、自分も相手もつらくなってしまうのかなと。
辛酸:それは本当にそうですね。私も19歳ぐらいのときに、同じ学校の友達が「私もう処女じゃないから」って突然言い出して、そのときは動揺しました……(笑)。いま思えば、それが自分と相手の「ライフステージ」の違いを感じた初めての体験だったかも。
いま私のまわりにいるのは、お互いを品定めし合わないというか、ジャッジの目が厳しくない人が多い気がします。そういう見方のほうが、気持ちが楽です。