別れがなかったら大変よねえ。死ななかったら人はどうする? きっとつまらない。(池田)
ーShe isの8月特集は「刹那」です。これまでお話をうかがって、俳句は断片を切り取りながらも、一瞬から永遠までの様々な時空を含められる表現だと知りました。
さらに、池田さんと佐藤さんは師弟関係として、文化を手渡していく間柄でもあります。最後に、二人にとっての「刹那」や「別れ」とは何でしょう?
池田:別れがなかったら大変よねえ。死ななかったら人はどうする? きっとつまらない。死ぬと知っているから、こうしてたまたまお会いしたことが嬉しいし、人を好きになるんです。永久に死ななかったらきっと何も考えない、恋愛もしないでしょう。
佐藤:死なないなら、新しく生まれてくる人もいなくていい。自分たちだけ生きていればいいですもんね。
<吸入器君が寝言に我が名あれ 佐藤文香>
この句も、死を意識したときに書いた恋の句です。
池田:面白い句ですよね。「君が寝言に」って健気で可愛い。これが恋だわ。
佐藤:受け渡すということで言うと、私は池田澄子を知らない人たちに、その人柄と作品を届けることをやっていきたいなと思っています。結社というシステムがあれば、主宰の作品は残っていくのですが、澄子さんは結社を持っていないので。澄子さんと私は一般的な師弟関係とは若干違う間柄ではありつつ。
ーあ、そうなのですか?
池田:友達よ、友達(笑)。
佐藤:俳句を見てもらっていたこともあるんですけど、最近は澄子さんに見せずに、勝手に発表しているから(笑)。でも、澄子さんの作品から刺激を受けて書いているという意味では、俳句に関わる上で一番大事な存在です。LINE友達でもあり、ご近所仲間でもありますが。先日は西瓜をいただきました(笑)。
「俳句だから見て」じゃなくて、ただただいいものとして、おすすめしたい。(佐藤)
池田:自分の句が忘れられたら嫌だとは感じないけれど、私をつくってくださった三橋敏雄の句に対しては、責任とお礼の気持ちがあります。私が覚えておきますよというのもあるけど、自分も死んじゃうわけで、世のなかから消えてしまうにはあまりにももったいないから。
三橋敏雄は「新興俳句」の俳人だったのですが、戦意高揚の句が国から推奨されるなか、反戦や厭戦を標榜したり、季語がない無季俳句をつくろうとしていた。そして「新興俳句弾圧事件」(1940~1943年)が起きたんです。
三橋敏雄はまだ若かったから捕まらなかったけど、彼が目指していた人たちは捕まって、俳句が書けない時代があった。彼自身もその後に戦争に行ったこともあり、社会の犠牲者に対しての思いを持ち続けていたの。少数派に心を寄せる人だった。
<人類憐愍令(じんるいあわれみのれい)あれ天の川>
<絶滅のかの狼を連れ歩く>
こういう句をつくっていた人です。たんなる優雅な風流韻事ではなかった。私自身も、自分の主題を述べるのは気恥ずかしいし、ちょっとダサいけど、命の確かさと儚さ、人は死ぬのだということをやっぱり書きたいのです。
父が戦争で死んでいて、それがいまでもずっと、悔しいです。家族を置いて死んでいかなきゃならないのはどんな悔しかっただろう、かわいそうだって。それがあったから書きたい人になったのだと思いますし、戦争反対という言葉ではないやり方で、人が生きること、死ぬことを書いているのだと感じます。
佐藤:音楽や映画、漫画や工芸、さまざまなジャンルのどこにでも、その人しかつくれないものをつくろうとして、実際につくっている人たちがいます。俳句では、澄子さんや三橋敏雄らの俳句がある。「俳句だから見て」じゃなくて、このジャンルの面白いものとして、おすすめしたい。「食べないと損、読まないと損だよ」みたいな気軽さで、「これだけは読んでおきなよ」と伝えたいなと思っています。こんなにいいものが、いろんな人から見えないところにあるのはもったいない。この言葉を欲している人がいたら、いつでも届くように、残していきたいですね。
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