自分が「フェミニスト」かどうかはっきりさせなくても、フェミニズムが自分のあり方を示してくれるものであることは変わらないし、その言葉を使うことを恐れなくてもいい。
─アンジュルムを卒業後、自分自身でいられる時間が圧倒的に増えたことで、どんな変化がありましたか?
和田:フェミニズムやジェンダーという言葉を口に出して言えるようになりました。グループにいた頃はそれらの直接的な言葉は使わずに、「女性のあり方を考えたい」とふんわりと表現していて。これは仕方のないことですけど、フェミニズムやジェンダーという言葉に対して嫌悪感を示す人もきっといますよね。自分自身もそこに怯えていたし、覚悟もあまりできていなかったと思います。
ひとりになって、女性のあり方について発言する機会が増えたときに、「じゃあ私はフェミニストなのか?」と考えたんですよ。でも、素直に「はい」とは言えなくて。フェミニスト的な視点を持って女性のあり方を考えているし、フェミニズムやジェンダーという言葉を知ったからこそ、いろんな言葉を持って発信できるようになったけれど、まだ自分がフェミニストであるかどうかについては疑問もあるんです。
─考え続けている途中なんですね。
和田:でも、自分が「フェミニスト」かどうかはっきりさせなくても、それらの思想が自分のあり方を指し示してくれるものであることは変わらないので、フェミニズムという言葉を使っていくことを恐れなくてもいいと思うようになりました。
きっとこれからも、その言葉との付き合い方は変化するだろうと思いますし、いまだに恐れもあります。周りからも「あやちょ(和田彩花のニックネーム)はそっちの考え方に影響されているんだよ」とか、「そうならずに、今まで通り可愛くいてよ」とか言われることもあって。そういう考えもあるとは思うのですが、私は今、学びたいことがあるから自分の中にあるものを大切にしたいですね。
少女時代、やなぎみわ、アルテミジア・ジェンティレスキ、『82年生まれ、キム・ジヨン』『三つ編み』『菜食主義者』。フェミニズムの考え方を学んだものたち。
─フェミニズムやジェンダーについては、どのように勉強されているのですか?
和田:本を読むことが多いです。専門書だと頭で理解するのが難しいので、最近は海外の小説がわかりやすく学べるのかなって思っていて。『82年生まれ、キム・ジヨン』(著:チョ・ナムジュ、発行:筑摩書房、参考記事:『82年生まれ、キム・ジヨン』を訳した斎藤真理子が読者の声を考察)や『三つ編み』(著:レティシア・コロンバニ、発行:早川書房)、あと『菜食主義者』(著:ハン・ガン、発行:cuon)は半分くらいまで読みました。それと学校で専攻している美術史の中で、「女性表象」に興味を持っていたので、フェミニズムアートの方面から多くを学んだと思います。
─主にどのような作家、作品が興味を持つきっかけでしたか?
和田:やなぎみわさんの老女と少女が寓話を演じるシリーズ(『フェアリーテール』)を見たときは、まだフェミニズムやジェンダーという言葉を聞いたことがある程度だったんですけど、作品を考察するにあたってこれらの視点が必要なことを先生に教わって。
その後に出会って決定的だったのは、アルテミジア・ジェンティレスキという、17世紀の女性画家の存在です。アルテミジアの作品は、当時主流だった男性画家の描き方とは明らかに違っていて、女性の心理を現実的に描いています。
─具体的にはどういったところが現実的だったのでしょう?
和田:たとえば、宗教的な主題で男性の生首を手で切る、という絵があって、男性の視点で描かれた女性は何も恐れずに生首をつかんで、首を切るんですよ。きっと女性と死の対比を美しく見せたかったんだと思います。でも、実際に首を切るとしたらきっと力強さがいるし、気持ち悪いし、怖いじゃないですか。アルテミジアの描いた女性は必死な表情をしていて、男女の視点の違いに気がつきました。
彼女が登場した時代は、画家のほとんどが男性だったんですよね。その理由のひとつに、美術の世界だとヌードのデッサンがすごく重要なんですけど、女の人はヌードをデッサンする部屋に入ることが許されず、学校に通うことも難しく、評価されるきっかけが制限されていたと知って驚きました。
─そういった性差の構図は、現代でも存在しているものですよね。
和田:私は特に19世紀のモダンアートがすごく好きなのですが、それは19世紀というのが男女の構造が明確になっていき、近代も始まり、今の私たちの生活に近いものができあがった時期だから。今自分が感じている違和感は、その時代から地続きなのだと理解したうえで、その時代と現代の状況を照らし合わせながら学んでいます。
─海外で活躍するアーティストのパフォーマンスから学ぶことはありましたか?
和田:私はもともとハロー!プロジェクトが大好きで、先輩方も「女性らしさ」にとらわれていない人が多かったのですが、衝撃的だったのは少女時代です。かっこいい髪型、服装、パフォーマンス。「私もあんなセクシーな踊りをしてみたい!」って。自分の身体を使って、誰のためでもなく、自分がいいと思う表現をしている。少女時代はそう見えて、こんな姿にも女の子はなれるんだと改めて気付きましたね。