日々の出来事にゆれ動く心や、そのときどきにうつろってゆく身体。強さとは、ぶれず傷つかないタフさを持つことのように感じたりもするけれど、柔らかいものほど折れにくいように、ざわめき、たゆたう感覚を保ったままだからこそ得られる、しなやかな強度がきっとあるはず。
今回She isでは、敏感肌研究から生まれたスキンケアブランド・freeplusがおくる「freeplus YELL project 2020」とコラボレーション。敏感な感受性を肯定し、一歩先へ踏みだそうとする人の背中を優しく押すこのキャンペーンと連動し、柔らかな感覚を持ってそれぞれの道を歩む3名の女性にインタビューを行います。
初の長編監督作『少女邂逅』(2017年)が話題を呼んだ、映画監督の枝優花さんは、前回の記事(枝優花は寂しくて救われたくて映画を撮る。「気持ちの弱さは悪いことじゃない」)では、気持ちが弱くなってしまう瞬間はけっして悪いことではなく、強くなり方にもいろいろあるのだということを語ってくださいました。今回は、写真家でもある枝さんに撮影していただいた、現在とこれからのご自身をつくる5つの大切なものたちをとらえた写真と合わせ、お話を伺いました。
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枝優花さんを形づくる5つの大切なもの。写真を撮って自分を分析する
─今回、現在とこれからの枝さんをつくっていく5つのトピックを、枝さん自身に挙げてもらい、撮影していただきました。それらについてひとつずつ伺っていきたいと思います。
1.現場
─まずは「現場」ですね。
枝:「ものをつくるうえで、どの過程が一番楽しいですか?」ってよく聞かれるんですけど、やっぱり今は現場が一番楽しいです。毎回緊張しますし、自分の不甲斐なさを感じて落ち込んだり、単純に生理的欲求で「寝たい」とか「寒い」とか思ったり、みんなで「ああじゃないこうじゃない」ってたまに喧嘩したりして嫌になったりもするけれど、こんなに感情がぐるぐる動く時間ってほかにないなと思うんです。
自分が部屋で一人寂しく書いた一行が、複数人の力によって具体化されることに、モニター前で泣きそうになる瞬間があって。そういう奇跡は1本の作品で1秒起こればいいくらいなんですけど、そういう瞬間に出会えると、生きていてよかったと思います。
─助監督をされていた時期と監督になってからでは、現場に対する感覚も変わってきた部分があるのでしょうか。
枝:普段の生活のなかで、「絶対にこうしたい」と思うことってそんなにないと思うんですよ。「ご飯どこ食べに行く?」ってなったとき、わりと多くの人が「どこでもいいよ」って言うじゃないですか(笑)。そこで即答できる人ももちろんいると思うんですけど。
でも、映画は監督のやりたいことを実現する場だから、みんなが私の意思を知りたがっていて、例えば箸の色が赤か青か、正直どっちでもいいような場合でも、どちらにするか決めなきゃいけない。そうやって「あなたはどうしたい?」って常に問いかけられていくなかで、日常でも自分がどうしたいかを考えるようになったし、考え方も変わっていきました。
2.映画館
─そして「映画館」。動画配信サービスも盛り上がりを見せているなかで、枝さんにとって映画館がどんな場所か教えていただけますか。
枝:私、Netflixがすごく好きなんですよ。移動中や寝る前にも観るし、こんなにたくさんの作品を定額で観ることができて本当にいい時代だと思うんです。でも、映画館で観たときの感動や受け止め方ってまったく違って。子どもの頃、ときどき家族で映画館に行くことがあったんですけど、それがめちゃくちゃ印象に残っているんです。
同じ作品をDVDで観ても、もしかしたらいいと思ったかもしれないけれど、わざわざ家族で映画館に行って観て、帰りの車のなかでよかったところをあれこれ話したりした、その全部が映画館に行くという体験に含まれていて。その体験が自分たちの世代で終わってしまうのはもったいないと思っているから、「映画館で観るのってけっこういいよ」っていうことを私は伝えていきたいんです。
─ご自身の映画が劇場で公開された経験を通して感じたことはありますか。
枝:劇場に来てもらうことのハードルの高さは、自分の映画が公開されてみてわかりました。毎日お客さんがどれぐらい入っているか確認していたし、1週間ごとに上映の延長や興行についての報告が入って、「監督ってつくったあともこんなに苦しいの?」って思いました。
そういう現実はありつつ、去年、初めて野外の音楽フェスに行ってみて、これはいいなと思ったんですよ。基本的にアクティブじゃないから、今まであんまり積極的じゃなかったんだけど、行ってみたら楽しくて、フェスで好きになったアーティストの曲を1週間ずっと聴いたりもして。サブスクリプションが普及して、個人で体験できることが増えたから、逆に集団で楽しむことに多くの人が向かい始めているんだなと改めて気づきました。
でも、映画はその流れにあんまりついていけてなくて、ちょっと高尚なものみたいになっていますよね。だからもっと敷居が低くなればいいと思っていて、今、地元で野外上映フェスみたいなことをできないかと考えたりしています。映画を観るつもりじゃなくても、「楽しそうだから行ってみよう」っていう若い人たちが来てくれたらいいなって。なんなら、映画をちゃんと観なくてもいいんです。それでもなんとなく覚えているワンシーンがあって、もう一度家で観てくれる人がいたりしたらいい。とにかく大きな画面で映画に触れる接点を増やしたいんです。
3.家族
─3つ目が「家族」ですね。ご家族はどんな方たちですか?
枝:構成は、父、母、妹、犬です。家族が大好きなんですよね。私は学校生活が大変だったから反抗期を逃したというか、むしろ助けられていたところがあって。今の仕事を一番応援してくれているのも家族です。
─最初は反対されていたそうですね。
枝:小学校6年生の頃、「テレビの向こうの世界に行ってみたい」という単純な好奇心を持っていたら、東京から先生がやってきて演技を教えてくれるワークショップのお知らせが、回覧板で回ってきて。めちゃくちゃ勇気を出して親にやりたいと言ってみたけど、「なんでお芝居をやってみたいのか説明しなさい」って厳しく言われました。そのときとっさに取りつくろって、「映画に出てみたい」って思ってもいないのに言ったことが言霊みたいになっちゃって、そこから意識して映画を観始めるようになりました。
結果的に、送り迎えだけはしてくれたけど、認めてくれていたわけではなかったので、自分でお年玉を切り崩して通っていて。早く結果を出して親を納得させないと、自分がいつまでも親にとらわれてしまうと思って、生き急いでいました。少し結果を出せた今は、親がSNSで私だけをフォローするアカウントを持っていたり(笑)、私よりも私の情報に詳しいくらいですね。
4.友人との時間
─学校生活が大変だったり、お友達が少ない時期があったというお話をされていましたが、4つ目に「友人との時間」を挙げられていますね。
枝:中学生の頃、友達とどうしてもうまくいかなくて、高校は中学の友達があんまりいないところへ行ったんです。自分のことを知らない人たちのなかで、少しだけ自分がなりたい自分になって話そうとしてみたり、人間不信だけど、どうにか頑張っていた時期にできた友達がすごく大事で。
仕事関係の人といると、どうしても建設的な話をしてしまうんですけど、地元の友達は本当にくだらない話をひたすら聞いてくれるんです。東京に住んでいる友達もいるから、たまに会って、深夜のファミレスでずっと犬やコスメの話をしたり、Twitterで見つけた面白い動画を見せ合ったり、生活のベースの部分について話せることが楽しい。自分が「普通の生活」みたいなものと、断絶されている部分があるから、学生時代の友達と会うことで素の感覚を取り戻そうとしているのかもしれません。
5.一人で自分と向き合う時間
─そして最後に「一人で自分と向き合う時間」。枝さんが一人だと感じられる場所はどこですか。
枝:やっぱり家にいるときですね。一人でいるときは、ひたすら料理をしたり、近所を散歩したりするんですけど、基本的にはずっと創作のことを考えています。この仕事を辞めない限りはきっと、ずっとこうなんだろうなと思って。ここまでに挙げた要素が繋がってくるんですけど、一人の時間を経て、どうしても解決できなかったことを友達に聞いてもらって答えが出たり、現場で試してみることによってわかることがあったり。そこからまた一人になって考える……というのを、延々と行ったり来たりしています。
─今回、この5つのトピックを挙げてみていかがでしたか。
枝:すぐ思い浮かんだんです。自分の人生を形づくっているパーツが明確なんだなあと。多分、常に自分と対峙しなきゃいけない仕事だからだと思っていて、よく若い子たちから、「やりたいことがない」とか「好きなことや自分のいいところがわからない」と言われるんですけど、それは自分と対峙する時間があまりにも少ないからだと感じます。自分がどういう人間かもわからずに、他人に自分の人生の主導権を握らせている人が、すごく多い。だからこそ、うまくいかないことを誰かのせいにしてしまったりするんですよね。
でも、自分と対峙しないのって、人生を放棄することであって、「まじでつまらないぞ」と思うんです。感じることを緩やかにやめていったり、考えることを放棄するのが大人になることだとされたりもするけれど、それってすごく寂しいから、自分と向き合う時間を大切にできたらと思います。