がむしゃらでめちゃくちゃ汗かいてて、部屋が汚かったりしても、その人は私にとって美しい。(前田)
—さきほど亀田さんのお話にもありましたが、今、一人ひとりが持っている「その人本来の美しさ」に目が向けられて、それが肯定される世の中になってきていると思います。そんななかで、エマさんが考える「美しい人」ってどういう人ですか?
前田:主張しなくとも言葉を持っている人。それは文章がうまいとか、しゃべるのが上手とかそういうことじゃなくて。目の前に起こるすべてのことに対して、自分なりの感情をしっかり持ってるけど、それをひけらかしたり自慢するのではなく、時がきたらちゃんとそれを大事に行動できる人が美しいなと思います。
—芯の強さみたいなものの美しさにエマさんは惹かれるんですね。
前田:そうかもしれません。毎日を100パーセント心を込めて生きることってなかなかできないけれど、それって当たり前だと私は思っています。それよりも、目の前のことや隣にいる人に対して、一生懸命に全力で接していける人が美しいと思います。がむしゃらでめちゃくちゃ汗かいてて、部屋が汚かったりしても、その人は私にとって美しいって感覚はずっとありますね。
—それって、その人が自分に対しても一生懸命でいるからこその姿ですよね。あと、さきほど話の出たオンライン飲み会など、この状況のなかで様々なコミュニケーション手法が生まれたように感じています。エマさんは最近、どういうふうに人と関わりあっていますか?
前田:私、この期間になってすごく手紙を書くようになりました。手紙を書くことって、人のためじゃなくて、自分とその人の距離を明確にしていくことなんじゃないかって。今、自分がどういう状況にあるかを人に書いて話すことによって浮き彫りにさせていくことだと思っていて。
—それによってエマさんが自分に対して新しく気づくことはありました?
前田:よくも悪くも自分の時間軸や価値観をぶらさずに生きられているっていうことかなあ、と思います。もともと他人のことがあまり気にならないし、言葉を選ばずに言うと、他人のことはどうでもいいなって感覚が強めだとは思っていたんですけど、それがよりはっきりしたというか。
情報をキャッチするのが得意なほうじゃないし、流行にも鈍感ですし、ニュースやメディアもあんまり見ないんです。でも、それが逆にいい形で作用して、心に空白を作れているんだなと思いました。本当に興味があることにしかやる気や行動が起こせないし、そこがすごくはっきりしているんだなとあらためて思いました。
—そういう揺るがない部分が、勇気になったり、生きることへの原動力につながっていくのかもしれませんね。とはいえ、やっぱりまわりの情報や、これまで多くの人が支持してきた「美しさ」「素晴らしさ」に触れることで、自信が持てなくなったり、自分が持っているパワーがしぼんでいってしまう人もいるんじゃないかなと思っていて。
前田:たしかにそうですね。私は「開き直り人間」なんですよ。家族から「薄情」って毎日のように言われるんですけど、それに対しても、まったく怒りの感情とか起こらず、「はい、そうです。私は薄情です」みたいな(笑)。ダメなところも、逆におもしろがれたらいいのかなって。たぶん、薄情じゃなかったら私文章書けないと思うんです。
やっぱり私も文章を書き始めた頃は、いろんな人に読んでほしくて、当たり障りのない言葉を選びがちでした。いろんな人の懐に入りたい! と思っていたのかも。でも、他人から見たら黒い感情とか、ちょっと屁理屈っぽいと思われる部分が、私のなかにはあるから、それを正々堂々と書いていこう! と途中から心を入れ替えました。自分が家族から薄情だと言われていることや、小さいから抱いていた自分の世界でしか通用しない当たり前を、ひとつずつ思い出してちゃんと書いてみたら、そこから文章を書く仕事が増えたんですよね。ある角度から見たらマイナスだと思われる部分も角度を変えたらおもしろさにもなるし、私はそれを文章に書くことにすごく救われてきたんです。
—本来のエマさんの中にあるものを言葉にしていったんですね。当たり障りのない文章を書いていたときは自分に対して違和感があったんですか?
前田:モデルっていう表に出る仕事をしているのもあるかもしれませんが、ちょっとでもよく思われたいって気持ちがあったのかもしれないです。でも、無理ですよね。私はこの仕事、誰かのためにやってるわけじゃなから。私、自分が世界の全てなので、人によく思われたところで得るものがあまりない。
自分の書きたいことを書いて、やりたいことをやったほうが、気持ちのいい生き方ができるなと思って。だから、書きたいことを嘘をつかずに書きたいと思っています。