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ジェーン・スーに聞いた、年齢と女性と社会をめぐるモヤモヤのあれこれ

ジェーン・スーに聞いた、年齢と女性と社会をめぐるモヤモヤのあれこれ

思っていた未来と違ってもいい『これでもいいのだ』

インタビュー・テキスト:野村由芽 撮影:中里虎鉄
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ストリートな実感によって死への恐怖は薄れるんじゃないかなと思いますよ。

ーもうひとつ年齢の話でいうと、名前のうしろに(何歳)とつける表記への違和感が個人的にはあるのですが、スーさんはそれについてなにか思うことはありますか?

スー:「思っていたより若いんだ」とか「歳とってるんだ」とか、下世話なところで言うと全然興味があるほうだけど、別になくなってもそこまで困ることではないですよね。

ーわたしはたとえば自分が死んだときに、「東京の渋谷の会社員(33)」とか表記されることを想像すると、全然ピンとこなくて。いまは33歳だけど、10歳だった自分も20歳だった自分もいるし、そういう自分が重なっていまになっているから、33歳って固定されることにすごく違和感があってなんか嫌だみたいな気持ちが結構強くて、どうしてあるんだろう? と思っていたんですよね。

スー:死んだあとのことは、私はどうでもいいよ。

一同:(笑)。

ーええ……!

スー:私にとっては、それがナイーブになりすぎないということです。

ーそういうことですね! 全然気にしてしまいますね……。そもそも死という概念が怖いですし……。

スー:うーん。

ーたとえば、年齢を重ねて体が変わることで、ちょっと体調崩したりして入院したり……みたいな経験も人によって出てくると思うのですが、そうすると「やばい、死にたくない」みたいな気持ちになったりするのですが、そういう感情ってどうでしょう……?

スー:わたしはもともと身体が丈夫で大きな病気もしたことがないので、逆にこの歳になって「確実にこの先に死がある」とわかったことすら喜びだと本にも書いていて。

ーそうですよね。そう書かれていて、喜びってなんだろうと思って。

スー:もちろん、「明日死にますって言われた『ええ~~』ってなるし。

ーそんな! そんな感じですか。「ええ~~」みたいな感じですか。

スー:そう、「ええ~~」とはなるけど、別に子どももいないし、なんだろうな、もちろんいつ死んでもいいとは思ってないですよ。でも人はやがて死ぬということを、やはり母親が死んだりもあって、なんとなく経験として知っているんだと思います。亡くなったら人は冷たくなるとか、かたくなるとか、むくんでた水が抜けるとか。これもストリートな感覚。その死への怖さは未知を恐れる感覚に近いと思うのですが、ストリートな実感によって死への恐怖は薄れるんじゃないかなとも思いますよ。

なにかを獲得すると、若さのようななにかを失って価値が下がるというシステム自体が問題なのだから、「オバサン、イエーイ」という感じでいいんじゃないか。

ー年齢を重ねた先のありかたについて、本書の「私の私による私のためのオバサン宣言」についてお話しできたらと思います。このエッセイでは、「10代は偽の自称で、20代は否定で、30代は同世代の宗派分別、40歳になってようやくオバサンは自分の言葉になった」という部分が印象的でした。そしてその「オバサン」はいわゆる昔からの「オバサン像」をそのまま背負うことではないということですよね。スーさんはそれを「新米オバサン」という言葉で表していました。

スー:「オバサン」という言葉がなぜネガティブに使われていたかを紐解くと、女性が意思を持ったり、好きなことをしたり、自信をもっていたりすることが、すべて後ろ向きに捉えられていたってことと表裏一体だと思うんです。つまりその逆の、若くて自信がなくて、人の言うことを聞いて、誰かの庇護のもとじゃないと暮らせないという女性だけを社会が高く評価し、肯定しているからこそ、それらをなくした「オバサン」を価値の低いものとして見ていたということになる。

でも、そもそも言いたいことを言って、行きたいところに行って、着たい服を着て、やりたいことをやっているということを「終わっている」と言うことのほうがおかしいです。それらのスペックを肯定していくことを、私はやりたいんですよね。

ーたしかにそれらひとつひとつの要素はどれも重要なものであるはずなのに、それの集合体としての「オバサン」は低く扱ってよいみたいな風潮がありますよね。

スー:そうです。つまりなにかを獲得すると、若さのようななにかを失って価値が下がるというシステム自体が問題なのだから、「若々しく羞恥心を忘れずに」みたいなことではなく、「オバサン、イエーイ」という感じでいいんじゃない? という気持ちはありますね。

ー一方で、スーさんが日頃お悩み相談などを受けるなかで、なにかを「獲得」できないまま、持つことが難しいまま年齢を重ねるという経験をされている方とも出会われているのではないかと思います。そういう方々にたいしてかける言葉や、なにか提案する見方や生き方のようなものはありますか?

スー:わたしは東京で生まれて、親に大学まで行かせてもらって、かなり恵まれている存在です。だから、生育環境やなにかしらの障害、その人の努力とは関係がない要因の「できない」にたいして「努力不足だ」と言うつもりはありません。

ただ、そうではない人にたいして、わたしが無責任に「大丈夫だよ」と言うことが果たして優しさであり相手を尊重することであるかというと、それは違うと思います。わたしができることは、「あら、オバサンがなんか出てきたわあ~」と、自分の姿を世の中の人に見てもらうこと。「これでもいいのだ」と、少し気楽になってもらえたらありがたい。「大丈夫なんだ」と判断するのは、あくまでその人であってほしいから。たとえばメディアに自分と相似形の人がひとりも出ていないとちょっと苦しいじゃないですか。「あら、わたしと同じような体型や年齢の人がなんかメディアに出てるわあ~」って思ってもらえるぐらいのことが、自分が役に立てることなのかなと。

居場所を2、3個つくっておけるといいと思います。

ー最後に、一緒に生きていく人たちの話をさせていただけたらと思います。『これでもいいのだ』のなかには、スーさんの「パートナー氏」が度々登場しますね。スーさんは、ご自身を「未婚のプロ」というふうにもおっしゃっていたなかで、本書では「人は一人では生きられない」と書かれていて、それこそ断言されていて印象に残りました。その理由を教えていただけますか?

スー:人によって耐性は異なりますが、誰でもときに寂しくなりますよね。なにが寂しいかって、やっぱり自分を評価してくれたり、一緒に楽しんでくれたり、自分の話を聴いてくれたり。そしてそういう相手がいないから。別に家族やパートナーじゃなくてもいいんですよ。インターネットでもいい。けれど、できれば現実社会に、居場所があったほうがいいかもしれないな? とは思っています。

たった一人のパートナーがいれば万事OKだとは思いません。それが足枷になる可能性だってあるし。ただ、まわりに友達や親、パートナー……そういう人たちと接点をもつことで、一人で生きることのリスクみたいなものを回避できるとは感じています。私にとって大切なのは、複数の接点をつくること。ひとつに頼ると絶対によくないことが起こるので、居場所を2、3個つくっておけるといいと思います。

【後編】ジェーン・スーが読者の悩みにお答え。みっともなくても気持ちを言葉に

PROFILE

ジェーン・スー
ジェーン・スー

コラムニスト/ラジオ・パーソナリティ/作詞家
東京生まれ、東京育ちの日本人。現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」(月~金11:00~)のパーソナリティを担当。2013年に発売された初の書籍『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ社)は発売されると同時にたちまちベストセラーとなり、La La TVにてドラマ化された。2014年に発売された2作目の著書『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』は第31回講談社エッセイ賞を受賞。毎日新聞やAERAなどで数多くの連載を持つ。最新著書『これでもいいのだ』(中央公論新社)が発売中。

INFORMATION

書籍情報
書籍情報
『これでもいいのだ』
著者:ジェーン・スー

2020年1月8日(水)発売
価格:1,540円(税込)
発行:中央公論新社
これでもいいのだ|特設ページ|中央公論新社

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