富や名声はただの飾りに過ぎないものなんだなって、世界の見え方が変わっちゃった。(アウファ)
コムアイ:巡礼(イスラム教におけるサウジアラビアのメッカへの巡礼。ムスリムにとって、人生のうちに1回はメッカ巡礼が義務づけられている)の話も聞きたい。いつ行ったんだっけ?
アウファ:去年の8月。巡礼に行ってよかったなと思ったのは、自分が何者であるか、リセットされたような感じがしたことで。みんなが同じ服を着て、白人も黒人も、貧乏も金持ちも、未婚も既婚も、その人がどんなステータスであるかは関係なく同じように祈っていて。
カアバ神殿(メッカのモスク「マスジド・ハラーム」の中心にある建造物)の前では自分と神様の関係があるだけで、それ以外はすべて輝きや価値を失っていた。富や名声はただの飾りに過ぎないものなんだなって、世界の見え方が変わっちゃった。
コムアイ:大勢いても、みんなそれぞれが神様と一対一っていう状況なんだね。ライブやクラブでDJを見ていても、そういう瞬間って時々あるかも。大巡礼は一生に一回行けばいいんだっけ?
アウファ:そう。巡礼から東京のせわしない日常に帰ってきたとき、みんなが何を考えているのかわからない状態が若干寂しく思ったりもした。
「自分らしさを出そう」とか最近は思わなくて、自分は通路みたいな感じでいられたら一番気持ちがよくて、面白いものを見られるような気がしてる。(コムアイ)
─「自分らしさ」について悩んだり、「自分は何者でもない」という思いを持っている人は多いと思うのですが、イスラムの信仰を持つ立場からアウファさんが「自我」というものをどのようにとらえているのかお聞きしてみたいです。
アウファ:「自分がどういう存在なのか」というのは、最近家族や兄妹の中で話題になっていたテーマで。私はInstagramで「Aufa Tokyo」というプロジェクトをやっていて、ありがたいことに多くの人に注目されるようになったんです。でも多くの人に注目されるコンテンツであるがゆえに、目的意識を明確にしていないと危ないなと思った瞬間もあって。「自分は他人よりも優れている」という自尊心が膨らんで、神様に対する感謝の気持ちを失ってしまうという不安がよぎったんです。
Aufa Tokyoは、イスラム教に対するイメージが定着していない日本でにおいて、ムスリムのスタイルをメイクやファッション、アートなどの世界観を通してAufaさんの感性を通して発信するプロジェクト
コムアイ:難しいよね、エゴの扱い方って。東京って話している間もお互いにジャッジしあっている感じがしてそれが疲れるなと思っちゃう。よく見られようとしたり、信頼されるように見られようとしたり、いろんな思惑が飛び交っている気がして。アウファの活動はどういう思いでやっているの?
アウファ:もともとは本当に服が好きだから趣味としてやっていて。いまもそれは同じだし、みんなに伝えたいメッセージや美しいことを共有していきたいという思いがあるんだけど、人にどんな風に思われるかよりも、神様にどう思われるか、を考えるようになった。神様に喜んでもらうためにやる、という前提に変わっていったと思う。人を感動させることで、神様も喜んでくれる。そのためには、この活動を通して謙虚な人間に成長していかないといけないなっていう気持ちが膨らんだ。
コムアイ:家族や「ヤングムスリム倶楽部」みたいに同じ感覚を共有している人たちと自分が抱えている問題や、気になっていることを話しあえるのはいいよね。宗教があることで、そういうコミュニティがあるのはすごくいいなと思う。
She isのエッセイ(『信仰をさまようわたしたち』)の依頼をもらったときに、アウファたちに会って感じたことを書こうとしたんだけど、それだと内容のほとんどが私の考えではなくなるなと思ったの(笑)。でも、自分が考えたアイデアかどうかなんて、別にどっちでもいいなと思って。「自分らしさを出そう」とか最近は思わなくて、自分は通路みたいな感じでいられたら一番気持ちがよくて、面白いものを見られるような気がしてる。