社会にとって「正常」とされる価値観と戦うには、人間相手に戦わないこと。
─ネジュマが「社会が思う女性の正装」を強要されることに苦しんだように、社会にとって「正常」とされる価値観と戦うには、どのような方法があると思われますか。
牧村:人間相手に戦わないことなのかな、と思います。意見があると、いつの間にか戦いの構図に巻き込まれていることがあるんです。でも、その構図を冷静に分析して、敵とされる人間を憎まないこと。その人を倒しても根本的なものは変わらないし、平和にもなりません。敵とされる人がどうしてこういう風に考えるようになったのか、聞くことを大切にしています。
─人を憎まず、その人にそう思わせた背景に立ち向かうこと。
牧村:はい。あとは、私は自分をこの世界の探求デバイスだと思って、概念から調べるようにしています。たとえば今回の映画だったら、なぜ女性はヒジャブが正装で、髪の毛を隠さなきゃいけないということにされたのか。なぜ脱出先はカナダやフランスなのか。疑問に思うことの概念や歴史から、手触りで知っていくことが大事だと思います。
でも、一つ例外なのは、死の危険がある場合はすぐに逃げること。対話なんて言っていられない状況もあります。
─ありがとうございました。戦うことは決して身体的な強さや暴力ではなく、歴史や概念にも目を向けて、丁寧に対話する方法もあるんだと思いました。
牧村:閉じ込められているところから追い出されることが繰り返されてきたけれど、そうじゃなくて自分で居場所を作っていけるかもしれないですよね。そのためにできることは、立場を降りた対話を個人と個人で重ねることだし、人を敵だと思わず背景や概念を知ろうとすること。もっと賢くなっていきたいと思っています。
- 4
- 4