「自分らしさ」という言葉が広がり、個人の自由が尊重される時代であることを社会が声高に伝えます。ここ日本においても表層は「自由な国」へ変化しつつあるように見えるかもしれませんが、まだまだジェンダーや生い立ちといったことから、SNSで他者から同意を得るためにふるまうことなど、様々な場面で「抑圧」は存在しているのではないでしょうか。
映画『パピチャ 未来へのランウェイ』は、過激派のイスラム主義勢力が台頭した90年代内戦下、アルジェリアを舞台に女性たちへの過激な弾圧について描かれた物語です。主人公はファッションデザイナーを目指す大学生のネジュマ。自由を求める仲間たちと共に、「自分らしく生きるための権利」を主張します。媚びず、流されず、自分のやりたいことを貫くために立ち向かう姿勢は圧倒的な輝きを放ち、スクリーンの向こう側に手を差し伸べます。
文筆家の牧村朝子さんも、社会に立ち向かい懸命に生きる世界中の人々に耳を傾け、文章を紡がれています。10歳で同性に恋をするも22歳まで気持ちを押し殺し続け、自分らしさを閉じ込めた日々。社会の「正常」に疑問を投げかけ、閉じ込められることなく賢く生きる術を伝えてくれます。本作を配給するクロックワークスの宣伝担当者にアルジェリアの内情や監督自身のエピソードも伺いながら、「自分らしくありたい、でも……」と思い悩む私たちの「戦い方」について対話しました。個と個が「立場」からおりて「生い立ち」から向き合い直す、というやさしい視点をここに記します。
物理的に戦うことをやめられていない人たちが、たくさんいる。
─牧村さんは世界各国を訪れ、「言えないけど話したいこと、聴きます」をテーマに様々なバックグラウンドを持った方々にインタビューされています。今(取材当時)、東京を離れていらっしゃるんですよね?
牧村:文筆業は世界のどこでもできるので、今はアメリカのL.A.に滞在しています。2016年も滞在していたのですが、その時はLGBTホームレス・ユース・センターでボランティアをしながら、話を聞かせてもらっていました。これは、親の思う性別で生きることや、異性愛者であることを強制された結果、ホームレス状態に追い込まれた若い人たちの自立を支援する施設です。
私が担当していたのは、その子たちが持っているナイフや催涙スプレーを預かる仕事。施設の中はシャワーもベッドもあって安心できるけれど、ホームレスの子どもが外にいる時は、ナイフや催涙スプレーを持っていないと危ない。外で殴られたせいで歯が欠けていて、血を吐きながら施設にやってくる。過酷な状況を想像してはいましたけど、そこまでだと思わないじゃないですか。だから最初は戸惑いました。
─そういう状況があることを知らなかったです。
牧村:社会には、精神的にはもちろん、物理的に戦っている人がまだまだたくさんいると思います。それはアルジェリアもアメリカも、日本にだって。護身のためにスタンガンやスプレーを持ち歩いて、「物理的な戦い」をやめられていない人は、変わらずにいますよね。
私の話は「可哀想なマイノリティの人の話」として切り離されてしまう。
─映画『パピチャ 未来へのランウェイ』でも、主人公の母親が、ヒジャブ(女性の身を包む大きな布の衣服)の下に銃を隠して歩いていた女性たちの話をしていました。牧村さんはこの映画をご覧になって、まず何を思いましたか?
牧村:「アルジェリアって怖いのね、日本でよかったわね」「可哀想な人たちね、助けてあげなきゃ」なんて感想に、絶対になってほしくないです。スクリーンの向こう側で危険な有様が映し出されることは、こちら側が安全であることを疑似的に確認する作業になってしまうことが多い気がするんです。日本だって危険はあるし、感じることや考えることがたくさんある映画だと感じます。
─牧村さんも表に立って、ジェンダーについて言葉を発される機会が多いと思います。その時に、自分とは関係のない「遠い話」として一線を引かれていることを感じる場面はありましたか?
牧村:ありました。私は「女を愛する女です」と発信しているので、セクシュアルマイノリティとして存在することを世の中に期待されているのだと感じることがあります。そして、私の話は「可哀想なマイノリティの人の話」として切り離されてしまう。
たとえば、ある講演会で「なぜ人間はLGBTとそうではない人たち、という区別で考えるようになったのか」という概念の歴史を話したつもりなのに、報道では「LGBT当事者の牧村さんが登壇され、思春期の辛い経験をお話しされました」と書かれました。これって、「向こう側」の可哀想な人の話として切り離されていますよね。
─「マイノリティの話を聞いてあげよう」みたいな、線の引き方になっていますよね。
牧村:もう、まさにそうです。「~してあげよう」だらけ。主人公のネジュマが彼氏と将来の話をする中で、「(内戦下のアルジェリアからフランスへの移住を示唆しながら)お前にチャンスを与えているんだぞ」と言われる。あれが、別れの決定的な一言だったじゃないですか。基本的に、人間は自分に精一杯だから他人の大変さに手を差し伸べようとすると、「~してあげる」という気持ちよさが必要になってしまうんでしょうね。
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