綿矢りさ×大九明子対談「誰かと生きることはデフォルトじゃない」

綿矢りさ×大九明子対談「誰かと生きることはデフォルトじゃない」

『勝手にふるえてろ』から再びのタッグ『私をくいとめて』

SPONSORED:『私をくいとめて』
インタビュー・テキスト:野村由芽 撮影:森山将人
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モノローグの本音のなかに、「あぁ、この気持ちはわたしもわかるな」というものがひとつでもあったら嬉しい。(綿矢)

―主人公が「おひとりさま」だということもあって、この作品には「モノローグ」が多いですよね。『私をくいとめて』のみつ子は、まわりから見ると一見おとなしいけれど、「モノローグ」にものすごくキレと迫力があると感じました。

大九:読者としては、綿矢さんのキレのあるモノローグは「待ってました!」って楽しく拝読するひとつの要素ですよね。

『私をくいとめて』ポスタービジュアル ©2020『私をくいとめて』製作委員会

―以前それぞれのインタビューで、大九監督が「ビビリなくせに不平不満がたくさんある」とおっしゃっていたり、綿矢さんが「たくさんの人が読むことを意識するとどこかきれいごとになってしまいがちだけれど、本音に近いモノローグ」を書いていらっしゃるというお話をされていたのを拝見しました。おふたりが、いわゆる「独白」であるモノローグを大切にされているのはなぜですか?

綿矢:一人称という主人公の視点で小説を書くと、それで話を進めなければいけないので必然的にモノローグが増えるのですが、感情の流れを細かく書けば書くほど、読んだ人がその人のどこかの部分に共感してくれる接点が増えることになります。逆に感情の過程を飛ばしたりすると、登場人物がなにを考えているかわからないので、共感しにくいですよね。

たとえば「こじらせてるな……」「性格が悪いな……」と思うような登場人物であっても、モノローグの本音のなかに、「あぁ、この気持ちはわたしもわかるな」というものがひとつでもあったら嬉しい。そう思って、かなり細かく書いています。

綿矢りさ『私をくいとめて』(朝日新聞出版)

大九:映像化という意味では、ストーリーを展開させるためにかならずしもモノローグが必要ではないこともあるけれど、独白というのは、登場人物の心理描写はもちろん、その人がどういうふうに世のなかを見ているのかがすごくわかりやすいんです。

趣味がなにか? ではなくて、なにが気になるのか、なににちょっとイラッとするのか。そういう「視点」を知れると、急にその人との距離が近く感じる。『私をくいとめて』では、たとえばみつ子が会社でどういう目に遭ってきていて、そこでどんな感情を抱いたか。セクハラに直面したときに、なにか思ったか。その人だけの感情がモノローグには表れているから、その演出にはこだわりました。あとは、わたしのガス抜きですかね……。

―ガス抜き?

大九:綿矢さんが書いてらっしゃることって、「わかるわかる!!」って友達と喋っているような気分になるんです。「わたしの場合はこうだった~!!」っていうことをこれ幸いと主人公に言ってもらうってことを、前作も今作もやっています。

『私をくいとめて』 ©2020『私をくいとめて』製作委員会

その人があたりまえにその人であることを肯定して、なにがいけませんか? って思いますね。(大九)

―『私をくいとめて』も『勝手にふるえてろ』もタイトルがすごく素晴らしいと感じます。いずれも、そのタイトルが作品内で使われる瞬間が、言葉が難しいのですが「狂う寸前」のようなシーンであることが印象的でした。

綿矢さんは、「自分が小説で書く人よりも、もっと『外れている』人を書いている作品もたくさんあると思う」と以前おっしゃっていましたが、あきらかに「外れる」のではなくても、チューニングがずれていくようなことって、日常であたりまえにあるのではないかと思って。そこをどう調整していくかというのが、生きることなのかなと思ったりもしたんです。「正常であること」と「どこか狂っていくこと」、誰のなかにもあるそのぎりぎりの境界線が、綿矢さんの作品には書かれていると感じて、そのあたりについて思うところがありましたらお話をうかがいたいです。

綿矢:外見や行動では、いわゆる「ふつう」でも、頭のなかで考えてることがけっこうエキセントリックな人、というのはもちろんたくさんいますよね。『勝手にふるえてろ』やほかの小説でも、自分で書きながら、「ここまで考えを暴走させたらひいてしまう人もいるかも……」と思って削ろうとすると、編集者さんが、「これくらい暴走しているほうがおもしろい」と言ってくれて、読む人の許容範囲ってけっこう広いんだなと思うことがあって。

今回、『私をくいとめて』でわたしが書いたみつ子さんは、さっき話したように映画よりももっとおとなしくて、映画のほうが社会への怒りや恐怖、恋人と対峙するときの不安などが伝わってくるなと思っています。『勝手にふるえてろ』のヨシカは、どこかなにかを超越している狂気みたいなものがあったのですが、みつ子の場合は、もしかしたらイノセントな部分、子どものままの部分が大きくて、それが生きづらさにつながっているのかもしれないと映画を観て改めて思いました。ただそれは、悪いことではまったくないんですよね。

大九:わたしは、主人公が狂っているというより、綿矢さんの選ぶ言葉のひとつひとつが、ちょっと魅力的な不健康さをはらんでいると思っているんですよね。

綿矢:不健康(笑)。

大九:一見快活なんだけどものすごい凶暴だったり、独善的だったり、そこにすごく吸い寄せられるような魅力があるんですよね。狂っているということでいうと、そこですかね。

大九:みつ子にイノセントな部分があるというのは、わたしもわかります。わたし以上に、ひとりでいることがほんとうに好きで、楽で、誰かといることが苦痛になってしまった人。だから、他人にも自分にも厳しくなってしまっているし、大丈夫な顔をして生きているけれど、いつのまにか自分の基準を狭めてしまっている。だからこそ、「おひとりさま」で活動できる範囲を広げていくという物理的な行動によって、わたしは大丈夫だって示そうとしているんです。

原作のみつ子は30代で、はじめての恋愛ではないにもかかわらず、あれほどまでに、誰かといることで極端に心が乱れてしまうことは、ほんとうにイノセントだし、ある意味、チャイルディッシュでわがままなのかもしれません。だけど、わたしは、そういうひとを肯定しているんだと思います。なにも嫌じゃありません。綿矢さんの作品に出てきている登場人物が嫌だったことが一度もないのですが、その人があたりまえにその人であることを肯定して、なにがいけませんか? って思いますね。

『私をくいとめて』 ©2020『私をくいとめて』製作委員会

PROFILE

大九明子

横浜市出身。1997年に映画美学校第1期生となり、1999年、『意外と死なない』で映画監督デビュー。以降、『恋するマドリ』(07)、『東京無印女子物語』(12)、『でーれーガールズ』(15)などを手掛け、17年に監督、脚本を務めた『勝手にふるえてろ』では、第30回東京国際映画祭コンペティション部門・観客賞をはじめ数々の賞を受賞。近年の作品として、映画『美人が婚活してみたら』(19)、テレビ朝日系「時効警察はじめました」(19)、テレビ東京系「捨ててよ、安達さん。」(20)、映画『甘いお酒でうがい』(20)、テレビ東京系「あのコの夢を見たんです。」(20)などがある。

綿矢りさ

1984年生まれ、京都府出身。高校在学中の2001年『インストール』で第38回文藝賞を受賞しデビュー。2004年『蹴りたい背中』で第130回芥川賞を受賞。2012年『かわいそうだね?』で第6回大江健三郎賞を受賞。ほかの著書に『夢を与える』、『ひらいて』、『憤死』、『大地のゲーム』、『ウォークイン・クローゼット』、『手のひらの京』、『意識のリボン』、『生のみ生のままで』などがあり、『勝手にふるえてろ』は大九明子監督により17年に実写映画化された。

INFORMATION

作品情報
作品情報
『私をくいとめて』

2020年12月18日(金)全国公開

原作:綿矢りさ『私をくいとめて』(朝日文庫/朝日新聞出版刊)
監督・脚本:大九明子
出演:
のん
林遣都
臼田あさ美
若林拓也
前野朋哉
山田真歩
片桐はいり
橋本愛
配給:日活

映画『私をくいとめて』|12月18日(金)全国ロードショー

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