「幡多弁」でしか表現できないことがある。方言で戯曲を書くことの魅力。
─ユニット名の「ばぶれるりぐる」というのはどういう意味ですか?
竹田:これは私の造語で、出身地の高知県土佐清水市の方言「幡多弁」の言葉を組み合わせています。「ばぶれる」は暴れる、「りぐる」はこだわるという意味です。
─竹田さんの戯曲は、軽妙な幡多弁で書かれているのが魅力の一つだと思います。やはり幡多弁にこだわって書いていきたいという思いがあるのでしょうか?
竹田:実はそこまでこだわりはないんです。たくさんの劇作家がいる中で、私にしかできないことは何だろうと思った時に、幡多弁で書くということがまず思い浮かんで。自分にしかできんことは価値があろうがなかろうがやったほうがいいと思ったから書いているという感じで、価値があるかどうかはまだ私にもわからないんですよね。
今、土佐清水市にいた時間と大阪に来てからの時間がちょうど半々くらいになり、もう自分自身に土佐清水市民だという意識もないのですが、何かものを考えたり、家でくつろいでいるときに出る言葉は幡多弁なんですね。自分の気持ちを言いやすいのもやっぱり幡多弁で。だから、私にとって幡多弁がアウトプットしやすい形だということもあると思います。
─竹田さんの感じる幡多弁の魅力や、幡多弁でしか表現できないと思うものはどんなものですか?
竹田:例えば長い芝居を見てるとき集中力がなくなって、目を休憩させて耳で聞いていることがあると思うんですよ。ちょっと疲れてきたから目で追うのをやめて、耳で情報を拾っておく、というような。でも、多くの人は幡多弁がわからない。何を言っているのかわからないときって、話している人の状態を目で見て、この人は今「悲しい」って言ってるんだね、と理解すると思うんです。
だから、標準語のお芝居を見るのと、幡多弁のお芝居を見るのとでは、お客さんの集中力の使い方がちょっと変わってくるかなと。ちょっとズルいやり方なのですが(笑)、間延びした展開になりそうな時は、パッと聞いただけでは分からない方言を入れたりしています。幡多弁の音で面白いことって、私にしかできひんなって思うので。
それから、幡多弁は標準語にない文法があるのも面白くて。例えば過去進行形。「宿題やっちょう?」と聞かれて、「宿題やっちょう」と答えた場合、「宿題をやった」という過去を意味しているのではなく、「宿題を終え、その終わった時間が続いている」ということが表現できるんです。幡多弁に限らず、その土地土地の方言には標準語で表現できないことがいっぱいあるんですよね。
ばぶれるりぐる旗揚げ公演『ほたえる人ら』PV -whats 幡多弁-
─今後、幡多弁以外の言葉で戯曲を書いてみたいと思われますか?
竹田:やってみたいですね。特に大阪弁は興味があります。方言には、例えば幡多弁の音だから面白い、大阪弁の音だから面白いということがあると思うんです。たまに幡多弁のコントを書いたりもするのですが、大阪弁に比べるとやっぱりツッコミが弱い。大阪弁のツッコミは強い言葉を使っても本気で言ってない感じがあって、いやらしくないんですよね。
自分自身が救われたい。人の心の深いところを書く時ほど、面白く、軽く書きたい。
─演劇の道に進むきっかけがラーメンズさんということもあると思うのですが、EPADで公開されている竹田さんの戯曲『いびしない愛』『二十一時、宝来館』の両作ともコメディですよね。
竹田:コメディと言っていいのかどうかわかりませんが……。私は暗い話や重たい話のように、人の心の深いところを書く時ほど、面白く、軽く書きたいと思っているんです。反対に、軽いものほど重たく書く。どうでもいいんだけど重いっていうバランスが面白いと思っているので。実は私の作品って、あらすじにまとめると全くコメディに見えず、暗い話になるんです。自分であらすじをまとめてみても「この話めちゃくちゃ暗いな」と思うぐらい。重たいことやしんどいことを書きたいというのが芯にあるんですよね。それを軽く書きたい。
─確かに、物語自体はユニークな登場人物や軽妙な会話によってコミカルに進みますが、竹田さんの作品で扱われているのは深刻で繊細なテーマですよね。『二十一時、宝来館』は女性が生きていく上でのしんどい思い、例えば結婚に関する同性同士のマウンティングのような問題だけにとどまらず、DVであったりセクシュアリティの問題も提起されています。『いびしない愛』では姉妹間のコンプレックスに加えて、身体障害をもっている人ともっていない人の間の摩擦も描かれます。
竹田:多分、私自身が救われたいんだと思います。しんどいのって現実の今だけで十分じゃないですか(笑)。しんどいことをそのまま書くと、現実と一緒になってしまってよりしんどくなっちゃうと思うんです。私は自分が観たいものを書いているので、こういう場面でこんな人がいてくれたらいいなと思うような人を、いつも意図して登場させているなと思います。
─あまり作品と作者とを重ねるのもどうかと思うのですが、ご自身が感じたしんどさを作品に反映されることもあるのでしょうか?
竹田:私、今正社員として工場に勤めているんですよ。だから脚本を書いている時間なんて、本当に寝る前の1~2時間くらいしかなくて。お給料だって十分とはいえない額。今はパートナーといっしょに住んでいますが、男の人のほうがどうせ先に死ぬやろなと思っているので、将来に不安しかないんです(笑)。実家がしっかりしてるわけでもないし、子供もいないので、そういうことを考え出すとしんどくて夜も眠れないなってなっちゃうんですよ。なので、私の根底には漠然とした不安みたいなものがあるんだと思います。でもこれって多分私だけじゃないですよね。特に今の世の中は国がひとりひとりに十分なほど何してくれるわけではないので、男女関係なくみんなきっとしんどいんだろうなと思うんです。