母と娘の間だからわかること。みんなと考えた「#ははとむすめ」

【Members限定】母と娘の関係は、ぶつかりあって、優しく丸くなっていく

2017年11月 特集:ははとむすめ
テキスト・写真:はくる編集:竹中万季
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娘であり母でもあり得る、揺らいだ存在の私たち。11月の特集「ははとむすめ」は、「母になることもあれば、ならないこともある」女性たちが、自分が選んだことを肯定できるように、そして自分が選ばなかったことを知ることができるように、そしてまだ選んでいない人たちにとっては、選択の前に考えを深めるために、さまざまな立場の方々の声を聞きたいという思いから始まった特集です。

みなさんから募集していた公募コラムには、学校へ行けなかった頃に車の中であった母との数分間を教えてくれた眠れさんの「お母さん大好き」をはじめ、様々な立場の方から、それぞれの想いが詰まった文章が集まりました。今回は公募コラムを中心に、Twitterで募集した「#ははとむすめ」の中からもいくつかピックアップさせていただき、Girlfriendsのはくるさん(@silonica)にコメントを寄せていただきました。

※この記事は、12月20日(水)からは有料Membersの方のみ閲覧できます。

母と娘の間で息づいている、たしかな繋がり

自分が「特別な子」と思えるほど強かった、母からもらった愛情

熊沢さとみさん
「魔法がとけた夜のこと」

娘の才能が認められることを心から望む母親に、惜しみなく可愛がられていた彼女。その後の月日の中で「自分は彼女が言うほど特別な存在ではなかったのだ」と実感することがあっても、そこで落胆するのではなく、そこに「愛されてきた跡」を見出して前を向くことのできる柔軟さに、母子の愛情の強固なつながりを感じました。

母の伝えたかったことや、二人の間で共有された時間は今も彼女の中に息づいている。それこそが、かけがえのない事実なのだと思います。

お洒落な母親から密かに受け継がれた精神力

しっかりとした雰囲気を持ち、しかもお洒落で、「桜子さん」という素敵なあだ名で呼ばれる母親。そしてそういった性質は受け継がなかったという彼女。しかし別の似ているところはある、そしてそれは表面的なことのようですが、実は精神力そのものでもあるようです。

似ていないところばかりを注視して嘆くのではなく、愛されている人から受け継いだ部分を誇りに思い、それを役立てながら生きていこうとする朗らかなたくましさを持てる素敵な娘には、やはり素敵な母親の影響が見え隠れしています。

時を越えて母と私をつなぐ少女漫画の存在

母がかつて蒐集していた少女漫画との出会いは、同じように少女だった母との出会いであり、かつての彼女の憧れとの出会いであり、そしていつか出会うかもしれない自分の子供へと思いを馳せるきっかけだった。

時を越え同じ物を同じ目線で愛するというかけがえのない体験は、変わらないものと流れていく時間の尊さ、その両方を一段と輝かせ、母と娘の関係を、私たちの生活を照らしてくれます。

祖母が「貴女は本当に娘に似ている」と言ってくれたこと

素敵な人に似ていると指摘されると、胸の底に光が差し込んだような心地がするものです。しかもその相手が実の母親だということ、そして似ているということを見抜いてくれた人が、近い距離からしっかり見ていた祖母だということ。こういった結び付きのある家族関係はまぶしいと思います。目に付く似ている箇所がなかったとしても、母子は尊く繋がっているものです。

あの頃はわからなかったこと、母と娘の間にいる今だからわかること

大人は完璧な生き物に感じられた、思春期のころ

大人が完璧な生き物に感じられた思春期のころ、自分にも両親にも理想を求めてしまうあまり母親を傷付けたという彼女。

母親にも当然日々の悩みがあり、弱さがあり、そういった要素があってこそのひとりの素敵な女性なのだと気付くまで、きっと誰しも時間が掛かるものだと思います。大人になっても気付けないまま、という人だって大勢いるような気もします。母と娘の関係は、ぶつかりあって、角がとれて、優しく丸くなっていくのです。

険悪だった母と祖母について、娘だけが知っていたこと

険悪だった母と祖母がそれでも片隅ではお互いを気に留めている一面を、娘として、孫として、ただひとりだけ目撃していた彼女。

家族とは良くも悪くも繋がり続けるものであり、他人のように憎悪を感じたからといって完全にフェードアウトしてしまうことはできません。葛藤の中に愛情に成り損なった気持ちがあり、奥にしまいこまれた慈悲があり、表面化することがついぞ最後までなかったとしても、それらには意味があるのです。

母と娘の中間の年齢になって考える、絶縁状態になってしまった母のこと

揺るがないと思っていた家族が崩壊していく様が受け入れられず、それがきっかけで母と絶縁状態になってしまった彼女。当時そこに娘の気持ちがあったように、母の気持ちもまた存在したのです。

母と娘の中間ともいえる年齢に立っている読者の方も多いのではないかと思います。現時点から見た双方の気持ちを汲み取り、過去の私たちを迎えにいく時間を設けてみるのはどうでしょう。時間が流れたことにより正確に見えるようになっていくのは、自分のことばかりではないはずです。

自分と母との間に流れていた空気の答え合わせはできなかった

男の子の母となったことで、自分と母の間に流れていた空気の答え合わせをする機会を失ったこと、そしてそれにどこか安堵しているということ。

人の機微を感じやすい子供は、その長所故に手放しで愛されるという態勢を放棄してしまいがちですが、そういった幼少期を過ごしたことは、大人になるにあたり良い作用もたくさんもたらしているはずです。出会うことのなかった娘、別の未来、そこまで含めて母として、そして娘としてもこれから更に成長していくのかもしれません。

「母」も「娘」も、ひとりの女性同士である

母になるということは、新たな「自分」を増やしていること

母や娘といった肩書きをただのひとつの役割として捉えると、それは押し付けられているものではなく、むしろ選び取って新たな「自分」を増やしているのだと解釈する彼女。

確かに母という生き物になることを想像すると、別の大きな章に突入するかのようなイメージが膨らみ、向き不向きについて考えてしまいます。しかし、あくまでも自分というベースがあり、ただそこに役割が増えるのだと考えれば、変化を受け入れ余裕を持って生きていけるような気がします。この考え方が、今悩んでいる誰かの思考の抜け道になるかもしれません。

別物だと思っていた恋愛と家庭の繋がり

金森さかなさん
「お母さんには秘密」

家庭に恋愛の話を持ち込むことをタブーだと感じていた彼女は、時を経て恋愛による幸福を得られることも母に生んでもらえたからこそだという感謝を抱き、別物だと思っていた恋愛と家庭の繋がりに気付きます。

自分の恋愛事情を友達に話すように家族にも伝える人は少ないと思います。気恥ずかしいし、後ろめたい。しかし実はこの家族というチームは、多くの場合数々の恋愛によって発生し、今ここに成り立っているのですよね。その連鎖の一部分として、また単純な幸福の共有として、母親に自分の好きな人について語れる関係は素敵です。

「ママ」。そう呼んでいる彼女のことを、私は何も知らない

彼女や彼が私の前で果たしている親という役割はひとつの側面にすぎず、それぞれに更に大きい枠組みの自分の人生があるのだという事実は、娘である私たちをどこか心許なく寂しい気持ちにさせます。しかし、それを踏まえることで視点が変わり、許容できる欠点や、受け取ることのできる魅力が増えることもあります。「母と娘」もひとりの女性同士なのだとお互い意識することは、良い関係を築くきっかけになるかもしれません。

私たちもかつては母なる大地に生まれ落ちた子供だった

空を飛ぶ友人から陸の様子について聞かされた一匹の魚は、まだ見ぬ陸とそこにあるという花に思いを馳せるあまり、川から逃げ出そうとしてしまう――。そんなショートストーリーを寄せてくれたなつくまさん。

私たちがかつて母なる大地に生まれ落ちた子供であったように、鳥は空という母の子であり、魚もまた海や川という偉大な母の子です。それぞれの環境は奇跡であるにも関わらず当然のように優しく生物を包み込み、そこで暮らす私たちと隣り合う世界のそれぞれも、負けじと輝きを放つのです。

12月は「だれと生きる?」について考えていきます。人生のパートナーと、どうしたらすてきに過ごせるのか。みなさんの考えもハッシュタグ「#だれと生きる?」の投稿も募集するので、ぜひTwitterやInstagramで投稿してみてくださいね。

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