ナミさんとお金のこと/柴崎友香

『寝ても覚めても』原作者による、女の人とお金の掌編

2018年9月 特集:お金と幸せの話
テキスト:柴崎友香 編集:野村由芽
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ナミさんは電車に乗って、好きなお店にポットを買いに行こうとしている。コーヒーをいれるための、注ぎ口が細長い、琺瑯のポット。どの色にするかは、まだ迷っている。
天気はよくて眩しいくらいで、通勤と同じ路線なのに休日で空いた車両は気分がよかった。新しい仕事に就いて最初に得た賃金で、一つ好きなものを買おうと決めていた。

先週、友人の家に遊びに行った。彼女に子供が生まれてからはなかなか時間が合わず、会ったのは一年ぶりだった。お土産に持っていったラスクを食べているうちに、どこからそんな話になったかは忘れてしまったが、彼女は、中学生とか高校生のとき自分がお金を稼いでいないことがとても苦しかった、と言った。家族の助けを受けなければ生活も学校に行くこともできないのだから、自分にはなにも言う権利はない、と思い込んでいた。やりたいことも、してはいけないと思っていた。だけど、今、子供を育ててるけど、子供たちに対してそんなふうには思わない、というか思ってほしくない。彼女の話を聞きながら、自分も似たようなことを感じていたのをナミさんは思い出した。新しい仕事が決まるまでの間も、現実的な不安もあったが、ひっそりしていなければいけないような気持ちが消えなかった。もし身近な人が同じ境遇だったら、そんなふうに感じなくていいと思うと、わかってはいたのに。
そのときに彼女がくれた魚柄の手ぬぐいがトートバッグの中に入っていて、ナミさんはそれをなんとなく握りながら、また別の言葉も思い出す。

女の人はたぶん、お金を稼いでいても、いなくても、どこか後ろめたく感じてしまう、そんなこと思わなくていいはずなのに、そんな気持ちがつきまとってしまう、と、以前の職場の一回り年上の人が言っていた。仕事をちゃんとしていても、それは他のことをきちんとしていないからじゃないかとか、そう思われそうとか、ほんとは余計なことがいつもいくつもくっついてくるから。

ナミさんは、去年まで遠くの街で仕事をしていた。それが最初の就職だったし、そのときに一人暮らしも始めた。
働き始めてまだ一年も経っていなかった頃、何度か、たまたま家が近かった同級生のお姉さんと駅近くの蕎麦屋でごはんを食べたことがあった。ナミさんが、すごく気に入った色のカーテンを衝動買いしてしまって無駄遣いしてしまったかも、と言ったら、その人は、お金でできるさびしさの解決はやっといたらいいんじゃない、と笑った。それで気持ちが軽くなった。小さな部屋で、自分が買った好きなものを眺めているとほっとした。
ずっと前につきあった人と別れたあと、ひたすら洋服を買っていた、という話もその人はしていた。着ていた幾何学模様のとても形のいいシャツもその頃に買ったそうだが、とてもよく似合っていた。

駅が近づいてスピードを落とした電車の窓から、マンションやアパートのベランダがいくつも見えた。天気がいいから、洗濯物を干している人がいた。そんな誰かの姿をふと見つけるのが好きだと、ナミさんは思った。

お金はものすごくいいものだと言う人もいるし、お金はものすごく悪いものだって言う人もいるよね。すごく仲良くてなんでも相談する友だちにでも、お金の話をするのは難しいし。毎日、何回もやりとりするものなのに、なんでかな。お金があっていいことは、お金のことを気にしなくていいってことじゃない? 気にしなくていいって言う人は、困ってないからですよね?
たいぶ年下の女子たちが、そんな会話をしていたことがあった。
必要か、必要じゃないか、みたいなことじゃない? どっちにしても、つきあっていかないといけないからね。
ナミさんはそう答えたが、わかったようなことを言っただけだと、そのときも思ったし、今も思う。ややこしいし、めんどうだし、距離の取り方も油断するとすぐ狂ってしまうし、でも、切り離すことはできない。

駅から少し歩いた。川沿いのお店に着いてドアを開けると、琺瑯のポットは、二週間前に見に来たときと同じに並んでいた。赤、黄色、白、水色。
黄色、となぜかすんなり思った。あんなに迷っていたのに。値段を確かめて、ナミさんは店員に、この、黄色いのをください、と言った。

PROFILE

柴崎友香
柴崎友香

小説家。2000年に初の単行本『きょうのできごと』を刊行(のちに行定勲監督により映画化)。2007年『その街の今は』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、2014年『春の庭』出芥川賞受賞。2010年に野間文芸新人賞を受賞した『寝ても覚めても』が濱口竜介監督、東出昌大主演で映画化され絶賛公開中。『わたしがいなかった街で』『パノララ』『千の扉』『よう知らんけど日記』『公園へ行かないか?火曜日に』など著作多数。

INFORMATION

書籍情報
書籍情報
『公園へ行かないか?火曜日に』
著者:柴崎友香

2018年7月31日(火)
価格:1,836円(税込)
発行:新潮社
Amazon

『つかのまのこと』
著者:柴崎友香

2018年8月31日(金)
価格:1,620円(税込)
発行:KADOKAWA
Amazon

『寝ても覚めても 増補新版』
著者:柴崎友香

2018年6月5日(火)
価格:799円(税込)
発行:河出書房新社
Amazon

『きょうのできごと 増補新版』
著者:柴崎友香

2018年7月5日(木)
価格:670円(税込)
発行:河出書房新社
Amazon

『きょうのできごと、十年後』
著者:柴崎友香

2018年8月4日(土)
価格:734円(税込)
発行:河出書房新社
Amazon

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