夏は、退屈な日々が実は死と隣り合わせにあるということを白昼夢みたいに知らせてくれる季節だ。めちゃくちゃに暑い中、真っ昼間の冷房の効いた電車にぼんやり乗っている時なんかに、ふと思う。
「人生のなかで、最初で最後の最大のイベントは死ぬことなのだろうか」
そういうことについて考えてしまうから、私は夏が好きだ。
30年近く生きてみて、よくもまあ、これだけ生きてこれたものだと思う。
それは、終戦後44年が経過した平成元年の東京に生まれた私でも思うことで、気づいたらこの世に生まれ落ちて、死ぬまで終わりが来ないなんて生きることはかなりハードなゲームだと思うから。
そして放っておけば必ずいつか死ぬことがわかっていても、「充実した人生」なんかを目指してしまうし、何はなくともただ生きているだけでじゅうぶん大変で、忙しい。
夏はそんなことをどうしても考えてしまう季節だから、子供の頃はどうしていたのだろうと思い昔からつけている日記帳を読み返してみると、不思議と夏の記録がなかった。
私は日々を綴る日記帳とは別に、心が荒れた時にだけ記録を残す日記帳を持っていた。
日々、身に受ける様々な出来事に心を動かし驚いていた頃、悲しみや怒り、許すことを自覚するには幼すぎた頃、破れかぶれで頭から突っ込んで、日々にぶちあたっていた頃。
小学校4年生から始まり、高校生になるまで飛び飛びで書いていたその日記帳には、学校が嫌いなこと、家族との確執、好きなバンドの音楽のこと、読んだ小説のこと、自分の周りの環境の変化について、異性について、嬉しかったこと、辛かったこと、その時考えた詩や小説、散文までがみっしり綴られている。
一番古い1998年の日記を読む。時はまだ20世紀だった。
世紀末の1年前、私は9歳で、この年頃の数年間の習慣といえば毎日眠る前に「自分と自分の家族が、明日死にませんように」と祈ることだった。一家5人分、30分以上かけて一人ずつの顔を思い浮かべ祈った。ミスすればやり直し、かなり寝つきの悪い子供だったように思う。
特定の宗教に入信していたわけでもなく、死ぬことへの恐怖がなぜそこまであったのかわからない。生まれてから10年も経っていない子供は、死に近く、死を思う存在なのだろうか。
9歳のときにそんなに死ぬことへの恐怖を抱いていた一方で、10代は、生きていなければいけないことの理不尽さについて悩まされていた。
例えば、自分の持つ性について。
2003年、初めて生理が来た中学生の頃の日記を読む。それまで自分の体内を巡るものを見た記憶は、膝を擦り剝いたり、紙で指を切ったとかその程度であって、血や血の塊をまじまじと見たのはその時が初めてだった。こんなにえぐいものを何10年間も毎月見て、よくまあ平気でいられる、その上痛みにまで対応しなければいけないなんてどうかしてる。女は強い生き物なのか、私はとても耐えられそうにない。絶え絶えに話すそんな言葉を、優しく聞いてくれたクラスメイトの顔を思い出す。
2005年、高校生の頃。仲の良かった男性教師から、意に反する性的言動つまりセクシャルハラスメントを受けた時も、日記帳に処理しきれない思いを記録した。
「どう反応すればいいのかわからなかった。怒れば良かった? わからない」
今から10数年前、セクハラという言葉はすでに流通していたけれど、学校という狭い環境の中でその言葉を当てはめられるほど周囲の理解は及ばなかった。私は子供で、その時の感情が怒りなのか悲しみなのかすら、結びつけられていなかった。その発言さえ無かったことにすれば楽しい思い出だけが残ったのか、自分を責める考えもよぎり、ただ怠く重く、苦しかった。
すべて日記は春から梅雨と秋から冬の間で一回途切れており、なぜだか夏の記録がすっぽりと抜け落ちている。学校という環境に自分を合わせることが苦手だった私にとって、長い夏休みは日々の記録から解放されたボーナスタイムだったのかもしれない。と今は思う。
さて、時は経ち2018年。
あの頃から、とても長い時間が過ぎていった。明日死なないように祈らなくとも眠れるようになり、恐れおののいた生理との付き合いも以前よりはいくらか慣れ、窮屈な学校にも通わなくて済むようになった頃、つい先日ショックな出来事が起きた。
思春期の頃、憧れて何度も日記に書いた音楽フェスであり、初めて自力で行けるようになった10代の終わりから毎年楽しみに訪れているフジロックフェスティバルで、痴漢被害に遭った。
私は自分の身に起きたことを書いておこうと思った。さほど混み合っていない会場の真ん中でライブ中に痴漢被害にあったこと、周囲や出口にセキュリティがおらず、犯人を捕まえられなかったこと、例年と同じように、ただただ楽しい思い出だけ持ち帰りたかったこと、そして何よりも怒っているということ。思い出して文字に起こすことはしんどい行為だったけれど、せずにはいられなかった。
2018年に、それを書きたかった場所は日記帳ではなくSNSで、人に読んでもらうこと、まず事実を知ってもらうこと、それから問題について考えてもらうことを渇望していた。夏の出来事としてすっぽり抜け落ちていい記憶ではなかった。いつか私の頭から消えても、この怒りを絶対に忘れたくなかった。
そして2005年に日記帳に書いていたセクハラの記録が、怒るべき時だと2018年の私に教えてくれた。何をしても被害に遭う前に戻ることはできないけれど、記録しておくことで未来について考えることができるから。誰かのために、いつか振り返った私のためになるよう、指に力を込めて。
2018年の夏。
今年は梅雨明けが早く、夏の到来も早かった。
湿度の高い空気と、全身を刺すぎらぎらした陽差しに撒かれて、連日報道の賑わう猛暑である。一緒に走っているつもりだったのに、気づいたら遠く彼方に去っている夏が好きだ。掴んではいられないから忘れてしまうけど、どの夏もきっと覚えている。
早朝の何かが始まる空気
夜6時になってもあかるい夕暮れ
今年初の花火を買いに行ったこと、
外で友人とだらだら飲む缶ビールのこと
近所のおばあさんにあいさつすると、
「おはよう」の後に、「暑いわねえ、やんなっちゃう」と返してくれること
真夜中、恋人と手をつないで食べたアイスのこと
覚えておきたいこと、忘れてゆくこと、来年もその先もずっと遠い日の夏まで、ささやかな日々の楽しい出来事と同じように、私は怒りを記録し、表明する。