ウルフが私達に語りかけて90年が経っても/楠田ひかり

私たちは今性別にとらわれずに自分でいられているのか

2020年9〜12月 特集:自分らしく?
テキスト:楠田ひかり 編集:野村由芽
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イギリスの作家、ヴァージニア・ウルフに出会って以来、読むことと書くこと、生きることを地続きに考えながら研究している楠田ひかりさん。ウルフの研究も行う彼女が、『自分ひとりの部屋』(1929年)をはじめウルフが女性たちに語りかけたことを紐解きながら、約90年後となる今、女性が性別にとらわれず「自分らしく」生きられているか問いかけます。

ヴァージニア・ウルフ「ロンドン散策――ある冒険」から読み解く、他者に出会って「自分らしさ」を更新すること

「自分らしさ」とはつねにゆらぎ、更新されつづけるものだ。ほの暗い部屋のなかで誰にも遮られることなく思考をめぐらせてもたどり着けなかった考えに、なんとなく外に出てみたら出会えることもある。
イギリスの作家、ヴァージニア・ウルフは『自分ひとりの部屋』(1929年)のなかで、「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」(p.10)と主張している。出版の前年、1928年にはイギリスで男女平等の参政権が認められ、制度上の平等は獲得したように思われたが、性別によって押し付けられない自由な思索のためにはお金と部屋という経済的基盤が必要だった。
なににも遮られず思索にふけることができる自分ひとりの部屋の必要性は、気ままに出ていける外の世界があってこそ際立つものだった。「ロンドン散策――ある冒険」(1927年)で語り手の女性は、夕食前の名もなき時間に一本の鉛筆を買いにいくことを口実に家を出る(注1)。

よく晴れた夕刻、四時から六時のあいだに自宅から足を踏み出せば、わたしたちは友人たちに知られている「自己」を脱ぎ捨て、大勢の名のない放浪民からなる共和軍の一部になる。人いきれもうれしいものだ――自分ひとりの部屋の孤独のあとでは。(p.229)

部屋のなかで語り手は無数の事物に囲まれて座っている。マントルピースの上の鉢、絨毯についた茶色い染みは、彼女の記憶を呼び覚まし、自分とは何者であるかをつねに思い起こさせる。けれどひとたびドアを閉めて街に繰り出せば、彼女は名もなき存在になれる。目を凝らして街を観察し、街ゆく人の人生を想像する。彼女はオックスフォード・ストリートの店を眺め歩く。品物のソファや絨毯を、想像の館に並べてみる。アンティーク宝石店をのぞいて、真珠のネックレスを身に着けたところを思い浮かべる。そこはメイフェアの住宅街を見渡す6月のバルコニー。だけど彼女は1月の舗道に佇んでいる。本当の自己って? 今度はテムズ川を、夏の夕刻同じようにそこにいた誰かの目を通して眺めてみる。するとその誰かとは自分自身であったことに気がつく。彼女は都市のなかに過去の自分の亡霊を見つける。都市を歩くほかの誰かのなかに、もしかしたらそうなりえたかもしれない自分の姿を見いだす。

脱出は最高の愉しみ、散策は冬の最高の冒険――それはまさしくそのとおり。それでも自宅の玄関に近づくにつれ、昔なじみの所持品、昔なじみの思いこみにすっぽりくるまれるのも悪くない。いくつもの街角で何度も吹き飛ばされそうになった「自己」、角灯(ランタン)の中で燃える炎、近づきたくても近づけないその炎に体当たりする蛾のようだった「自己」は、避難所に収まった。ここにまた、おなじみの玄関がある。椅子は出掛けたときの向きのまま。陶器の鉢があり、絨毯には茶色い焼け焦げが輪になっている。そしてほら――優しく眺め、恭しく触れてみよう。ロンドン中のすべての宝物からただ一つだけ奪い取ってきた獲物、一本の鉛筆がここにある。(p.238)

今の自分の姿は過去の経験の集合体であり、都市を観察し歩くことによって、そこに新たな経験が加わる。一本の鉛筆を手に入れた彼女は自分ひとりの部屋で、記憶を呼び覚ます事物に囲まれながら都市の経験を書き留め、自己を更新していく。
彼女が都市で出会う他者のなかに自分の姿を見いだすように、「自分らしさ」とは自分自身によってつくられるだけではなく、他者との関わりによってかたちを変えていく。そのまま変わらずにいたい「自分らしさ」も、自分ひとりの部屋にいけばいつでも思い出すことができる。

「家庭の天使」といういつまでも付きまとってくる幻影を殺さなければならない

けれども部屋のなかでも、「自分らしく」あることを邪魔する一つの影が近づいてくる。『自分ひとりの部屋』の続編として構想され、職業を持つ女性たちに向けた1931年の講演をもとに書かれたエッセイ「女性にとっての職業」(1942年)のなかで、語り手の女性は著名な男性作家の小説について書評を書こうとしたときに目の前に現れた「家庭の天使」について述べている。「家庭の天使」とは、ウルフが19歳になる頃まで続いたヴィクトリア朝の時代に理想とされていた女性像である。語り手がなにか書こうとするとその幻影は、「あなた自身の考えを持っていることなど誰にも察せられてはなりません」「清らかなままでいなさい」と耳元でささやく(p.4)。男性が書いた本を書評してお金を得たいなら、男性の気分を損ねないものを書きなさいと誘導してくる天使を彼女が殺すことができたのは、年間500ポンドの遺産という収入を得ていたからだ(注2)。
しかしたとえ収入があったとしても、ウルフが生きた時代の女性がものを書くためにはまず、「家庭の天使」といういつまでも付きまとってくる幻影を殺さなければならなかった。そのうえ「家庭の天使」を追い払ってもなお、彼女たちの前には多くの障害があった。

天使は死にました。それでは、なにが残っているのでしょう? 残っているのは、まったくありふれたもの――寝室でインク壺を抱えている一人の若い女性――だ、とあなた方はおっしゃるでしょう。言葉を換えれば、この若い女性は、偽りを追い払ったいま、彼女自身になりさえすればよいのです。ああ、そうはいっても、「彼女自身」とはなんでしょうか? 女性とはなんだろうという意味ですが、たしかに私には分かりません。あなた方がお分かりだとも思えません。人間の技能に可能なすべての技術と職業において自己を表現しないうちは、どんな女性にも分かるとは思えません。(p.5)

私たちは、「自分らしさ」を女性らしさに合わせる必要のない時代を生きていると言い切れるだろうか

「彼女自身」とは天使に遮られることなく部屋のなかで机に向かう一人の若い女性である。ここで「彼女自身とはなにか」という問いが「女性とはなにか」という問いに直結することは、彼女が天使を殺してもなお「女性らしさ」にとらわれつづけなければならないことを示している。彼女はペンを握って何時間も潜在意識下で想像力を駆けめぐらせ、やっとのことでなにかをつかまえる寸前に、障害にぶつかり取り逃がしてしまう。

想像力はなにか固いものにぶち当たったのでした。娘は夢から呼び起こされました。事実、この上なく激烈で困難な苦しい状況に陥っていたのです。比喩なしで話せば、彼女はなにか、肉体についてのなにか、情熱についてのなにか、女性として口にするには不適当ななにかを考えていたのです。男の人たちはそれを聞いたらショックを受けるだろう、と彼女の理性が告げました。自分の情熱について真実を語る女のことを男たちがどう言うだろうかという意識が、彼女を芸術家の無意識状態から呼び起こしたのです。彼女はもう書けないでしょう。夢幻の境地は過ぎ去りました。彼女の想像力はもはや働かないでしょう。(p.7)

「家庭の天使」が死んでもなお残る障害とは、「私自身の肉体としての経験について真実を語ること」(p.8)である。男性よりも女性にとってこの障害が強力であることを目に見えるかたちで明確にすることは難しい。それは作家に限ったことではなく、あらゆる職業における女性の困難でもあると語り手は述べる。「名目上は道が開かれているときでさえ(…)女性の行く手には、私が思うに、たくさんの幻や障害が立ちはだかっているのです」(p.8–9)。

このようにウルフが女性に語りかけてから90年後の未来にいる私たちは、「自分らしさ」を女性らしさに合わせる必要のない時代を生きていると言い切れるだろうか。単に「らしさ」が多様化しただけで、無数の「らしさ」のふるまいに合わせなければならない状況がつづいているのではないか。もちろん、「自分らしさ」は他者との関わりのなかで形成されるものだから、誰かの「らしさ」を吸収することで「自分らしさ」を更新していってもいい。それを「自分らしさ」と名づけてもいいし名づけなくてもいい。毎日「自分らしさ」を変えてもいいし変えなくてもいい。ただ、私がどう生きるかを決めることができるのはほかの誰でもなく私自身だということだけはいつも覚えていたい。

注1:2020年9月投稿、12月刊行の『ヴァージニア・ウルフ研究』37号掲載の筆者のエッセイでは、「ロンドン散策――ある冒険」の同箇所について、コロナ禍と部屋という視点から考察している。
注2:「年間500ポンドの収入」は『自分ひとりの部屋』のなかでも、女性が小説を書くために必要な経済的基盤として言及されている。実際、ウルフは叔母からの遺産を受け取っていたが、それは年収に換算すると400ポンド以下であった(Chan 93)。つまり、遺産だけでは家庭の天使を殺すために必要な額には届いておらず、執筆活動がお金を稼ぐという目的から完全に独立していたとは言いきれない。

参照文献
ウルフ、ヴァージニア「女性にとっての職業」『女性にとっての職業――エッセイ集 【新装版】』、出淵敬子・川本静子監訳、みすず書房、2019年、1–11頁(翻訳は一部改変)。
―――『自分ひとりの部屋』片山亜紀訳、平凡社、2015年。
―――「ロンドン散策―ある冒険」片山亜紀訳、『早稲田文学増刊女性号』川上未映子編、早稲田文学会、2017年、228–40頁。
Chan, Evelyn Tsz Yan. Virginia Woolf and the Professions. Cambridge UP, 2014.

PROFILE

楠田ひかり
楠田ひかり

1995年神戸市生まれ。一橋大学言語社会研究科博士後期課程在学中。
イギリスの作家、ヴァージニア・ウルフについて研究しています。とくに、フェミニズム、後期モダニズム、家族・生殖がテーマの文学に関心があります。
ウルフは、日常を埋めつくす取るに足らない出来事のなかから一瞬の閃きが生じることを描いた作家です。彼女に出会って以来、雑多な繰りかえしの日々を生きていくことと、読むことや書くことのなかで感知できるものを地続きに考えたいと思っています。

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